天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2007年8月4日発売「星ナビ」9月号に掲載

超新星 2006ov in M61 (=NGC 4303)

2006年11月24日夕刻は、久しぶりに早く、17時00分に自宅を出て西に向かいます。その途中、車のフロント・ガラスには細い三ケ月が輝いていました。『オフィスに出向くと、今夜は観測するぞう……』と思いながら、17時50分、4年前まで住んでいた家の近くにある南淡路のコメリとジャスコに出向きました。日用品と食料品を購入してオフィスに向かいます。途中でガソリンスタンドともう一軒のスーパーによって、20時20分にオフィスに出向いてきました。

少し早めに出てきたので、ハワイのすばる望遠鏡見学ツアーから帰国したと思われる山形の板垣公一氏にお借りしているST-8の状況を知らせるために『ハワイからお帰りになりましたでしょうか。さて、お送りいただいた「おかき」を半分くらいいただきました。その中で、「梅」と「Super Mini」が美味しかったです。でも、これらは1袋しかありませんでした。もし、次回に何かの機会にお送りいただくことがあれば、これらをお送りいただけるとうれしいです。ところで、お送りいただいたST-8は、ようやくピントが合うような位置がありました。しかし、接眼部との取り付け箇所がまだ問題があって、3回ほど下に落ちました(ヒモでしばってあるので、床には落ちません)。前にも申し上げたとおり、うちの望遠鏡のポインティング精度が良くないために、セッティングの際、基準星が写野に入ってきません。そのため、最初の赤道儀のセットアップがうまくできません。ファインダーで代用できそうなものですが、ファインダーも固定できないほど動きます(その点、デジタル・カメラだと、光学ファインダーを覗けるので楽なのですが……)。しかし、セッティングのあと、CCDカメラを望遠鏡に取り付けると動いてしまうほどやわい架台なので、これもできずに困っています。セットアップのあと、小指で望遠鏡に触れるのも厳禁なのです。したがって、まずこれらを解決しなければいけません』というメイルを送りました。11月24日21時30分のことです。すると、そのすぐあと板垣氏より電話がありました。「無事帰国した。今夜は捜索します」とのことでした。また、氏の発見した2006jc関係の資料が送付されてきているので、それを転送するので見てほしいとのことでした。

21時50分、再び近くのジャスコに出向いて当夜の食料品を買ってきました。そのとき、空を見上げると少し曇ってきましたが、CCDのピント出しを行いその結果を11月25日02時42分に板垣氏と秦野の浅見敦夫氏に送りました。そこには「今夜ピント出しをしました。浅見さんご存知の2-kmほど向こうの山の上のお城で合わせました。良いねぇ………。瓦と木の枝がはっきり分かる。これで∞に合っているのならしめたものです。ファインダーも合わせましたが、これは2点で締めるタイプなので、望遠鏡の姿勢が変わるごとに動きます。すき間に止めを入れましたがどうでしょうかね。その際、CCD側のリングに接眼部へのアダプターをつけて、こんやろ〜〜と力一杯回してやりました。壊れるなら壊れてみろと……。すると、振っても蹴っても叩いても外れなくなりました。逆に、リングにつけたアダプターも取れなくなりましたが……。したがいまして、そちらの取り付け部はとりあえず不要です。大事な接続部分ですので、どうぞ観測にお役立てください。ただ、それとは別にアダプターを接眼部につける部分が単に平面を三点から固定するものなので(そちらで言うV溝ではない)、CCDの重みと接続線の引っ張りに耐えかねて簡単に外れるような気がしますが……。いずれにしろ、ヒモでつなぎます。しかし、せっかくピント合わせをしたのに曇ってしまいました。04時頃に晴れないかなぁ……」という報告でした。しかし、このメイルにもあるとおり、空は完全に曇ってしまい望遠鏡と架台を一度部屋に戻しました。

ところが、03時頃より再び晴間が見えるため、望遠鏡を屋外に出し赤道儀のセットアップを行います。総計40-kg近い架台を一夜に2度も運ぶのは年寄りには骨身にこたえます。何枚かのフレームを撮影しましたが、空はすぐ曇ってしまい、05時15分にまた望遠鏡を部屋に運びオフィスに戻りました。疲れきってぐったりしていたとき、上尾の門田健一氏より、04時52分にその前日(11月24日)昼間に発見が公表された新彗星(2006 W4)の追跡観測が届いていたことに気づきます。氏の3個の観測は、25日03時頃に行われたもので、そのCCD全光度は19.4等でした。『うぇ〜〜。上尾のあの空でこんな暗い天体が捉えられるのか……』とびっくりしながら軌道を計算して、05時28分にOAA/CSのEMESに入れました。ついでですから近日中に発行を予定している山本速報用の彗星の軌道計算を行いました。疲れていて面倒だったので、以前に小惑星用に組んであった観測の収集、軌道改良、同定サーチ、出力まで、すべてを自動で行なうプログラムを使用しました。これで、15個の彗星を一括処理し、約5分間で15個すべての軌道の計算が終了しました。念のため、同定リストから発見された彗星が過去に観測されていないかを調べました。『たまには出てこいよ……』と祈る気持ちで画面に表示されたリストを見つめました。しかし、1つもありません。

