編集後記


本誌各号の編集後記を掲載。

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■2001年3月

 渋谷の街で半世紀近くに渡って、星空を投影し続けてきた「五島プラネタリウム」が、3月11日をもって、その44年の活動に終止符を打つことになった。詳しいことは本号の記事を参照していただくこととして、ここでは、私の個人的なかかわりについて書かせていただくことにしよう。

 多くの天文ファンを育てた「五島プラネ」であるが、私が天文に興味を持つことになったきっかけもまた「五島プラネ」であった。今から37年も前の事である。当時、渋谷区内の小学校4年生だった私は、理科の課外授業で同館をはじめて訪れた。

 大きな丸天井の中に足を踏み入れた時の期待感や、中央に鎮座する真っ黒な投影機の威圧感は、今も忘れることのできない記憶の一つだ。投影が始まると、それまでただの丸天井だった空間は、青空へと変貌し、西の空に大陽が姿を現わす…そして迎える日没。西の空が夕焼けに染まり、星が一つ二つと姿を現わすころには、身体が硬直し、次なる展開への期待に…胸がつまる思いさえしたものだ。

 薄明が終わるころ、頭上には無数の星が輝いていた。東京でしか星空を眺めたことのなかった私にとって、それは驚愕の体験であった。暗黒の宇宙に吸い込まれそうになる恐怖感と、眼前に展開する広大な宇宙の開放感に、私の脳味噌は機能を停止していたに違いない。

 この日の投影内容に関する記憶は私には全くない。だた、星空の美しさだけが心に残っていたのである。

 その日の夜、学校から帰った私は縁側で星空を見上げていた。当時の東京は、現在より遥かに星がよく見えた。とは言え、プラネで見た星空とは比べようもなく…その差に落胆していたことも事実だ。
「何だ!見えないじゃないか」
 私の星空への興味は終わりかけていたのだと思う…しかし、その時、明るい流星が飛んだのだ。
「凄い!流れ星だ!」

 この一つの流星が、私の星空への興味をつなぎ止めたのだ…それからは天文少年への道を進んでいった。月一回は五島プラネへ通い、「星の会」も小学〜中学クラスへと進んだ。中学2年の時、解説委員だった故水野良平先生の紹介で、星の会を母体に結成された「東京天文グループ」へも入会させていただいた。村山定男先生とお会いしたのもその頃のこと…自分より年上の人たち囲まれて観測会や例会に参加するたびに、少しだけ大人になったような気がしたものだ。会では会報の編集長も勤めさせていただいた。その時の経験は今も貴重な私の財産だ。

「五島プラネ」は姿を消すが、「星空の美しさを伝えること」が、残された者に科せられた恩返しなのだと思う。「星ナビ」もその一助になればと思う気持ちで一杯だ。

編集長 大熊正美

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