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天文雑誌『星ナビ』連載中「新天体発見情報」

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127(2015年10月〜2016年1月)

2016年3月5日発売「星ナビ」2016年4月号に掲載

わし座新星 2015=V1831 AQUILAE

先月号で紹介したとおり、山形の板垣公一氏は2015年9月27日にいて座新星No.3、翌朝9月28日にはNGC 3430に超新星を発見しました。その頃(9月27日)には台湾付近に向かっていた台風21号が、その後に熱帯低気圧となり、日本海を経て、北海道付近で944hPaまで猛烈に発達していました。西日本もその影響を受け、10月1日昼から2日にかけて、特に10月2日01時頃は強い雨が降りました。その雨も明け方にはあがり、その後の10月上旬は秋晴れの空が続いていました。板垣氏の発見から1週間が過ぎた10月5日22時38分に再び、板垣氏より「わし座に見つけた新星状天体(PN)を中央局の未確認天体の確認ページ(TOCP)に記載しました。詳細はのちほどお送りします」というメイルが届きます。『また新星を見つけたのか。頑張るなぁ……』と思いながら氏からの連絡を待ちました。すると23時16分に「すみません。先ほどの天体は、ASASサーベイにあるV ASASSN-15qdでした」という連絡が届きます。『な〜んだ。これで一件落着か』とこの件は終了したものとそのとき理解しました。

ところが10月7日17時12分に「この前に送ったわし座のPNの件ですが、本日14時21分に中央局から《いつものとおり発見の詳細と観測のすべてを送って欲しい》という連絡がありました。発見報告を書きましたのでグリーンに送ってもらえますか」というメイルが届きます。氏のメイルを見たとき、南あわじに所用があって出かける寸前でした。仕方なく『帰ってきてから処理しよう』と買い物に出かけ、21時すぎにオフィスに戻ってきました。

21時26分になって、板垣氏より携帯に「この前に報告したわし座のPNですが、中央局に報告してもらえますか」という連絡が再度あります。17時12分に届いていた氏のメイルには「この新星状天体は、2015年10月5日22時09分に21cm f/3.0反射望遠鏡で撮影した捜索画像に発見しました。出現の確認を22時21分に50cm f/6.0反射望遠鏡で行いました。そのとき、PNは12.4等でした。過去の画像には写っていませんが、最近の画像はありません。しかし、USNOやNOMADなどの恒星カタログには該当する恒星がなかったのでTOCPに記載した次第です。しかしその後にAAVSOのサイトには、V ASASSN-15qdとして登録があったため、発見を取り消しました」という報告が書かれてありました。しかし報告には、発見画像を掲載しているサイトのアドレスが書かれてありません。そこで板垣氏にたずねるため、氏の携帯に21時38分に電話を入れ、これを確認しました。そして、板垣氏の発見を中央局のダン(グリーン)に送付したのは21時47分のことです。板垣氏からは、21時53分に「中央局への送付を確認した」というメイルが届きます。

すると23時25分に香取の野口敏秀氏から「この天体についてはTOCPに掲載されたのを知って撮ったのですが、そのあとにASASSN-15qdとの追記があったため、昨日は報告しませんでした。1日遅れですが報告します」というメイルとともに「23cm f/6.3望遠鏡で10月6日19時50分に撮影した画像上にこの新星を捉えました。このとき、PNの光度は13.5等でした」という報告があります。氏の報告は23時33分にダンに送付しました。

