天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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ふたご座流星群とこぐま座流星群 Geminids & Ursids in 2006

2006年12月12日到着のCBET 773には、SETI研究所のジェニスケンスらによるふたご座流星群とこぐま座流星群の2006年の極大時刻の予報が掲載されていました。そこには「母天体(3200)フェートンの軌道から計算されたふたご座流星群の極大は、2006年12月14日17時48分頃(JST)で、出現数(ZHR)は130個と予報されている。また、こぐま座流星群については、ヘルシンキのリティネンらは、母彗星8P/タットル周期彗星から75公転前(西暦996年)に放出されたダスト・トレイルが、2006年12月23日04時27分(JST)ごろに地球に遭遇し、地球は、前後約80分の間、その中を通過する。その輻射点は、α=217゚.56、δ=+74゚.93、VG=33.83-km/sで、予想される出現数はZHRで約35個くらい。これは、通常の出現数の3倍くらいとなる。ジェニスケンスも、この群の2006年の極大は12月23日02時38分で、出現数はZHRにして39個ほどではないかと予測している」ことが公表されていました。こぐま座群の予報は、12月21日朝発行の山本速報No.2537に『このYCが12月22日に到着する地域では、12月23日朝の観測をお願いしたい……』という要望を掲載しておきました。しかし、そのためには、YCは12月22日までに届いて、他に情報源のない方がそれを目にしてくれなければなりません。つまり、1日の猶予しかありませんでした。したがって、この号が実際に届いた地域は中部〜中国地方に限られてしまいました。また、ともに発行された山本速報No.2538には、マックノート彗星(2006 P1)の最大光度は−8等級まで明るくなるという予報をその光度曲線とともに掲載しました。

ところで、CBET 773が到着したころは、ふたご座流星群の出現がすでに活発になり始める時期でした。そこで『本当かな……』と思って、その観測報告を待つことにしました。しかし、ふたご座流星群の極大時期である12月中旬ごろは、多少の晴間もありましたが、曇天・雨天と天候が優れませんでした。12月17日夜、雨が降っている中、22時55分にオフィスに出向いてくると、その日の朝08時22分に神戸の豆田勝彦氏からFAXが届いていました。そこには「神戸市北区大沢町で、12月12日・14日・15日夜にこの群の観測を行ないました。しかし、今年は、ふたご座流星群の活動の時期としてはちょっと記憶にないほどの悪天候でした。空も、もやもやで春がすみのような空でした。ふたご座群の活動は、ZHRにして12/13日に25個、14/15日に90個、15/16日に35個とほぼ例年並の活動のようでした。なお、14/15日の夜半ごろには、1分間に2個程度の出現があったとの情報もあります。例年のような晴天続きの空では、たぶん14/15日にHR100ほどの出現があったものと思います。こぐま座群に期待します。なお、観測地はいつもの八多町ではありません。もやを避けるため、少し海抜の高いここに来ました」と報告されていました。氏の観測によると、ふたご群はほぼ予想された時刻に極大があったようでした。

12月21/22日深夜には、バンコクに滞在の蓮尾隆一氏から「2006 P1がSWAN上に見え始めた」という電話があります。もちろん、氏の言うSWAN画像を見てみました。SWAN画像上で、彗星は、太陽の光芒から抜け出し明るい光点として写っています。そこで、22日02時04分、このことをダン(グリーン)とロブ(マックノート)にその光度予報とともに連絡し、02時20分に蓮尾氏にも『情報をありがとうございます。何等くらいなんですかね。3.5等だと−12等までいきます。5等くらいだと、−8等級でしょうか。電話で申し上げた山本速報No.2538を添付します。ご覧ください。以下に南半球での予報をつけます』というメイルとともに光度予報を送っておきました。ロブによると、「ワトソンからも同じ情報を報告してくれた」とのことでした。

