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天文雑誌『星ナビ』連載中「新天体発見情報」

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116(2014年10〜11月)

2015年4月4日発売「星ナビ」2015年5月号に掲載

313P/ギブズ新周期彗星(2014 S4 = 2003 S10)

2014年10月19日は、マックに寄って17時25分にオフィスに出向いてきました。この時期は、10月15日頃から続いていた快晴がそろそろ終わり始めていました。晴天が続いていたせいか、前日10月18日22時44分には、群馬の小嶋正氏から「火星に接近中のC/2013 A1を撮影しました。いつもの150mmレンズでは写りませんのでε130(455mm f/3.5)を使いました。予報では、25Dもこの近くにいるはずですが……」というメイルとともに火星に接近したこの彗星の画像が送られてきました。露光6秒で撮られた画像では、大きく輝く火星とともにほんとに小さな彗星がすぐそばに写っていました。

その夜(10月19日)には『軌道を計算しなければいけない』とず〜と思って、ずぼらをしていたギブズ彗星(2014 S4)の軌道を計算しました。19時05分のことです。これは、カテリナ・スカイサーベイの68cmシュミットで2014年9月24日にくじら座を撮影した捜索画像上に、ギブズ氏によって発見された19等級の新彗星でした。発見時、彗星には恒星状の10″の淡いコマと西に細い尾がありました。翌日9月25日にレモン山の1.5m反射望遠鏡で行われた確認観測では、西に伸びた20″の尾とわずかに楕円形をしたコマが見られました。東京の佐藤英貴氏も、9月26日にサイディング・スプリングにある51cm望遠鏡で観測を行いました。このとき、ほとんど恒星状でコマから西に5″ほどの尾が伸びているように見え、その光度は19.2等と報告されました。発見後、9月14日にカテリナ・サーベイで行われていた捜索画像上に発見前の観測が見つかり、周期が約5年半ほどの新周期彗星であることが判明しました。さらに、Pan-STARRSサーベイから2014年8月6日と18日、そして、9月3日に行われた捜索画像上に見つかった発見前の観測が報告されました。また、発見後の追跡観測は、レモン山サーベイから2014年10月2日までの観測が報告されていました。つまり、私が重い腰を上げて初めてこの彗星の軌道を計算したとき、すでにその観測期間が約2か月間にも延びていたことになります。

計算のあと、19時40分に一旦オフィスを離れ、南淡路の病院に入院している母を見舞いに出かけ、イオンで食料品を購入して21時00分にオフィスに戻ってきました。そして、出かける前に行った改良軌道から過去にその出現が捉えられていなかったか、その同定を調べました。もちろん、発見後1か月が過ぎ、その観測期間も2か月もあるのです。もし同定があれば、誰かが見つけているはずです。そのため、収穫を期待してはいませんでした。

ところが……です。サーチリストには、同定可能な2つの天体がありました。これは予想外の大収穫でした。それらの2個の天体は、2003年にローエル天文台でスキッフが9月22日に発見していた一夜の天体(59M1KV)と、ファンネスが11月23日に発見していた一夜の天体(5BN0CC)です。これらの観測は、彗星の周期から2回帰前の出現であったことがわかります。2014年の観測から決定した軌道からの2003年の観測のずれは赤経方向に-0°.06、赤緯方向に-0°.02で、これは近日点通過時刻の補正値にして、ΔT=-0.17日でした。また、このときの光度は、それぞれ18.4等と18.2等と報告されていました。

さっそく、これらの2003年の観測を含めた64個の観測から連結軌道(NK 2789)を計算しました。そして、同定に漏れがないか再度チェックを行ったあと、22時06分にダン(グリーン)に送付しました。このメイルは、過去の画像に彗星が写っていないかを調べてもらうためにマイク(メイヤー)にも送っておきました。なお、彗星はこのとき、2003年6月19日に近日点を通っていました。そのため、約5か月後の2003年11月になっても、18等級という比較的明るい光度で捉えられていたことになります。その次の近日点通過は2009年1月18日でした。しかし、この年(2009年)は観測条件が悪く捉えられていませんでした。また、この彗星の同定を見つけたことをEMESで仲間に知らせました。22時25分のことです。

その夜(10月19日)23時26分には、山形の板垣公一氏から「拝見しました。これは“おめでとう”が似合う成果だと思います。私には想像もできませんが、高度な緻密な計算により導き出されたものと思います。中野さんの頭脳は、今も“ばけもの”ですね。その点、私の頭脳は“ぼけもの”が進行中です。いつまでも元気でご活躍を祈ります」というお祝いのメイルが届きます。『板垣さん。冗談を言わないで頑張ってください。私の頭も“ぼけもの”になってきました……』。さらに10月20日01時48分には、マイクから「おめでとう。念のため、2004年初頭のNEAT画像を調べたが20等級より明るい天体はなかった。DSS(Digital Sky Servey)も調べたが、天体は見つからなかった」という連絡が届きます。

