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天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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066(2010年1月)

へびつかい座新星Nova Oph 2010 = V2673 Oph

2010年1月16日朝は、08時35分に業務を終えて09時10分に自宅に戻りました。空は曇っていましたがところどころに晴間も見えていました。自宅に戻ると、やっと私の自由時間です。いつもなら松戸の太田原明氏が送ってくれたDVDを見るのですが、それもなくなりました。『今日は、何をしようか』と思っていると、10時12分に携帯が鳴ります。掛川の西村栄男氏からの電話でした。『どうかしましたか……』とたずねると、氏は「はい。今朝、05時過ぎにへびつかい座を撮影した捜索画像上に新星状天体(PN)を見つけました」と話します。『今、自宅にいますが報告を送ってください。ここで処理します』と答えました。

西村氏からは、10時30分に「先に画像をお送りします。昨日(1月15日)にも2枚撮影しましたが、その内の1枚にかろうじて写っていました。極限等級とほぼ同じで9.5等です。すぐに詳細をお送りします」と書かれたメイルとともに1月16日に撮影された捜索画像が届きます。そして、10時41分に発見報告が来ました。そこには「Canon EOS 5Dデジタル・カメラとミノルタ120mm f/3.5望遠レンズを使用して、1月16日早朝05時33分にへびつかい座を13秒露光で撮影した2枚の捜索画像上に8.4等の新星らしき天体を発見しました。この星の出現位置は赤経17h39m41s、赤緯-21゚39'47"で、発見後の05時44分に撮影した2枚の画像上にも確認できます。極限等級は10.5等級でした。なお、小惑星でないことは確認しました」と書かれてありました。さらに11時20分には「過去画像を調べてみました。発見前々日の1月14日に同領域を捜索していましたが、その画像上には、9.5等級より明るい新星の姿は見られませんでした。また、2009年1月から11月までに行った多くの捜索画像上にもその姿はありません。しかし、発見前日の1月15日朝には、この新星はほぼ極限等級と同じくらいの明るさで写っています。のちほど画像を送ります」という過去画像の調査が届きます。そして、11時28分には、その1月15日05時46分に撮影された画像が送られてきました。

さっそく西村氏から送られて来た画像からその出現位置と光度を測定しました。1月16日の発見画像からこの星の出現位置は17h39m40s.90、-21゚39'50".5で、光度は8.8等、画像の極限等級は11.0等でした。そして、発見前日1月15日の画像では、この星の光度は10.1等、極限等級は10.6等でした。もちろん、氏の発見は、12時10分にダン(グリーン)に報告しました。そこには『今、自宅にいるので、AAVSOのウェッブサイトで発見位置に変光星がないことを確かめられない(サイトアドレスがわからない)。変光星のチェックを頼む』と伝えておきました、

その夜(1月16/17日)にオフィスに出向くと、19時29分に西村氏から「新星らしき天体ですが、さっそく処理いただきありがとうございました。お休みになる時間帯にお願いし、申し訳ありませんでした。天体の位置が低いのでスペクトルが撮れるか心配です」というメイルが届いていました。その夜、1月17日00時56分に上尾の門田健一氏から「こちらは、風が弱く快晴です。薄明中の観測になりそうですが、PNが昇ってきたらねらってみます。高度が低いため、ルーフまたは電柱にじゃまされるかもしれません」というメイルが届きます。どうも、新星状天体は、門田氏の方で確認できるようです。そのため、氏からの報告を待つことにしました。

超新星2010F in NGC 3120

さらに門田氏からは、01時57分には「撮像中です。銀河中心から250゚ほどの位置角にDSS(I, 1993)、(R, 1992)に存在しない恒星が写っていますね……」という連絡があります。『うぅ〜ん。銀河……、これは何のことじゃ……』と思いました。そのわけがすぐわかります。その5分後の02時02分のことです。携帯が鳴ります。山形の板垣公一氏からです。「NGC 3120に超新星を見つけました。今、発見報告を送りました。ちょっと前に門田さんに確認を依頼しました」と連絡があります。メイル・フォルダーを見ると、氏のメイルが02時01分に届いていました。そこには「栃木県の観測所で30cm f/7.8反射望遠鏡を使用して、2010年1月17日00時58分にポンプ座にあるNGC 3120を20秒露光で撮影した捜索画像に16.2等の超新星を見つけました。この超新星は、その後の60分間に60秒露光で撮られた10枚以上の画像上に確認しました。その間に移動は見られません。画像の極限等級は19等級です。今、栃木の観測所にいるために最近の画像がわかりませんが、この超新星の姿はDSSには見られません。また、2006年3月5日に撮影された捜索画像上にもその姿がありません。なお、発見済の超新星は2010Dまで調べました」という発見報告があります。そこで氏の発見を03時11分にダンに報告しました。