さて、こぐま座流星群の極大日である12月23日は、日本学術会議が主催する「太陽系天体の名称等に関する検討小委員会」に出席のために東京に出向かねばなりません。そのため、この夜(12月22/23日)は23日00時21分に蓮尾氏より「ちょっと早く帰ってきたのでSWANの画像を見たら、黄経270゚、黄緯+15゚くらいのところに明るくて左上に(北西)移動しているものがあります。山本速報を見ましたが、このふきんに明るい彗星はいないようです。何でしょう。バンコクにいるのもわずかになり、いろいろとたまっているものを次々と捨てているところです」というメイルを受け取ったあと帰りしたくを始めました。ただ、今頃になって気になるのは、この氏のメイルに返答したという記録がありません。『蓮尾さん。もしそうならごめんなさい』。そして、少し早めに仕事を切り上げ、04時45分に自宅に戻りました。空は良く晴れていました。誰かこの群を観測しているかもしれません。

この日は、朝09時00分発の高速バスで神戸空港に向かい、東京本郷で行なわれた会議に出席し、関西空港に戻り、22時40分着の高速船で洲本港に戻ってきました。そして、オフィスに出向いて来ました。すると、この日の朝11時58分に豆田氏より一通のFAXが届いていました。そこには「12月23日未明のこぐま座群に注目してみました。観測地は河東郡東条町です。観測が可能だったのは、12月22日23時10分から23時50分だけで、全流星が18個。その中でこぐま群と思われる流星は1個だけでした。12月22/23日23時50分以降は、雲のために星がときどきチラホラと見える程度の悪条件でした。29時までねばりましたが、とうとうまともに星を見ることができませんでした。薄雲であったために、1等星がときどき見えたり、北斗七星やぎょしゃ座やうしかい座が見えたりしましたが、流星は1つも見えず大出現の様子がないことを確認してさびしく帰路につきました。夕方の快晴が嘘のような天候の急変。せっかく仕事を早く終えて23日も休みをもらってはりきっていたのにがっかりです……」と報告されていました。『あれ……、東条町はここから北に60-kmくらいしか離れてない。洲本は晴れていたのに……』と私も残念でした。そして、仕事を始めようとしましたが、すでに1日以上起きていたのに耐えられず23時50分に自宅に戻り、睡眠につきました。歳を取るにしたがって体力がなくなってきたようです……。

12月24日夜は、ジャスコで食料品と夜食を購入し、22時30分にオフィスに出向いてきました。すると、その日の朝の10時30分に羽曳野の上田昌良氏から一通のメイルが届いていました。氏は、東亜天文学会の流星課長です。ここから70-km東にある羽曳野は晴れていたようです。どうも当日朝は、近畿地方の北部側の天候が急速に悪化していったようです。『豆田さん。南下すれば良かったのに、北に昇ちゃった』と思いながら、氏のメイルを見ました。そこには「羽曳野にて自動TV観測を行なった結果を連絡します。こぐま座流星群は、12月22/23日の夜に小出現がありました。広角レンズ(写野56゚×43゚)での撮影では、同群はマイナス等級の明るいものはなく、2等の流星が主に出現していました。これは、最微星が6.5等の望遠レンズ(写野30゚×22゚)で撮影した結果からも同様でした。22/23日は透明度の悪い空で01時と02時は曇りました。当夜の同群流星の撮影数は、広角カメラで、夜半前と夜半後にそれぞれ4個、望遠レンズでは、19時台に2個、27時以後、29時37分までに8個の同群流星が出現しました。なお、前後の夜は、12月20/21日18時11分〜29時35分JSTの一晩に広角レンズでの自動TV観測で12個の流星が写り、こぐま座群は1個(雲量5)、23/24日18時13分〜29時50分の一晩に10個の流星が写り、その内、こぐま座群は0個(同4)でした。2004年と2005年の同群の極大日は、こちらでは曇り空でしたので、前年比較ができません」というメイルとともにその出現状況がくわしく報告されていました。

