【訃報】ヒッグス粒子を予言、ピーター・ヒッグスさん

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素粒子論の基礎の一つである「ヒッグス機構」を提唱し、ヒッグス場やヒッグス粒子を予言した物理学者のピーター・ヒッグスさんが死去した。享年94。

【2024年4月15日 エジンバラ大学CERN

ピーター・ヒッグスさんは1929年5月29日に英・イングランドのニューカッスルに生まれた。小児喘息の持病があり、またBBCの技師だった父親の転勤が多かったために小学校には通わず、家庭で教育を受けた。1946年、17歳でシティ・オブ・ロンドン・スクールに入学、1947年にキングス・カレッジ・ロンドンに移り、物理学を学んだ。1954年には分子振動の理論研究で博士号を取得した。

ヒッグス博士
ピーター・ヒッグス博士(提供:Peter Tuffy/University of Edinburgh)

その後、エジンバラ大学、インペリアル・カレッジ・ロンドンなどでの非常勤講師を経て、1960年にエジンバラ大学テイト数理物理学研究所の講師に就任した。これ以降、生涯にわたってエジンバラ大学で研究生活を送り、1974年には準教授、1980年に理論物理学講座教授に就任。1983年に王立協会会員に推挙され、1996年に退官してエジンバラ大学名誉教授となった。

ヒッグスさんの最大の功績は、素粒子の質量の起源に関わる「ヒッグス機構」というしくみを提唱したことだ。

現在の宇宙には、物質を形づくるクォーク(陽子・中性子などの構成粒子)とレプトン(電子やニュートリノなど)という粒子があり、さらに物質粒子間に働く電磁気力・弱い力・強い力・重力という4つの力の伝達粒子がある(重力を伝える重力子は未発見)。現代の素粒子の理論は量子力学と特殊相対性理論を組み合わせた「場の量子論」という枠組みでできているが、場の量子論によれば、これらの粒子は全て、真空中に存在する「場」という“何か”が振動する様子が粒子として見えているのだと考える。電子の場、アップクォークの場、光子の場(=電磁場)など、全ての粒子には固有の場が存在する。

標準模型
素粒子の標準模型に登場する粒子の一覧(提供:Wikimedia Commons

4種類ある力の場の起源をさかのぼると、138億年前に誕生したばかりの宇宙では、ただ1種類の力の場だけがあったと考えられる。その後、宇宙誕生から10-44秒ほどたったころにまず重力が分岐し、さらに宇宙が膨張して冷えるにつれて、10-36秒後に強い力が、10-11秒後に電離気力と弱い力が分岐した。

重力以外の力の分岐は、力の場に備わる「ゲージ対称性」という性質が「対称性の自発的破れ」という現象で破れたことで起こったとされている。対称性の自発的破れという考え方は1960年に南部陽一郎が提唱し、核力の性質などをうまく説明できるモデルとして注目された。

南部の理論では、素粒子の場が持つ対称性が自発的に破れると、質量ゼロの「南部‐ゴールドストーン粒子(NG粒子)」という粒子が必ず現れる。そこで1960年代初めには、この南部理論に基づいて3つの力を理解しようという研究が行われた。しかし、質量ゼロの光子が伝える電磁気力はともかく、弱い力や強い力は陽子・中性子のサイズより短い距離しか伝わらず、これらの力を伝える粒子はかなり重いはずだと予想されていた。これは南部理論が予言するNG粒子とは全く違っている。

この困難を解決したのがヒッグスさんだった。1964年に発表した2本の論文でヒッグスさんは、もしも既知の粒子の場とは違う未知の場が宇宙に存在して、しかもその場の値が、最低エネルギーの状態(=真空)でゼロにならず、真空よりやや高いエネルギーのときにゼロになるという奇妙な性質を持っているとすれば、力の場とこの未知の場が相互作用することで質量ゼロのNG粒子が消え、代わりに力の伝達粒子が質量を持つようになることを示した。現在ではこのしくみは「ヒッグス機構」、この未知の場は「ヒッグス場」と呼ばれている(ただし、ヒッグスさんと同時期に、ほぼ同じアイディアを他に計5人の研究者が独立に提唱していた)。

1967~1968年にはスティーブン・ワインバーグ(米)たちがヒッグス機構の考え方を応用し、電磁気力と弱い力は高いエネルギーでは1つの力に統一されるという「電弱統一理論」を提唱した。この2つの力が分岐した際にヒッグス機構によって、電磁気力を伝える光子は質量ゼロのまま残り、弱い力を伝えるW/Zボゾンだけが質量を持つようになったことをワインバーグたちは示した。W/Zボゾンはワインバーグたちの予言通り、1983年に発見された(参照:「【訃報】電弱統一理論でノーベル賞、スティーブン・ワインバーグさん」)。

また、ヒッグス機構の理論からは、物質粒子もヒッグス場と相互作用することで質量を持つことが導かれる。そのため今日では、ヒッグス場が物質の質量の起源だとしばしば形容される。

さらにヒッグスさんは、ヒッグス場に大きなエネルギーを与えると、NG粒子や既知の粒子とは別の重い粒子が生み出されることも予言した。この粒子が「ヒッグス粒子(ヒッグスボゾン)」だ。もしヒッグス粒子が実験で見つかれば、ヒッグス場が現実に存在する証拠となるため、1970年代から様々な粒子加速器でヒッグス粒子の探索が行われ、2012年にCERN(欧州原子核研究機構)の加速器「LHC」でようやくヒッグス粒子が検出された(参照:「CERNの研究チームが新しい素粒子を発見 ヒッグス粒子か」)。これによって、素粒子物理学の「標準模型」に登場する粒子は全て発見された。

ヒッグス粒子の発見を受けて、ヒッグスさんはヒッグス機構の理論を独立に提唱した一人であるフランソワ・アングレール(ベルギー)とともに、2013年のノーベル物理学賞を受賞した(参照:「ノーベル物理学賞、ヒッグス粒子の理論提唱の2名に」)。

LHCでヒッグス粒子を検出した「ATLAS」実験のプロジェクトリーダー(当時)で、現在CERNの所長を務めるFabiola Gianottiさんは、「ピーター(・ヒッグス博士)は、素粒子物理学に卓越した貢献をなし遂げたとともに、非常に特別な人物で、世界中の物理学者に多大なインスピレーションを与え、稀に見る謙虚さを持ち、偉大な教師であり、きわめて簡潔で深遠なやり方で物理を説明した人物でした。CERNの歴史と業績の重要な一部分が彼と結びついています。大変悲しく、彼との別れを辛く感じます」と述べ、ヒッグスさんの死去を悼んだ。

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