その夜が明けた10月8日05時12分には板垣氏より「いつも観測をありがとうございます」というお礼状が野口氏に送られていました。この新星状天体は、その日(10月8日)の午後13時32分に届いたCBET 4147に早々と公表されます。それによると、群馬の小嶋正氏などによる9月27日以後の発見前の観測、10月1日のシャピーらによる独立発見など多くの観測が報告されていました。9月末の発見前の観測によると、その頃、新星は明るく10等級であったようです。また、10月5日と6日に岡山の藤井貢氏によって40cm望遠鏡でスペクトル観測が行われ、新星の出現であることが確認されていました。翌10月9日23時39分に新天体発見情報No.226を発行し、板垣氏によるこの発見を報道機関に送りました。10月10日04時30日には、板垣氏より「拝見しました。ありがとうございます。ただ、CBET 4147にて「発見者」になったこと自体が不思議なことです」というメイルが届いていました。『板垣さん。1つ得をしましたね……』。

西暦837年の1P/ハレー周期彗星

今より7年後の2023年末頃にハレー彗星がその遠日点(Q=35.143au;摂動加算値)を通過します。そして再び太陽に向かい始めます。1986年の出現時には「それは、ずいぶん先だなぁ……」と思っていた出来事ですが、だいぶ、そのときが近づいてきました。

ハレー彗星については、過去に悔やまれる出来事があります。1974年夏、天体力学の権威の一人、神田茂先生と上野駅公園口2階の食堂で、故番野欣昭くんとともに食事をしました。神田先生が亡くなられる少し前のことです。神田先生はそのとき「な…中野くん。ハレー彗星の紀元前までの回帰軌道を計算してくれないか」と話されました。そのころは、今のパソコンはない時代、まして、計算に必要な惑星座標データのコンピュータ化など、夢のまた夢の時代です。私は『先生。そんな古いところまでの惑星座標がないのです。そこまでやるには惑星の平均軌道要素から惑星座標を計算しなければなりません。従って、結果は保証できません』と答えました。先生は「それでも良いから計算して送ってください」とのことでした。当時には、すでに私の摂動計算のFORTRANプログラムは完成していました。すぐ計算して先生に結果を送ろうとしていたとき、先生の訃報に接し、先生の手元には届かぬ事態となってしまいました。今でも、このことについて神田先生には申し訳なく思っています。

さて、2015年10月10日05時43分と44分にダンから「西暦837年のハレー彗星について、1つ前のメイルで送った軌道から836年10月1日から837年5月1日くらいまでの毎日の位置推算を計算してくれないか」という依頼があります。届いた軌道要素は、ドン(ヨーマンス)らが1981年に英国王立天文協会発行のMN(Monthly Notice)に発表したものでした。『何だ。私の軌道(NK 866)を採用してくれないのか』と思いながら、位置予報を計算しました。そして『ここにドンらの軌道と私の軌道からの西暦837年出現時の位置予報がある。2つの軌道からの予報位置に大差はない。ただし、NK 886に記述してあるとおり(もちろん、このことはドンや神戸の長谷川一郎氏も指摘している)、ハレー彗星はこの年の4月11日に地球に0.022auまで接近したためか、天体力学では解き得ない原因でその運動を変えた。そのため、西暦760年以前の出現の近日点通過が観測に合うように古在理論(Proc. Japan Academy, 78B, 84-90, 2002)を使用して、西暦837年の近日点通過を837年2月28.14日TT、その運動に−0.221m/sの速度を補正した。もう1つ注意すべきことは、計算された予報位置はET(暦表時;現在の力学時DT(=TT))』によるものだ。この時代に使われていた時刻系との差(今でいうET(DT)−UT)は、とりわけ極めて大きい。従って、もし位置予報と当時の地上からの観測とを比べるときには注意が必要だ」というメイルとともに要求された位置予報を送りました。同日09時28分のことです。なお、その位置予報を見ると、ハレー彗星はその接近時の837年4月10日頃には、太陽から100°ほども離れた位置を動いているのに光度が−2.7等、尾の長さが68°にもなっていました。『すごいなぁ……。さすが世紀のハレー彗星だ。この時代に生きた人は得をしたなぁ……』と思いながら、その結果をながめました。