すると、そのわずか6分後の03時17分に門田氏から「板垣さんから連絡を受けたPSNを確認しました。以下の位置に恒星が存在します。DSS(I, 1993)、(R, 1992)には、写っていません。超新星の光度は16.0等でした。撮影機材は25cm f/5.0反射+CCD(ノーフィルター)で、120秒露出の10フレームをコンポジットして、位置はGSC-ACT、光度はTycho-2(V等級)で測定しました。極限等級は18.4等でした」という確認報告が届きます。『ありゃ……、何とスムーズに確認できたものか……』と思いながら、門田氏の確認観測をダンに連絡しました。03時31分のことです。すると、ダンから03時43分に「DSSの極限等級を知らせろ」という請求があります。そこで、これを門田氏に03時46分に送付しました。門田氏からは04時23分に「20.9等と20.7等です」と連絡がありますので、これを04時34分にダンに知らせました。

ところが……です。その6分後の04時40分にダンから「Hi, Syuichi. Itagakiの発見したこの天体は、すでに発見されているSN 2010Fで、それはCBET 2135に公表されている。しかし、スペクトル観測が報告されてきたとき、これらのすべての情報を取り上げることにしよう」。さらに、へびつかい座の新星状天体について「その後の情報がないのか」と書かれたメイルが届きます。そのため、04時58分にダンに『ごめん……。Itagakiは「その報告でSN 2010Dまでは調べた」となっている。その後に2010Eと2010Fが発見されていたことに気づかなかった。Yes、へびつかい座のPNについては、これから確認作業を行うつもりだ。しかし、この天体は、明け方の東の空、低空にあるためにもうしばらく時間がかかる。ちょっと待ってくれ……』というメイルを送っておきました。ダンへのメイルのとおり、板垣氏の発見報告をよく見ると、発見済の超新星のチェックは2010Dまでとなっています。そのSN 2010Dの発見は、1月12日02時31分到着のCBET 2119に公表されています。そして、その後にもSN 2010Eと2010Fが発見されています。SN 2010Eの発見は1月13日12時11分到着のCBET 2121、SN 2010Fの発見は、ダンのメイルにあるとおり、板垣氏の発見、約44時間前の1月15日06時41分到着のCBET 2125に公表されていました。板垣氏は、栃木の観測所に移動する際の時間的ロスのため、これらの情報を見落としていたのでしょう。多分、ダンは、板垣氏が発見した超新星を中央局の未確認天体リストに入れるためにそのファイルを編集しようとしたとき、板垣氏の発見したこの超新星がすでに発見されていたことに気づいたのでしょう。

再び、へびつかい座新星Nova Oph 2010 = V2673 Oph

05時24分になって、門田氏から「高度7゚の低空のゆらぎのため、写りはボケていますが、報告の位置にDSSに写っていない、明るい恒星が存在しています」という確認報告があります。そこで05時31分に『了解しました。報告を待っています。近接星があれば、それと、DSSの極限等級をお知らせください』という連絡をしておきました。しかし、最初に確認観測を送ってきたのは板垣氏でした。氏は06時05分に「先ほどはすみませんでした。今後気をつけます」というメイルとともに「PNの確認です」という報告に続けて、「1月16日朝05時32分に新星の出現を確認しました。光度は8.4等、出現位置は下のとおりです」という報告とともに新星の出現位置が掲げられていました。続いて、06時28分に門田氏から「同日05時38分に撮影された画像上に出現を確認しました。PNの光度は8.2等と測光しました。USNOカタログ上にこの新星の出現位置からわずかに1".7離れた位置に17等級の恒星があります」という報告とその出現位置が書かれてありました。確認を待っていたダンにこれらの情報を連絡しました。1月17日06時42分のことです。両氏の光度観測によると、新星は、発見時よりわずかに増光しているようでした。

