南緯45度の星空案内人
第6回 「ニュージーランドの歴史と星空に欠かせない人物たち」

Writer: 米戸実氏

《米戸実プロフィール》

1964年大阪生まれ。子供の時から南半球に興味を持ち始め、ハレー彗星はニューカレドニアへ。卒業後にニュージーランドへ冒険旅行に出て、旅行と南半球にすっかりはまる。両国の旅行会社に勤務し、現在クイーンズタウンでスターウオッチングツアーを運営する傍ら、オーロラ撮影に熱中。

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日本から南へ約9400キロ。ニュージーランド南島の玄関口クライストチャーチまで直行便で約10時間45分。イタリアやイギリスよりも近く、ニューヨークと比べると約2500キロも短い距離なのに、赤道を越える感覚が、ニュージーランドをより遠方に位置させてしまっているのだと思います。

お隣オーストラリアのシドニーまでは飛行機で3時間20分。日本からグアム島ほど離れています。両国間にはタスマン海という立派な名前がついた海がありますが、これは1642年にオランダ人アベル・タスマンによってヨーロッパに知らされました。

彼のオランダにある故郷ゼーランドにちなんで、「新しいゼーランド」、New Zealandと名付けられたのが現在の国名になっています。一方、8世紀に入植してきた先住民マオリ族は、この国をアオテアロア(マオリ語で白い雲が低くたなびく大地)と現在も呼んでいます。

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そして1769年にジェームズ・クック船長がやって来て、タスマン以降2人目の白人来訪者となります。彼は3回もニュージーランドを訪れましたが、氷河が侵食して作り上げた有名な入り江「ミルフォードサウンド」を見逃してしまいました。

星とはまったく関係のない話から始めましたが、ニュージーランドの歴史を調べれば必ず目にする事柄です。最後に出てきたキャプテン・クックは、最初からニュージーランドを目指してヨーロッパを出発したのではなく、タヒチ近海で金星日面通過を観測する目的で派遣されました。今から238年も前に、惑星の日面通過を予測出来ていた事に驚きます。当時の日本は江戸時代、キャプテン・クックの様に南極圏まで足を伸ばしていた人物がいるなど、鎖国中の日本では考えられなかったに違いありません。キャプテン・クックは日面通過の観測を終えて、その足でニュージーランドへやって来たようです。

時を遡り、平安京が栄えている時代、先住民マオリ族は大きなカヌーに乗ってハワイキを出発し、アオテアロアへやって来ます。アオテアロアを最初に見つけたのはマオリ族の男性でクペという人だと言われています。ハワイキは現在のタヒチの事らしく、ハワイの語源にもなっているそうです。

彼らはその後、ギリシャ神話とは無関係な星の世界を築きました。マオリ族の言い伝えでは、マウイという少年が釣りをしていた時にアオテアロアが作られたというのです。詳細は長くなるので、出来れば私のツアーでお聞き頂きたいのですが、釣り船が南島を作り出し、その時に釣れた大きな魚が北島を作り上げたと言われています。そしてこの魚を釣り上げた時の釣り針が外れて天高く昇り引っかかり、釣り針の形(さそり座の尻尾部分)になったそうです。

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しかし、南半球ではさそり座は逆さまに昇ってきますので、どう見ても「さそり」には見えません。マオリ族の皆さんは、さそり座の頭の部分を北島に例えます。 またマウイ少年は1日がたったの3時間だったことから、日照不足により穀物や野菜が育たないのを危惧し、投網を母親に編んでもらい太陽に向かって歩を進めます。そして投網で太陽を捕まえて、もっとゆっくりとまわる様に、24時間の自転を作り出したと言われています。

このマウイ少年の名前こそ、ハワイにあるマウイ島の由来です。このマウイ少年の話は、ハワイ、フィジー、タヒチ、トンガ、サモアなどポリネシア一帯で広く知られており、これらの島々には、マオリ族の人たちと同じ肌の色の人たちが住んでいます。

時代を16世紀に移しましょう。夜空には現在、ある有名な人物の名前が付いた大きな肉眼等級星雲が2つ浮かんでいます。ここクィーンズタウンでは、殆どが周極星で、この2つの星雲も一年中地平線に沈む事がありません。

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その名前はマゼラン。人類で初めて世界一周航海を成し遂げた人物です。ポルトガル出身で好奇心旺盛な彼は、自国からの援助が受けられず、自らの好奇心を満足させるために隣国の王様に取り入って世界一周用の船を調達します。1519年にスペインを出航したといいますから、日本は室町時代になります。

通常の東回り航路ではなく、大西洋を南下する西回り航路で世界一周に挑戦。南北アメリカ大陸の最南端で発見した水路にも彼の名前が付けられ、以来マゼラン海峡と呼ばれています。しかし、彼の前に広がった太平洋という海原の大きさを知らないままに北上しました。目的地は東回り航路での終点、インドネシアはモルッカ諸島。通称「香料諸島」と呼ばれています。マゼラン海峡から最短でモルッカ諸島に達するには、南極大陸を迂回するべきだったのですが、当時はその様な知識は無かったのでしょう。しかしその方が涼しい航海となり、食料が長持ちしたに違いありません。99日間の魔の航海を経てグアム島にたどり着きましたが、しかし暖かい所を通ってきたため、食物も腐って、船員は壊血病に苦しんだことでしょう。結局マゼランは、フィリピンでの改宗を発端とした戦闘に巻き込まれ戦死します。

こんな大変な航海を経て世界は大航海時代に入ります。そこで発見された物や動物を星座に加えていったそうです。1603年にはドイツ人バイヤー(バイエル)が南半球にも星座を11個制定し、現在でも使われています。1751年にはフランス人ラカーユが南アフリカに住み、南天の観測を続け、5年後には南天の新しい14の星座を制定します。こうして南天にも星座名が付けられますが、どれも個性的です。北半球からは絶対に見られない4つの星座カメレオン、テーブル山、八分儀、ふうちょうを筆頭に、かじき、みずへび、くじゃく、ほうおう、つる、みなみのさんかく、きょしちょう、インディアン、とびうお、がか、コンパス、じょうぎ、ちょうこくぐ、とけい、ぼうえんきょう、ポンプ、レチクル、らしんばん、ろ、とも、ほ、りゅうこつ、けんびきょう等々・・・。

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しかし最も格好悪い名前が「はえ座」でしょう。スターウオッチングツアーでご案内すると笑いが聞こえてきます。しかも南十字座の真下にいます。そのすぐ下のカメレオンに狙われているかと思いきや、カメレオンは反対側を向いています。

次回はオーロラの撮影方法を、いろいろな経験を元にお話したいと思います。

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