もっとも明るかった超新星、1000年後の姿

【2008年7月4日 Chandra Photo AlbumHubbleSite NewsCenter

1006年に日本などで観測された超新星は、史上もっとも明るかったとされている。当時は太陽、月に次ぐ明るさで、昼でも見ることができたらしい。1000年後の現在、残骸からの光は検出することさえ困難だが、太陽や月と同じくらいの大きさまで広がった姿が公開された。


SN1006の一部をクローズアップしたHSTの画像

超新星1006の残骸から、細長く伸びた構造をクローズアップしたHSTの画像。クリックで拡大(提供:NASA, ESA, and the Hubble Heritage Team (STScI/AURA))

SN1006、チャンドラと地上望遠鏡の合成画像

超新星1006の残骸。チャンドラによるX線画像(青)に、地上から撮影した可視光画像(オレンジと薄青)と電波画像(赤)を重ね合わせた。クリックで拡大(提供:X-ray: NASA/CXC/Rutgers/G.Cassam-Chenaï, J.Hughes et al.; Radio: NRAO/AUI/NSF/GBT/VLA/Dyer, Maddalena & Cornwell; Optical: Middlebury College/F.Winkler, NOAO/AURA/NSF/CTIO Schmidt & DSS)

1006年の5月1日ごろ、深夜の南天にひじょうに明るい星が出現したことが、日本や中国、エジプト、ヨーロッパなどの記録に残されている。その明るさは金星をはるかに上回り、肉眼で点状に見える「星」に限れば、史上もっとも明るかっただろうと考えられる。これは当時の記録だけでなく、現在に残された証拠から裏付けられることだ。

「星」はそれから2年半も肉眼で見え続けたが、やがて消え去った。そして1960年代半ばに、ようやくその痕跡が電波で検出された。その正体は、われわれの天の川銀河の中、7,000光年という至近距離で起きた超新星爆発(超新星1006)だ。一般に超新星は巨大な恒星が最期に起こす大爆発だが、超新星1006は「Ia型超新星」と呼ばれる特殊なタイプだったと判明している。

白色矮星(ふつうの恒星が燃料を使い果たしたあとに残る天体)のまわりを別の恒星が回っていて、白色矮星が恒星からガスを吸い取るような連星系があると、白色矮星は一定の質量になった段階で不安定になり、大爆発を起こす。これがIa型超新星だ。絶対光度が必ず一定になり、しかも標準的な超新星より明るいという特徴がある。だからこそ、現代でも超新星1006の光度が正確に推定できて、しかもそれが史上最大だったと言うことができる。

球殻状に広がった超新星残骸のうち、可視光でとらえられるのは最外縁のごく一部だ。NASAのハッブル宇宙望遠鏡がとらえた可視光画像(1枚目)には、そのうちもっとも明るい部分が写っている。今でも衝撃波が時速1,000万kmほどで広がっていて、周囲の淡いガスを加熱し、輝かせているのだ。

一方、NASAのX線天文衛星チャンドラと地上の電波望遠鏡などによる撮影データを重ね合わせた画像(2枚目)では、残骸の形がはっきりと浮かび上がっている。爆発から1000年が経過して、見かけの大きさはほぼ満月程度に広がった。実際には、直径が60光年もある。

これらの画像は、米国の独立記念日に合わせるように公開された。Ia型超新星爆発の特徴は、中心に中性子星やブラックホールを残さずにすべてが星間空間へと吹き飛ぶ点にある。惑星や生命の材料となる重い元素は恒星の核融合反応でしか形成されない。それが完全に解放されるのは、Ia型超新星爆発だけ。超新星1006の残骸は、元素の独立を記念している、というわけだ。