もちろん、氏の報告は、23時31分にダンに報告しました。そして、23時35分、氏に『ご報告ありがとうございます。一応、中央局には報告しておきました。12月23日朝が多かったということでしょうか。それにしてももう少したくさん出て欲しいですね……。以上、お礼まで。今後ともどうぞよろしく』とお礼のメイルを送っておきました。また、23時43分にジェニスケンスにも、多少の説明をつけて氏の観測結果を報告しておきました。彼は、12月29日発行のCBET 788で「上田氏の観測、そして、英国のマックビートによって2006年12月22日18時UTからの1時間で12個の出現、ベルギーのファンデプッテによって同日17時10分〜21時10分の4時間で7個〜8個の出現が観測されたこと。また、フィンランドのリティネンらの観測とともにこの群の出現状況」を報告しています。ジェニスケンスは、これらの観測から、その極大は2006年12月22日17時35分UT±1.5時間(=26時35分JST)で、その出現数はZHR15個±5個ほどであったものと推測しています。なお、これらの観測は、山本速報No.2541にも掲載しました。母彗星であるタットル彗星は、2007年末から2008年初にかけて、地球に0.25 AUまで接近し、5等級まで明るくなることが期待されています。久しぶりの回帰です。ぜひ、観測してください。

ところで、最近のダスト・トレイル理論からの流星群の予報を見ていると、古い周期彗星の場合、過去のどこかの回帰時に放出されたダストが地球に遭遇する可能性が常にあるような気がします。ただ、周期彗星は、過去の回帰ごとにダストの放出機会があるわけです。過去の回帰の数と放出速度(−100-m/s〜+100-m/sくらいか)の組み合わせは無限なほど多く、どこまでそれを探ることができるかでしょう。しかし、ダスト・トレイルとその遭遇時刻が的確に予報されておれば、たとえ小出現であっても、これまでのように見逃されることなく、地球上のどこかで捉えらえることができるでしょう。

さて、その夜のことです。12月25日03時16分に蓮尾氏から「クリスマスイブだったのですね。さっきまで気づかなかった。さて、2006 P1は明るくなってきていますね。SWANのイメージでは20日までのものしかありませんが、17日、19日、20日と急激に明るくなってきているように見えます。正面から見ていたのが、少し横から見るようになって、断面積が大きくなったのかもしれませんが、明るいのは間違いないです。ISSあたりで見てくれるといいのだけど……」というメイルが届きます。2006 P1は、彗星界にとって大きなクリスマス・プレゼントとなるかもしれません。

その予感が強くなってきた大晦日(12月31日)の朝、03時43分に門田氏から「なぜか、透明度が優れない空が続いていますので、薄明中の4等級の彗星が観測できるかどうか微妙な光度です。今朝、ねらってみようと待機中ですが、雲が多くなってきました」というメイルが届きます。そして、07時33分に届いたメイルでは「観測できましたが位置は測定できませんでした。12月31日06時14分にCCD全光度3.8等、コマ視直径1'.7でした。尾は判別できません。露出時間は0.3秒で、9フレームをコンポジットして測光しました。雲の通過のため、光度には誤差が見込まれます。証拠写真(?)を添付します。左上が彗星で、右下がαSctです」と大晦日の朝に彗星を捉えたことが報告されます。その夜の23時42分になって、氏には『良く撮れましたねぇ……。こちらはまったく天候がダメで、12月中旬以後、望遠鏡を出したことがありません。天気予報があっていませんが今夜は快晴です。しかし、大晦日のため、河口にある橋のライトが消えませんので、観測できないと思います。太陽接近前に一枚撮ってみたいのですが……』というメイルを返しておきました。