門田氏からは、06時47分に「薄明中の低空で、こちらはギリギリでしたが栃木観測所の視界は開けているのですね。気温はマイナス3度で、朝焼けがきれいです」という連絡があります。さらに06時56分には「迅速な対応ありがとうございました。西村さん。おめでとうございます(仮)。疲れのためか、いつもより測定に時間がかかってしまいました。そろそろ作業を終えます」という連絡も届きます。そこで門田氏には07時06分に「ご苦労様でした。板垣さん。超新星は残念でしたね。新星の画像を見ると、上尾の25cmと栃木の30cmは、どっこいどっこい撮れていますね。上尾の空の悪さは、画像処理でカバーされているようです」という返事を送っておきました。すると、ダンから07時06分に「Good。Kadotaは、1997年のDSSの極限等級がわかるのか」というメイルが届きます。これには、07時19分に『Kadotaは、極限等級を報告してこなかった。私が見たところでは、多くの微光星があるが、極限等級は20等級だろう。ところで、観測者がDSSの極限等級を知るためには、DSSのイメージを彼らの位置測定ソフト上に移してこなければいけない。さらに、ソフトのデフォルト値(観測に使っている)を変更しなければならない。したがって、これには、若干のめんどうが生じるだろう』という返事をしておきました。07時37分には、西村氏からもこの日の朝の観測が届きます。氏による光度は8.0等くらいでした。ダンは、09時11分到着のCBET 2128でこの新星の発見を公表してくれました。

その日(1月17日)の夜は19時55分に自宅を出て、南淡路に出かけ買い物とガソリンを入れて、最後に洲本のジャスコに寄って22時00分にオフィスに出向いてきました。すると、その日の昼、12時46分に板垣氏から「昨夜は2つの大きなミスをしました。1つはNGC 3120の超新星です。すでにSN 2010Fとして公表済でした。本当にすみません。こんなミスは初めてです。もう1つは新星の出現星座名を間違えました。2日続けての徹夜のせいかもしれませんが。ボケの進行が感じられます。残念です。まもなく栃木を離れ、山形に戻ります」というメイル、15時16分には、西村氏から「へびつかい座の天体はまだスペクトルで確認されていないようですが、新星にほぼ間違いないと思います。今回も、中野さんをはじめ、板垣さん、門田さんの迅速な処理で発見者となれるようです。本当にありがとうございました。思いかえすと、1994年の「中村・西村・マックホルツ彗星(1994 N1)」で初めて中野さんにお世話になり、新星では2003年の「たて座新星」から8年間、毎年ご処理いただきました。新星の捜索を始めるときに、一生かけても、本田実さんと同じ11個の新星を発見できればとがんばってきました。それがどうにか今回で達成ができました。この11個の新星は、中野さんのご配慮がなければ絶対に到達できなかったと思っております。メイルで申し訳ありませんが、厚く…厚く……お礼申し上げます。それに比べ、中野さんのお役に立つことができなくて申し訳ないといつも思っております。まだまだ、寒い日が続きますのでお体にご注意下さい。ありがとうございました」というお礼状が届いていました。

オフィスへ出向いてきて、最初の仕事は『新天体発見情報No.155』を報道各社に送ることです。22時47分にそれを発行すると、23時02分に門田氏から「どうもお手数をお掛けします。昨夜は疲れのため集中力が続かない状態でしたので、DSSの測定は見送らせていただきました。おっしゃるとおり、スケールの違いに加えて恒星が2万カウントほどで飽和しているため、測定には時間が掛かり確認観測と同時対応は場合によってはきついかもしれません。あらためてDSS(R, 1997)を確認しました。発見時に報告を受けたような明るい星は写っていませんが、ごく近い位置にやや暗い恒星が存在しましたので、測定しました」と測定値が届きます。西村氏には23時08分に『ただ今、新天体発見情報No.155を発行しました。ごらんください。そうですか、本田さんに並びましたか。お二方とも、ずいぶんたくさん発見したのですね』という返事をしておきました。門田氏の報告は23時25分にダンに伝えておきました。しかし、この日は早起きしたせいか、いったん自宅に戻り眠ることにしました。再びオフィスに出向いてきたのは、その夜の03時50分のことでした。

