【追悼】ペルー天文学の父 石塚睦先生

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いまから60年前にペルーへ渡り、生涯をかけてペルーの天文学の発展に尽力された日本人天文学者・石塚睦先生が6月に永眠されました。

【2018年8月16日 星ナビ編集部

執筆:梅本真由美さん/協力:ホセ・イシツカさん

「星ナビ」2018年8月号連載記事「天文台マダムがゆく」より抜粋)

石塚睦(いしつかむつみ)先生は、1930年1月生まれ。京都大学で博士号取得後、アンデス山中に太陽コロナの観測施設をつくるため、家族とともにペルーへ渡りました。1957年のことです。水源も電力も材料もない状態から観測所づくりをスタートし、22年に及ぶ苦労の末に「コスモス太陽コロナ観測所」を完成させました。

ところが、観測開始からわずか1か月後に悲劇に見舞われます。反政府テロ組織が観測所を占拠し、夜間のテロ活動に使う狙いで、天体観測用の赤外線観測装置を差し出すよう石塚先生に要求してきたのです。もちろん先生の答えは「NO」。キッパリと要求を拒否した報復として、観測所は爆破されてしまいました。その後、石塚先生はテロ組織から殺害予告を受け、潜伏生活を余儀なくされたこともあります。

コスモス太陽コロナ観測所
22年の苦労の末に完成したコスモス太陽コロナ観測所(左)は、観測開始からわずか1か月でテロリストの襲撃を受け、その後、爆破されてしまった(右)

しかしそれでも石塚先生は、ペルーに天文学を根付かせるためペルーにとどまりました。次世代の教育・育成に必要な数々の計画を進め、ペルー国立プラネタリウム・国立イカ大学の太陽観測所・ワンカイヨ宇宙電波観測所・イカ教育天文台などの設立に尽力し、生涯をかけてペルーで天文学の普及啓発に努めてきたのです。現地の人々からは、尊敬を込めて「ペルー天文学の父」と呼ばれていましたが、今年6月9日に88歳で永眠されました。

石塚先生の次男ホセ・イシツカさんは、父と同じ道を歩むべく電波天文学者となり、現在ペルーで電波望遠鏡建設の支援を呼びかけています。この記事をきっかけに関心を持たれた方はぜひ、石塚睦先生、ホセ・イシツカさんの活動へご支援・ご協力をお願いします。

石塚睦さん、ホセ・イシツカさん
首都リマにあるペルーで唯一の国立プラネタリウムには石塚睦先生の名前が冠されている。プラネタリウムは五藤光学研究所製で座席数は40、ドーム径は7.5m。日本政府のODAによって建設された。左が石塚睦先生、右は次男のホセ・イシツカさん

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