第8回日本天文遺産に上松赤外線望遠鏡など2件認定

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第8回日本天文遺産に、岩手県釜石市の「星座石と陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑」と兵庫県佐用町の「上松赤外線望遠鏡」の2件が認定された。

【2026年3月5日 日本天文学会

日本天文学会では、歴史的に貴重な天文学・暦学関連の史跡や文献などの保存、普及、活用を図る目的で、天文学(暦学も含む)的な視点から歴史的意義のある史跡・事物に対して、毎年「日本天文遺産」を認定している。

第8回(2025年度)の遺産には、享和元年(1801年)に伊能忠敬が岩手県で実施した緯度観測を記念して同地に建立された2つの石碑「星座石と陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑」と、1973年に稼働を始めた日本初の赤外線観測専用望遠鏡「上松赤外線望遠鏡」が認定された。


星座石と陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑

享和元年(1801年)9月24日に、江戸時代の商人・天文学者・地理学者・測量家である伊能忠敬(1745-1818年)が唐丹村(現・岩手県釜石市唐丹町)で実施した緯度観測を記念して同地に建立された2つの石碑。建立は天文学に明るい唐丹村の知識人・葛西昌丕(1765-1836年)によって文化11年(1814年)に行われた(星座石については推定年)。

星座石と陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑
星座石と陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑の全景。覆屋の中の右が測量之碑、左が葛西を顕彰した遺愛碑。手前に星座石が置かれている(提供:日本天文学会)

星座石は、伊能が天体観測によって決定した唐丹村の緯度を示すための標石で、中央に刻まれた「北極/出地式/拾九度/十弐分」は「北緯39度12分」を意味している。また、周囲には黄道十二宮と十二次(古代中国天文学における天球分割法の一つで、天球を天の赤道帯にそって西から東に十二等分したもの)が交互に刻まれている。

一方、陸奥州気仙郡唐丹村測最之碑(以下、測量之碑)は一番上に「天蝎(てんかつ)」(黄道十二宮の一つ)の二文字、その直下に「陸奥/州気/仙郡/唐丹/村測/量之/碑記」と碑銘が刻まれている。さらにその下には、「伊能が唐丹村での天体観測によって得た北緯39度12分という緯度が、時間が経っても不変なのか、あるいは西洋の学説にあるような地球の微動により変動するのかを後世の人々に解明してほしい」、という葛西の意図を刻んだ碑文が続く。

星座石と陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑
(左)陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑、(中)星座石(長径70cm)、(右)星座石の刻字を転写したもの。画像クリックで表示拡大(提供:(左と真ん中)日本天文学会、(右)釜石市教育委員会文化財課)

碑文中にある「地球微動」の意味は明確ではないが、「章動」や「極運動」などを意味すると考えられている。章動は1747年にイギリスの天文学者ジェームズ・ブラッドレーにより発見され、極運動は1765年にスイスの数学者・理論物理学者・天文学者レオンハルト・オイラーにより予言された後、1884年にドイツの天文学者フリードリッヒ・キュストナーにより実際に緯度変化が確認された。測量之碑の建立は章動の発見のおよそ70年後、極運動予言の半世紀後、極運動検出の70年前のことで、日本の地方における19世紀初期の西洋天文学受容の状況を示す重要な遺産と言える。

何度かの移動を経ているため、当時の正確な場所は不明だが、これらの石碑は、伊能が唐丹村で緯度観測を行った歴史的証拠の一つであるとともに、同時代の知識人である葛西が観測による緯度変化の証明(地球微動の有無の証明)を後世の天文学者たちに託そうとした努力の痕跡でもある。


上松赤外線望遠鏡

1973年に稼働を始めた日本初の赤外線観測専用望遠鏡。世界を舞台にした赤外線専用望遠鏡の開発・稼働の歴史においては、1960年代初頭に米・カリフォルニア工科大学の物理学者・天体物理学者ロバート・レイトンと同大学の天文学者ゲリー・ノイゲバウアーにより開発されたエポキシ樹脂製鏡の1.5m赤外線望遠鏡、米・キットピーク天文台の1.3m赤外線望遠鏡、スペイン・テネリフェ天文台の1.5m赤外線望遠鏡に続く。

上松赤外線望遠鏡
上松赤外線望遠鏡(提供:日本天文学会、以下同)

上松赤外線望遠鏡は奥田治之さん(現・JAXA宇宙科学研究所名誉教授)たちによって製作が開始された。初代主鏡は口径100cmの金属製で、副鏡にはチョッパーと呼ばれる振動機構によって1秒間に10回視野を切り替える仕組みが施され、高速視野変化によって観測する天体からの赤外線と空気中の水蒸気が発する赤外線ノイズとを分離した。検出部は熱雑音を減らすためのクライオスタット(真空低温槽)に収納され、検出器には単素子のPbS(硫化鉛)とゲルマニウムボロメーターが使用されている。架台は珍しいヨーク式赤道儀。

初代の主鏡
初代の主鏡

1973年に上松天体赤外線観測室が長野県木曽郡上松町に京都大学の施設として設置され、1974年初めから本格的な赤外線観測が始まった。以降、日本の赤外線天文学は急速に発展していき、赤外線宇宙望遠鏡「IRTS」やハワイ・マウナケア山頂のすばる望遠鏡、赤外線天文衛星「あかり」、チリ・チャナントール山頂の東京大学アタカマ天文台のTAO望遠鏡などへと続いていく。上松赤外線望遠鏡は日本の赤外線天文学の原点としてその礎を築いた、記念碑的な望遠鏡と言える。

また、上松赤外線望遠鏡では1974年初めに明るくなったコホウテク彗星(C/1973 E1)や1976年の春先に明るくなったウェスト彗星(C/1975 V1)、新星など突発天体の観測も行われた。

2003年に上松天体赤外線観測室が役目を終え撤去された後、望遠鏡は東京大学木曽概測所での保管を経て、2004年に兵庫県佐用町の西はりま天文台公園(当時)に移された。2008年からは兵庫県立大学自然・環境科学研究所天文科学センター(西はりま天文台)で展示されている。