カテリナ彗星(2009 O2)とマックノート彗星(2009 K5)の再観測

2010年1月26日06時45分、上尾の門田健一氏から1通のメイルが届きます。そこには、すでに観測可能域に入っていたカテリナ彗星(2009 O2)の1月25日と26日の観測がありました。といっても、この彗星は、1月25日の観測時(05時33分JST)には地平高度が+7゚.5しかありません。しかも、上尾では天文薄明が05時20分にすでに始まっていました。カテリナ彗星は、2009年10月11日に観測された後いったん太陽に近づき、観測が止まっていました。しかし、後述のマックノート彗星とともに、今年度(=2010年)に明るくなることが期待されていました。氏の報告によると、彗星には60"を超える明るいコマがあり、そのCCD全光度は、それぞれ13.2等と13.0等とのことでした。そこで、軌道を再計算するとともに、門田氏の再観測をOAA/CSのEMESで仲間に知らせました。1月26日08時36分のことです。そこには『上尾の門田健一氏は、明け方の空、東の低空にあるカテリナ彗星を2010年1月24日UTに再観測に成功し、翌25日にこれを確認しました。彗星には、それぞれ、1'.1と1'.3の明るいコマがあり、そのCCD全光度は13.2等と13.0等とのことです。この門田氏の観測によって、今年3月には8等級まで明るくなる期待が持てることになります。なお、カテリナ彗星は、近日点通過頃の3月25日に地球に0.81AUまで接近します。次の軌道(NK 1874)は、2009年7月27日から2010年1月25日までに行われた189個の観測から計算したものです。彗星は、2009年4月1日に木星に0.24AUまで接近していました。観測計画を立てるため、2010年3月までの位置予報を掲げます。なお、3月中旬以後は、夕方の空に見えるようになります。4月1日の天文薄明終了時に、夕方の空での地平高度が25゚になります』という注釈を入れました。なお、07時23分にスペインのゴンザレスに『門田氏がカテリナ彗星の再観測に成功したこと。眼視観測して欲しいこと』を連絡しておきました。1月28日02時59分になって、門田氏から「C/2009 O2の観測を早々に公表していただき、ありがとうございました。予報より少し明るかったようですね。1月24日(日)の早朝に捉えていたのですが、恒星に重なって測定ができませんでした。翌日と翌々日は、平日の早朝でしたが、仮眠を取って明け方に起きて観測しました。27日(水)の早朝に、C/2009 K5を観測してみると、明るく集光した姿が写りました。今夜は曇天ですので、1夜ですがとり急ぎ報告しました。平日3日続けての明け方観測でしたので、今夜はそろそろ作業を終えます」というメイルが届きました。なお、この彗星は、ほぼ予想どおりの2010年3月には9等級の明るさになりましたが、その後は減光し、2010年4月5日以後の観測は報告されていません。

ところで、門田氏のメイルにあるマックノート彗星(2009 K5)も今年(=2010年)に明るくなることが期待される彗星でした。門田氏は、1月27日朝にこの彗星も捉え、その報告が1月28日02時36分に届きました。マックノート彗星も2009年10月以後、太陽に近づき、その観測は2009年10月18日の観測を最後に止まっていました。2010年1月27日の朝には、天文薄明時の地平高度はまだ+8゚.6でした。門田氏の観測によると彗星のCCD全光度は12.1等、90"ほどのコマが見られるとのことです。もちろん、軌道をすぐ再計算しましたが、2夜目の観測が届くまでEMESでの公表は控えました。しかし、ゴンザレスには、05時42分にこのことを連絡しておきました。そして、06時21分、門田氏に『実は、天文ガイドの「彗星ガイド」は、とっくに原稿を書き終わっている日でしたが、幸いにも、遅れに遅れていましたので、ちょうど入りました。ありがとうございました。でも、星ナビには申し訳ないです。何か、ニュースを横取りしたようで……。いつもですが……。次は、C/2009 R1ですね。また、がんばってください』というメイルを送っておきました。07時33分、ゴンザレスから返信が届きます。そこには「2つの彗星を1月下旬の観測リストに入れた。しかし、ここは今月は天候が悪い。来月には回復することを期待している」と書かれてありました。それから約2日後、1月30日03時40分に門田氏からこの彗星の2夜目の観測が届きます。そこで、軌道を再計算して、門田氏がマックノート彗星も捉えていたことを仲間に知らせました。そこには『上尾の門田健一氏は、C/2009 O2に続いて、明け方の東の空、低空にあるマックノート彗星の再観測に2010年1月26日UTに成功し、28日にこれを確認しました。氏のCCD全光度は、それぞれ、12.1等と11.9等でした。米国のヘールは、1月27日にその眼視全光度を11.5等と観測しています。これらの観測によると、この彗星は、4月から5月にかけて8等級まで明るくなるでしょう。彗星には、中央集光と明るいコマが見えるようです』と添書きをつけました。1月31日08時38分のことです。なお、マックノート彗星は、2010年3月から6月にかけて予想どおり8等級まで明るくなりました。

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