日本天文遺産に「レプソルド子午儀」「星間塵合成実験装置」「倉敷天文台」

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第6回日本天文遺産に、140年以上の歴史を持つ「レプソルド子午儀およびレプソルド子午儀室」、世界に先駆けて製作された「星間塵合成実験装置」、日本初の民間天文台「倉敷天文台と関連遺跡」が認定された。

【2024年3月12日 日本天文学会

日本天文学会では、歴史的に貴重な天文学・暦学関連の史跡や文献などの保存、普及、活用を図る目的で、毎年「日本天文遺産」を認定している。2023年度の第6回日本天文遺産には、「レプソルド子午儀及びレプソルド子午儀室」、「星間塵合成実験装置」、「倉敷天文台とその関連資料」が選ばれた。

レプソルド子午儀とレプソルド子午儀室

近代天文学黎明期の本格的な天体観測装置と言えるレプソルド子午儀は、1880(明治13)年に独・ハンブルクでA. レプソルド・ウント・ゼーネ社により製作され、翌年に明治政府の海軍省海軍観象台が購入した。その後、1888年に東京大学天象台、海軍観象台、内務省地理局の統合により、海軍観象台があった麻布飯倉の地に東京大学東京天文台が発足すると、レプソルド子午儀も東京天文台に移管された。

子午儀は天体が子午線上を通過する時刻を精密に観測することによって、その地の経度を決定する、あるいは時刻を決める観測に使われる。レプソルド子午儀が麻布にあった時代は、主に時刻の決定に使用され、この子午儀の観測によって求められた時刻によって、旧江戸城天守閣の跡地で正午の号砲が撃たれていたという歴史的な観測装置だ。

レプソルド子午儀とレプソルド子午儀室
(上)レプソルド子午儀、(下)レプソルド子午儀室(提供:国立天文台)

1924(大正13)年に東京天文台が三鷹村へ移転したのに伴って、レプソルド子午儀もその翌年に天文台敷地内のレプソルド子午儀室へ移され、移転後は月、惑星、小惑星の赤経の決定に使用された。さらに1937(昭和12)年以降は主に恒星の赤経観測に用いられ、その観測から1949年に日本初の本格的観測星表である「三鷹黄道帯星表」、1962年に「三鷹赤道帯星表」が出版されて、レプソルド子午儀は役目を終えた。

レプソルド子午儀を設置するために建てられたレプソルド子午儀室の屋根には、子午線を通過する天体を観測するための開閉機構がある。外壁上部には、建設当時に流行していた造形芸術運動であるセセッション様式の流れを汲む装飾が施されている。この貴重な建築物は、現在では国立天文台三鷹キャンパス内で、レプソルド子午儀を含めた歴史的な観測装置を展示する子午儀資料館として一般に公開されている。

星間塵合成実験装置

星間塵合成実験装置は、終焉期の恒星の質量放出における気体から固体塵粒子が凝縮する様子をマイクロ波放電によるプラズマを用いて再現する実験装置だ。1970年代に世界に先駆けて、電気通信大学の坂田朗さんたちによって、マイクロ波放電部の設計から導波管の製作、枠組みの溶接に至るまで、全て手作業で製作された。

星間塵合成実験装置
星間塵合成実験装置(提供:日本天文学会リリース、以下同)

この装置で合成された固体微粒子は「急冷炭素質物質」と名付けられ、星間塵について観測される様々な特徴を再現した。急冷炭素質物質は坂田さんらの実験天文学の功績として国際舞台で顕著に認知され、今でも広く炭素質星間塵を模擬する物質の一つとして引用されている。最近では、新星の周りで生まれる有機物の塵の特性を極めてよく再現する急冷窒素含有炭素質物質の合成にも成功した。また、本装置と本装置による成果は、日本の赤外線宇宙望遠鏡「IRTS」や赤外線天文衛星「あかり」による星間塵研究に繋がり、日本の赤外線天文学の発展を支えることにもなった。

この星間塵合成実験装置は、2008(平成20)年から東京大学大学院理学系研究科天文学教室において、また2023(令和5)年に同研究科附属天文学教育研究センターで使用・管理されている。

倉敷天文台と関連遺産

岡山県の倉敷天文台は、市民への公開を目的として、1926(大正15)年11月21日に日本で初めて設立された民間天文台だ。

日本にまだ官立の天文台しかなかった大正時代に、市民への天文学普及を熱心に説いた京都大学の山本一清さん、岡山県内で活躍していたアマチュア天文家の水野千里さんらの「日本の天文学の底上げのためには、市民に開かれた天文台が必要」という理念に啓発されて、倉敷町長も歴任した実業家の原澄治さんが私財を投じて設立した。

倉敷天文台では、設立当初より天文同好会(現・東亜天文学会)の協力のもと、1~2か月に1回のペースで観望会(当時は「天文講演会」と呼ばれた)が開催された。とくに彗星観測のときには参加者が350人を数えたという記録もあり、大正時代以降の天文学の普及に大いに貢献したと評価される。また、天文台を通じた彗星や新星の発見によって、日本の天文学界にも貢献してきた。

倉敷天文台入口、原澄治・本田實記念館、旧倉敷天文台スライディングルーフ観測室
(上段左)倉敷天文台正面入り口、(上段右)原澄治・本田實記念館。(下段)旧倉敷天文台スライディングルーフ観測室(2013年に倉敷市が倉敷天文台から譲り受け、創立当時に近い姿でライフパーク倉敷(倉敷科学センター)敷地内に移築・復元されている)

1952(昭和27)年に建造された5mドームを備えた倉敷天文台は、1993(平成5)年11月から原澄治・本田實記念館として公開されている。その内部では、天文台設立当初に設置され当時としては国内最大級だった英・ホルランド社製の口径32cmの反射望遠鏡(カルバー望遠鏡、倉敷指定重要文化財)や、その他の観測資材、記念資料などが保存・公開されている。

倉敷天文台は現在も、財団当事者はもとより地元市民や自治体の手厚い支援を礎に保存や普及活動が継続され、間もなく設立100周年という歴史的な節目を迎える。