この同定は、10月20日10時01分に到着のCBET 4003で公表されました。その後も、東京の大塚勝仁氏から「同定、おめでとうございます。この軌道を見ると外縁部の小惑星の族と似ていますね」というメイル、さらに10月27日になって佐藤氏からも「先日のP/2014 S4の同定、おめでとうございます。この彗星はP/2012 T1とよく似た軌道の非テミス族メインベルト彗星なので、発見時から注目していました。学術的に重要な天体と思われるので、軌道の正確な決定は大いに助けになると思います。なお、この彗星の画像や火星との接近を終えたC/2013 A1、南天に去ったC/2013 V5などの画像をお送りいたします」というメイルも届きました。佐藤氏には、翌日10月28日になって『画像をありがとう。観測されたP/1997 G1は初観測ですか。それとも報告を見逃しましたか』というメイルを送っておきました。

明るい超新星 2014dt in M61

10月29/30日の夜は、全国的によく晴れていました。その日の朝(10月30日)05時40分に山形の板垣公一氏より携帯に電話があります。なぜか、しどろもどろの状態で「今、栃木にいます。同級会を抜け出して観測所に来ました。今、メイルを送りましたが、送り方がわからなかったので、うまく届いていますか……」とたずねます。『どうしたのですか。栃木からもいつも送ってくるでしょう』。「いや、○○メイルなので……」。会話をしながら着信リストを見て『あぁ…、着いていますよ』と何か訳のわからない会話が続きます。そして最後に『はい…はい……。ちゃんとやっておきますから……』という会話で話が終わりました。

氏からのメイルは会話中の05時41分に届いていました。そこには「2014年10月30日05時06分に高根沢の観測所で50cm f/6.8反射望遠鏡+CCDを使用して、おとめ座の銀河群にあるNGC 4303(=M61)を撮影した捜索画像上に明るい超新星状天体(PSN)を発見しました。光度は13.6等です。超新星の出現は、発見後に撮影された5枚の画像上に確認しました。銀河核から東に34″、南に7″離れた位置に出現しています」という発見報告でした。M61は、銀河系から約5500万光年にある光度が10等級の大きな渦巻銀河です。これまでに超新星1926A、1961I、1964F、1999gn、2006ov、2008inが出現しています。これらの超新星のうち、最後の2個は板垣氏の発見によるものです。15分後の05時56分には、発見画像を入れたウェッブサイトのアドレスの通知が「違うパソコンから画像をアップロードしました。すみません。これで宿に戻ります」という連絡とともに届きます。画像を見ると、超新星は銀河核ほど明るく、その腕のそばに輝いていました。この氏の発見は06時02分にダンに送付しました。ダンは光度を見て驚いたのか、その10分後の06時12分に「このエリアを動く小惑星を調べたのか」というメイルが届きます。しかし私は板垣氏の発見を報告した後デスクから離れ、そのメイルを見たのは6時間ほど後のことでした。

おひつじ座の矮新星 PNV J03093063+2638031

その間に釧路の上田清二氏から11時57分に「昨夜の新星サーベイで新天体を発見しましたのでご報告いたします。初めての発見で報告が大変遅くなりましたが、よろしくお願いいたします」というメイルとともに、板垣氏の天体とはまた別の発見報告が届きます。そこには「105mm f/2.5レンズとデジタル・カメラを使用して、10月30日00時06分に30秒露光でおひつじ座を撮影した3枚の捜索画像上に11.2等の新星状天体(PN)を見つけました。画像の極限等級は12.9等です。このPNの出現は、04時32分にε250(25cm f/3.4)+デジタル・カメラで撮影した3枚の画像上に確認しました。この間の移動はありません。なお、このPNは、10月22日と10月27日に行われた捜索画像上には見られません。変光星、小惑星、DSSはチェック済です」という発見報告がありました。上田氏は、以前には小惑星発見に大いに活躍し、札幌の金田宏氏とともに日本の小惑星発見をリードしてきました。お二人は1987年から2000年にかけて1456個の新小惑星を発見し、それらの中で現在までに708個の番号登録小惑星に命名権が与えられています。

