【追悼】小尾信彌先生を送る

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天文学者で東京大学名誉教授、放送大学元学長の小尾信彌さんが2014年9月に永眠され、故人の遺志により今年になって公表された。

【2015年12月28日 山岡均さん】

文:山岡均(九州大学)

長年にわたって天文学の研究・普及にご尽力されてきた小尾信彌先生が、2014年9月28日に89歳でお亡くなりになりました。1年間は公表しないでほしいという故人のご希望があったとのことで、私が知ったのもこの公表時でした。

小尾先生は1925年東京生まれ、1943年に東京帝国大学理学部天文学科に入学され1946年に卒業されました。この頃天文学教室は戦火を避けて長野県諏訪に疎開しており、小尾先生はそのようすを記した『されど天界は変わらず 東京大学天文学教室諏訪疎開の記録』(龍鳳書房、1993年)にも登場されています。その後東京大学や東京天文台を経て、駒場にキャンパスを構える東京大学教養学部で30年以上にわたって教鞭を執りました。恒星や銀河の進化を論じた壮大な『武谷・畑中・小尾の論文』(THO理論、1956年)も当時の業績として有名です。東京大学退官後は放送大学に移り、学長職も務められました。

私たちの小尾先生との接点は、何といっても多岐にわたる天文学に関する一般書の著作・訳出にあります。『爆発する宇宙――アポロ以後の天文学』(日経サイエンス社、1974年)や『宇宙創成はじめの三分間』(S.ワインバーグ著、ダイヤモンド社、1977年)は中学・高校生のころの私を強烈に惹きつけました。また、季刊誌『星の手帖』の編集委員として、創刊から終刊まで巻頭エッセイを寄せ続けておられました。

謹んでご冥福をお祈りします。

小尾信彌さん
2011年10月、村山定男さんの米寿を祝う会でご挨拶される小尾さん

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