さらに門田氏からは、年が明けた元旦22時13分にも「光度を確認するために、もう一度観測しました。雲の通過のため、光度には誤差が見込まれますが、すっかり明るくなった空で、12月31日朝より強い集光で輝いています。1月1日06時15分にCCD全光度3.5等、コマ視直径2'.0でした。位置角358゚の方向に、長さ4'で幅がおよそ1'.6の太くて淡い尾が見られました。両日とも高度+2゚ほどでしたので、実際にはもっと大きく明るいでしょう。赤い星が低空では明るく写って、相対的に彗星の光度は、やや暗めに見積もっているかもしれません。デジタル一眼レフでしたら、オレンジ色の背景に輝く美しい姿が写るかもしれませんね。寒いですのでご無理をなさらない範囲でねらってみてください」という報告があります。氏のこれらの光度は、23時14分にダンに知らせておきました。そして、門田氏には、23時43分に『各地の初日の出の映像を見ていると、関東は地平線まで良く晴れていたようですね。私も、今朝は自宅に早く戻って、10-cm SLTで捕らえようとしましたが、架台が壊れている上、低空は輝く淡い雲があってダメでした。位置が自動導入できないために、地平線をなめたのですが入ってきませんでした。でも、そちらの観測時刻は06時15分ごろ、こちらでは06時30分すぎの条件になりますが、あんな明るい空で捉えられるとは……。私は、まだまだ修行が足りません。このあと天候が良くないですね……』というメイルを返しておきました。なお、これ以後の2006 P1マックノート彗星の動静は、2007年3月号(9〜15ページ)にその一部を紹介しましたので、ご覧ください。

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超新星 SN 2007B in NGC 7315

2007年1月5日朝は、快晴でした。そこで東の空、低空に見えている2006 P1を観測しようと、06時05分に帰宅して望遠鏡のセットを始めました。鳥よけの防護ネットを捲くり上げるとパラパラ……と白い粉が落ちます。何だろうと、なめてみると塩のかたまりです。自宅は海のそば、しかも、前に申し上げたとおり(2007年1月号Web版参照)、強風地域なので、多量の海水が飛ばされて来るのです。いっぱいの粉をあびながら、ネットを上まで捲くり、望遠鏡のセットを終えました。そして、空が明るくなる06時50分まで彗星を探しました。しかし、彗星がいると思われる位置に細長い雲がたなびき、結局、捉えることができませんでした。

その1月5日は12時40分に睡眠につきました。すると、ちょうど15時に電話のベルが鳴ります。『間違い電話でなければ、もう一度かけてくるだろう……』とそれを無視してベルを数えていると16回で切れました。18時10分になって再び電話が鳴ります。同じようにベルを数えていると18回で切れました。しかし、そのあと、すぐベルが鳴り始めます。『わぁ……、これはうちにかかってきた電話だ』と飛び起きて、受話器を取りました。すると「あぁ……、中野さん」と山形の板垣公一さんです。そこで『どうしましたか。何か見つけましたか』と問いかけると、「はい。PSNです。これ、自宅ですよね。メイルで送っておきますからよろしく」と話をして電話を切りました。そこで、まだ6時間の睡眠しか取っていませんが、19時00分に自宅を出て、まず郵便局に出向きます。そこで、神戸の山田義弘氏から送られてきている「年間スケジュール帳」を受け取りました。続いて、地元のスーパに出向き、買い物をして、19時45分にオフィスに出向いてきました。

すでに、板垣さんからの発見報告は19時15分、発見画像は19時47分に届いていました。そこには「1月5日夕方18時すぎにペガスス座にある系外銀河NGC 7315を 60-cm f/5.7 反射望遠鏡+CCDで20秒露光で撮影した10枚以上の捜索フレーム上に16.7等の超新星を発見しました。フレームの極限等級は19.5等です。最近では、2006年12月25日にもこの銀河を捜索しています。しかし、その夜の捜索フレーム上の出現位置に19.0等級より明るい星は、見当たりません。また、この超新星は、過去の捜索フレーム上にもその姿が見られませんでした。60分間の追跡ではその移動は認められません」という報告とその出現位置と銀河の中心位置が書かれていました。さっそく、ダンに氏の発見を報告しました。19時55分のことです。上尾の門田健一氏から20時07分に「今日から出勤で、まだ会社ですので、帰宅のころには地平線下です。明夕は観測できますが、悪天候の予報ですので微妙です」というメイルが届きます。