実は、このとき06時12分に届いたダンからメイルに気づいたのです。そこでダンには12時46分に「たった今、小惑星を調べたが発見位置には小惑星はいない」という結果を返しておきました。そして、上田氏の発見を13時57分にダンへ送付しました。上田氏には15時02分になって『お元気のことと存じます。中央局への報告と未確認天体確認ページ(TOCP)へ掲載をしておきました』と連絡しておきました。15時26分には、東京の佐藤英貴氏より10月28日の私の質問について「P/1997 G1はスペースウォッチの検出を受けての確認観測です。予想外に明るかったので、ねらっておけばよかったです。P/2005 Q4もそうでしたが、最近、このような周期彗星が多いです。P/2008 WZ96はまだ微光星が多い領域にいて、三夜の観測では見つけられません。予報位置からあまりずれてはいないと思うのですが……。135Pと206Pにもだいぶ投資しましたが、今回帰は写っていないようです。今年に検出可能な軌道が良く決まっている彗星は、他にP/2008 QP20、P/2009 Q4くらいでしょうか。ただ、ともに西に低くて難しい対象です。なお、C/2014 Q3は明るめの報告が多いですが、CCDではC/2014 R1の方がだいぶ明るく、大きく写ります。空の良いところでは2014 R1は11等か、それよりも明るく眼視観測されそうに思います」という返答が届きました。

その日(10月30日)の夕方の19時10分に上田氏から「中央局への報告とTOCPへの掲載、ありがとうございました。新星捜索は2009年から開始し、5年目での発見です。やっと見つけることができたか……という感じで、大変うれしく思っております。これからも無理をせず楽しみながらやっていきますので、ご指導のほどよろしくお願いいたします。お礼まで……」というメイルが届きます。『えぇ…、何も気づかない間に5年間も新星捜索されていたのか……』と思いながら、氏のメイルを読みました。19時55分には、板垣氏より「こんばんは。報告を拝見しました。このたびは、何かと不備な報告になってしまいすみませんでした。昨日、中学校の同級会を栃木県の温泉宿で行いました。宴会後、ひとり抜けだし私の天文小屋に……。酔いも醒めた明け方近く、運よくPSNを見つけました。今日は日光の素晴らしい紅葉を観て……。先ほど家に戻りました。ありがとうございました」というメイルが届きます。『何だ。それで様子がおかしかったのか』と納得しました。

上田氏のPNは、香取の野口敏秀氏から21時30分に「板垣さんのPSN、上田さんのPN情報をありがとうございます。香取は雲に覆われてきましたが、わずかな隙間からPNだけは確認できました。しかし、明朝のPSNはちょっと難しい状況です。さて上田さんのPNですが、1989年撮影のDSS(POSS2/UKSTU Red)で確認するとほぼ同じ位置に16.7等の星が存在しています。分光フィルタがあればより詳しく観測できるのですが……」というメイルとともに10月30日20時18分に11.2等であったことが報告されます。氏の観測は、22時18分にダンに送付しておきました。なおこのPNは、10月31日に行われたARASグループのスペクトル観測によって、矮新星のアウトバーストであることが報告されています。

再度、明るい超新星 2014dt in M61

板垣氏の超新星は、それから約1日半後の11月1日14時15分到着のCBET 4011でその発見が公表されます。明るい超新星にしては、その間、こちらには報告がありませんでしたが、CBET 4011には発見1日後までに国内外の観測者によって13等級で観測されていることが伝えられていました。10月31日UTにアジアゴの1.82m望遠鏡でスペクトル確認が行われ、Ia型の超新星らしいとのことです。この発見は18時33分発行の新天体発見情報No.218で報道各社に伝えました。その夜、22時04分には「こんばんは。拝見しました。ありがとうございます。札幌のホテルから……」という連絡が板垣氏より届きました。また11月2日14時30分には、野口氏から「新天体発見情報No.218を受領いたしました。ありがとうございます。板垣さん。98個目ですね。おめでとうございます。私は、15年ほど使い続けてきた冷却CCDカメラを新しい機種に交換しました。捜索用に適したチップを搭載した機種が少なく苦慮しましたが、少しでも捜索効率を上げるため、FLI社のCCDにしました」というメイルも届きます。

※サイデング・スプリング(Siding Spring)の表記について

先月号の原稿の中でこの地名が編集部によって、すべてサイディング・スプリングと直されていましたが、私は、上の表記を使っています。これは、1985年から1995年まで足掛け11年間(切れ目がある)、現地に居住していたデイビット・アシャー博士からの進言です。博士は、どちらでも良いが、サイデングの方が当地の呼び方に似ていると判断していることによります。また、本誌で使用しているGarraddのカタカナ表記は、正しくはガラッドと言います。アシャー博士は、ガラードでも良いが、ガラッドの方がより近いとのことです。私も、当地で彼(ガラッド)とともに何日か過ごしたことがありますが、博士の意見に賛成です。なお、これらは博士がご自分でカタカナで書かれたものです。

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