年が明けた2016年1月12日になって、現在作成している「番号登録周期彗星のカタログ(約250ページの予定)」の校正をアーマ天文台のデイビット(アシャー)氏ら数名の方に依頼しました。1月15日夜、デイビットからその校正が届きます。その中で氏は「1つの小さな意見であるが、ハレー彗星について、西暦837年より以前の出現の軌道要素の表示を、なぜ角度要素で小数点以下3桁に落としてあるのか。他の周期彗星のように出現が確認されていないなら当然だが、ハレー彗星はこれ以前にもその出現が確認されている。それにこの軌道は912年の出現よりあとの軌道と同じものだろう……。おっと……3D-Bと20Dが3P-Dと20Pとなっているよ」ということを指摘していました。

そこで氏には『まず第一にカタログに使用したハレー彗星の連結軌道は、1835年から1994年の観測から計算したものだ。それ以前の軌道(1759年以前)はこの連結軌道から計算したものだ。従って、表示の桁(角度要素で小数点以下5桁)の精度はない。しかし912年までは観測を良く表現しているので、全桁の表記を維持した。しかし、837年4月11.5日に彗星が地球に0.022auまで接近したとき、そのまま連結軌道を積分したのでは、それ以前の出現を表現できなくなった。そこで、古在理論を使用して、過去の出現に近日点通過が一致するように837年の軌道を修正した。そのため、それ以前の表示の桁数を3桁にしたものだ。たとえば、この修正を行わなければ、確認されている最古の−239年の出現は、観測された近日点通過は−239年5月下旬頃なのに、その近日点通過は−239年3月となってしまう……。なお、参考のためにハレー彗星の地球への過去の大きな接近は、西暦374年4月2日に0.085au、607年4月19日に0.093au、837年4月11日に0.022au、1066年4月22日に0.096auだ』というメイルを送りました。

1月27日になってデイビットから「実は今、過去の大きな流星群の出現の中からハレー彗星を起源とする流星群を探しているので、この彗星の過去の軌道には興味を持っていたところだ。メイルに書かれていた過去の地球への大接近は、他の記録とも良く一致しているよ」というメイルが返ってきました。

ぎょしゃ座の矮新星(TCP J05285567+3618388)

2015年10月中旬から下旬にかけては、ほぼ、快晴の空が続いていました。10月22日早朝05時09分には、神戸の豆田勝彦氏から「今朝10月22日のオリオン群の観測です。最微光星6等級、明るい流星がない1時間あたり10個ほどの寂しい出現でした。なお、おうし群がちらほら出ていました。観測地は兵庫県宍粟市千種ゴルフクラブの中です。PM2.5の影響ありましたが綺麗な星でした」という報告があります。

この時期にはスペインのゴンザレスから10P/テンペル第2周期彗星と22Pコップ周期彗星が、それぞれ9等級まで明るくなっているという情報が10月17日01時58分に届いていました。幸い晴天が続いている時期です。それぞれの予報をOAA/CSのEMESで10月22日22時35分に『22P/コップ彗星は10月25日に近日点を通過します。スペインのゴンザレスは、薄明の西の空、低空にこの彗星を捉え、その眼視全光度を10月1日に9.5等、14日に9.0等(コマ視直径5′)と彗星は9等級まで明るくなっていることを観測しました。氏の光度は、HICQ 2015にある予報光度より5等級ほど明るいものです。CCD全光度は、長野の大島雄二氏が9月20日に14.8等、10月14日に14.0等、上尾の門田健一氏が10月12日に12.3等と観測しています。なお、予報光度はゴンザレスの眼視光度に合わせてあります。ただし、天文薄明時終了時の高度は、西の空+10°ほどしかなく、観測は困難でしょう。
10P/テンペル第2彗星は、まもなく11月14日に近日点を通過します。この彗星は、22P/コップ彗星の少し南、西の空の低空を動いています。ゴンザレスは、薄明の中、彗星が10月14日に9.5等(コマ視直径4′)まで増光していることを捉えました。彗星は、近日点通過後に増光する彗星ですが、少し早く増光を始めたようです。今回の回帰は、観測条件が良くありませんが、注意してください。今年後半に入ってからのCCD全光度は、門田氏が7月11日に16.8等、9月12日に14.5等、八束の安部裕史氏が9月13日に14.4等、門田氏が10月18日に12.7等と観測しています。なお、予報光度は、HICQ 2015にあるこの彗星の近日点通過後の光度パラメータの標準等級を2等級明るくして、ゴンザレスの眼視光度に合わせてあります。ただし、天文薄明時終了時の高度は+15°ほどしかなく、同じく観測は難しいでしょう』というコメントをつけて、観測者に観測を依頼しました。