その門田氏のメイルにもあるとおり、このころ、西から近づいてくる2つの低気圧が北日本で1つになり、960-hPaまで猛烈に発達するとのことです。20時08分に届いた板垣氏のメイルにも「昨夜と今夜も今の時期としては、とても不思議です。すごい快晴なんです。でも、明日からは本当の冬になりそうです」と、山形でも明日は天候が悪化することが書かれてありました。そこで、20時24分、山形よりは天候が少しはましであろう上尾での超新星の確認のために板垣さんの発見画像を送っておきました。ただし、超新星の銀河核からの離角がわずかに9".6しかありません。彗星観測用の門田氏の望遠鏡で分離できるかどうかです。その夜の6日00時20分には、門田氏より「念のため、DSSのFITS画像と比べてみましたが、該当位置には星はありませんでした。板垣さんの2007年の最初の発見になりそうですね。確認が待ち遠しいです」というメイルが届いていました。

1月6日の夜は、当地では、風が強く、みぞれが降っていました。天気予報のとおり、2つの低気圧が北日本で1つになり、猛烈に発達しています。『これじゃ、今夜の確認は、無理か……』と思いながら、ジャスコで買い物をして22時50分にオフィスに出向いてきました。すると、すでに20時22分に門田氏から「雨上がりで透明度が良くありませんが、前線が通過して晴れてきました。25-cm f/5.0 反射+CCDで、今夜20時にNGC 7315をねらってみたのですが、銀河の集光部と分離できないようで、発見位置に星が存在するかどうか、判別できませんでした。300%に拡大した画像を添付します。ピントは合っているのですが、恒星像が甘いですので、シーイングが良くないですね」というメイルとともにその画像が届いていました。そして、それを見た板垣氏から21時30分に「こんばんは。まさか、晴れるとは思っていなかったので、びっくりしました。画像、拝見しました。焦点距離が1250-mm(板垣氏の機材は3420-mm)ですか。シーイングが良くても、銀河の中心部に近いため、限界に近いかもしれませんね。300%の拡大ですか、感じの良い画像ですね。私の画像で300%にしたら見られたものではありません。できましたら、100%そのままの画像を見せていただきたいのですが、よろしくお願い致します。ありがとうございました」という門田氏への返信もありました。

さらに門田氏からは「現在は、雲が行ったり来たりです。16ビットのFITS形式で添付しましたので、ごらんになってみてください。悪シーイングのため、オートガイダーの恒星が±1ピクセルほど動いていましたので、写りは良くないです」というメイルとともに原寸大の画像が板垣氏に送られていました。再度、それを見た板垣氏から23時42分に「画像、拝見しました。なるほどです。NGC 7315は円形の銀河でした。でも、南西の方に少しだけふくらんでいますね。このふくらみは、星の存在のためと、思われます。でも、この画像では、とても、恒星状天体が存在するとは言えませんね。銀河中心部から、もう少し離れていれば、この画像で確実に写っていたはずです。すぐ南の恒星と同じ感じの光度でしたので。この超新星は、たぶんIa型でしょうから、もう少し明るくなると思います。ありがとうございました」というメイルが届きます。そのあと、同夜7日00時30分に送った私の『こちらはだんだん嵐になってきました。明日(1月7日)、東京から帰れるか心配です』というメイルで、その夜の議論は終了しました。『そうなのです……』。この日は、また、例の学術会議のミーティングがあって東京へ出かけなければなりません。そのため、03時40分に業務を終了し自宅に帰りました。しかし、猛烈に発達した低気圧のため、大変な事態に遭遇することになります(以後、次号に続きます)。

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