黒点を40年間記録した故・小山ひさ子さん 太陽観測史上の貴重な貢献

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40年間にわたり太陽黒点のスケッチを続けた故・小山ひさ子さんの観測は、アマチュアにはよく知られたものであったが、太陽の活動周期や長期変動に関する研究にも大きな貢献を果たしていることで再評価されている。

【2017年10月10日 AGU

小山ひさ子さんは1916年東京生まれ。1930年代、当時の日本女性としては珍しく、東京の高等女学校を卒業した。若いころから天文学に熱心で、20代で天体観測を始めた。

1944年の春に父親から屈折望遠鏡を贈られた小山さんが、黒点をスケッチして東亜天文学会の研究者に送ったところ、同会の山本一清さんから励ましの返事が届いた。以降、山本さんの指導のもとで黒点観測を定期的に行うようになった小山さんは、旧・東京科学博物館(現・国立科学博物館)で太陽観測を開始し、太陽の重要な特徴や観測条件などを書き記していった。小山さんは1946年の後半に博物館の観測職員となり、1947年に発生した20世紀最大の太陽黒点をスケッチし、1960年には黒点のスケッチ中に白色光太陽フレアを目撃している。

小山ひさ子さんと望遠鏡
小山ひさ子さんと博物館の口径20cmニコン製望遠鏡。1951年撮影(提供:アサヒグラフ)

小山さんは1981年に博物館を退職したが、その後も同館理化学研究部部長(当時)の村山定男氏の計らいで、博物館に残って在職中と同じ望遠鏡を使って太陽観測を続けた。同じ人物が同じ望遠鏡を使い、同じ観測方法で太陽を記録し続けた例はほとんどないという。小山さんの1985年のデータブックには、8000以上に及ぶ黒点群が年代順に記録され、彼女が1997年に逝去するまで生涯にわたって描いた太陽スケッチは、1万点以上を数えるまでになった。

こうした小山さんの存在はアマチュア天文家の間ではよく知られていたが、研究者にとってはごく最近まで無名の存在であり、その観測も重要視されていなかった。

再評価につながるきっかけとなったのは、太陽の活動周期のより良い理解を目指して、1610年のガリレオから現在まで続く黒点観測の見直しが行われたことだ。その過程で、小山さんの研究はガリレオやガッサンディ、シュワーベ、ヴォルフらによる黒点スケッチと共に一つのコレクションとしてまとめられた。20世紀初頭と現代の記録との間にある重要なギャップを埋める、公式な屋台骨としての役割を果たした小山さんの観測は、過去4世紀にわたる連続的な太陽黒点数の記録の確立に大きく貢献したのである。

復元された黒点の記録は、時間経過とともにどのように太陽の磁場活動が変化するのか、またその変化が地球にどのような影響を及ぼすのかについての理解を深めるのに役立てられる。「小山さんの観測技術、粘り強さ、一貫性、太陽のふるまいを見る鋭い眼、それらによって、驚くべき太陽のふるまいに関する記録が作られました。この記録がなければ、自信を持って黒点の歴史の復元をすることはできなかったでしょう」(米・コロラド大学 Delores Knippさん)。

Knippさんは九州大学のHuixin Liuさん、日本学術振興会の早川尚志さんと共に小山さんの記録をまとめ、今回の発表に至った。「小山さんの貢献については以前から考えてはいたものの、映画“Hidden Figures”(邦題「ドリーム」)を観て、私は本格的に活動し始めました。女性研究者たちは、考証文献などの存在の有無に関わらず、長い間科学に貢献してきたのです。これからも小山さんの業績や記録を、特に科学の分野でキャリアを考えている若い女性に対して広く伝えていきたいと思います」(Knippさん)。