さらに豆田氏からは10月24日09時12分には「明るいオリオン座群の流星が連発という情報が入り、東条まで出かけました。PM2.5の影響で最微光星5等級と悪い条件でしたが、10月24日03時からの2時間で12個。ZHR 25〜30の活動のようです。でも明るい流星は1等級が最高でした。おうし座群の0等級の流星が印象に残りました。今年は、おうし群がやってくれそうです」という情報が届きます。『そうか、デイビットが言っていたように今年のおうし座群の出現には期待できるのか』と思いながらその報告を見ました。

その翌日、10月25日13時20分になって、釧路の上田清二氏から「ご無沙汰しております。昨年の矮新星発見時(2015年5月号参照)は大変お世話になりました。今朝、増光天体らしきものを発見しましたので連絡いたします。今月から105mmレンズを同架している望遠鏡で捜索できないか……と新たな捜索を始めました。撮影プロセスは、すべて手動ですので身体にとっては厳しいですが、良い検索ソフトのお陰で発見できました」というメイルとともに発見報告が届きます。そこには「2015年10月25日02時45分に25cm f/3.4ε望遠鏡でぎょしゃ座を30秒露光で撮影した3枚の画像上に14.2等の新星状天体を発見しました。画像の極限等級は15.7等です。10月12日に撮影した3枚の捜索画像上にはその姿は見られません。なお、DSS画像(Poss2-Red)によると、PNの出現位置の0.2″以内に16.5等級の星があります」という報告がありました。

この日(10月25日)は、自宅で育てている観葉植物モンステラがあまりにも大きくなったため、3つくらいに株分けをすることにしました。そこで、綺麗な植木鉢を探すために南あわじまで出向きました。もちろん、洲本市内にあるホームセンターで探したのですが、中々、気に入ったものが見つからなかったのです。そのため、上田氏の発見を17時37分にダンに送付したあと、南あわじに向かいました。3か所のホームセンターを回り、やっと気に入った白い大きな化粧鉢を見つけました。ついでに別の観葉植物、大きなカラテアを購入しました。最後にイオンに寄って食料品を買い込み、21時20分にオフィスに戻りました。

すると、18時45分に上田氏から「メイルを拝見しました。新星状天体の報告をありがとうございます。TOCPに掲載されていることを確認いたしました。いつも敏速な対応に感謝いたします。釧路は、この時期が年間を通して、寒さ、快晴率、シーイングなどから一番捜索しやすい気候で、晴れておればついついドームに行ってしまいます。今月は13夜の捜索で、寝不足気味が続いてる今日この頃です。では、今後ともよろしくお願いいたします」という報告確認のメイルが届いていました。

その夜の21時43分には、香取の野口敏秀氏から「上田さん発見のPNの観測報告です。23cm f/6.3望遠鏡で10月25日21時00分撮影の画像では15.8等でした。1989年10月4日撮影のDSS(POSS2/UKSTU Red)には、ほぼ同じ位置(0.2″以内)に17.9等の星があります。参考までに比較画像添付します」という観測報告が届きます。なお、この天体の観測は、多くが報告されなかったようですが、矮新星の出現であったようです。

※天体名や人物名などについては、ほぼ原文のままで掲載しています。