よけいなことをやってさらに疲れました。『もう帰ろうかなぁ……』と、また、ぐた〜〜としていると、今度は05時50分に電話が鳴ります。『今頃誰だろう……』と思いながら受話器を取ると、「あぁ〜、中野さん」と山形の板垣さんです。『何か見つけましたか』と問いかけると、「はい。M61にPSNを見つけました」と言います。『えっ、メシエ天体に……。送ってくれましたか』。「これからです」。『では、待っています』と氏の報告を待つことにしました。

その板垣氏の発見報告は、06時16分に届きます。そこには「11月25日05時半におとめ座の銀河群にある系外銀河M61を60-cm f/5.7 反射望遠鏡+CCDで20秒露光で撮影した10枚以上の捜索フレーム上に14.9等の超新星を発見しました。最近では、2006年5月4日にもこの銀河を捜索しています。しかし、その夜の捜索フレーム上の出現位置に19.5等級より明るい星は見当たりません。また、過去の多数の捜索フレーム上、及びDSS上にもその姿が見られません。15分間の追跡中に移動はありませんでした」という報告とその出現位置、銀河中心の測定位置が書かれてありました。この超新星の発見光度は14等級と明るいものですが、メシエ天体に出た超新星は、今後急速に明るくなる可能性があります。そこで、06時32分、急いでこの報告をダン(グリーン)に連絡しました。そのメイルを見た板垣氏からは、06時38分に「報告メイルを拝見しました。ありがとうございます。画像を送信します」と発見画像が送られてきました。その画像では、超新星は、銀河核の北側に明るく輝いていました。ダンへの報告後、この朝は07時20分に帰宅しました。空はまだ曇っていました。

昨夜(11月24/25日夜)は、望遠鏡を2度屋外に運び出したせいか、身体が痛いしあざができるしでホトホト疲れ、この日(25日)の夜は22時を過ぎてもまだ眠っていました。22時30分、まだ眠っていると電話のベルが鳴っています。時計を見ると10時30分です。『何だ。こんなに早く。いったい誰なんだ……』ともう一度、眠りにつこうとしたとき、ふと、考えました。『いや。眠ったのは14時だった。ということは、今は夜なのか……』と思い、飛び起きて電話を取ろうとしましたが切れてしまいました。『たぶん板垣さんだったのだろう。昨夜(今朝)のM61の超新星が明るくなったのか』。『いや、あれはまだ観測できない。ということは、どこかで独立発見があって公表されたのか……』と考えながら、閉店まぎわのジャスコで今夜の食料品を購入して、23時00分にオフィスに出向いてきました。

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アンドロメダ大星雲の新星 2006-11a in M31

オフィスに入ると留守番電話が点滅しています。案の定、11月25日21時46分に板垣氏からメッセージが残されていました。しかし、その内容は、また別の発見で「M31のPNをよろしくお願いします」というものでした。メイルを確認すると、氏の発見報告は、20時59分に届いています。発見画像も21時47分に届いていました。氏のメイルによると「11月25日20時過ぎに60-cm f/5.7反射望遠鏡+CCDでアンドロメダ銀河の一区画を撮影した捜索フレーム上に、17.5等の新星を発見しました。実は、この新星は、発見前日24日の捜索フレーム上にもすでに出現していました。その光度は17.9等でした。しかし、11月21日の捜索時にはまだ19.5等級以下で出現していません」と報告されていました。報告には、その光度変化を追跡しようとしたのか、この夜の20時13分と20時51分の2個の観測がありました。

そして、メイル・リストの上の方には、ダンからその日の朝の09時58分に「お前……、小惑星のチェックはやったのか?」という、今朝、彼に送ったM61の超新星の発見報告についてその返信が届いていました。『えっ。板垣さんの報告を信じてチェックはしていない。そういうことは、あれは小惑星だったのか。そんな馬鹿な!』とびっくりしました。もちろん、すぐに、知られた小惑星をチェックしましたが、14等級より明るい小惑星はM61のそばには来ていません。『あの馬鹿。何を言っているんだ』と思いながら、一安心して板垣氏のPNの発見報告の作成を始めました。

すると、23時23分に板垣氏から電話があります。氏は「やっと、本物が出た」と言います。『すみません。遅くなって……。ところで、今朝のPSNは中央局の未確認天体リストに入っていますか』。板垣氏は「入っています」。『いや、ダンが「小惑星を調べたのか」と言ってきているのですが……』。「はい。やりました」と氏は答えます。『……と言うことではなくて、彼は、私にそう言っているのだと思います』。そして、氏に私の方でもチェックをやったことを伝えました。そして『いや、M天体に出現した超新星だから、どこかで独立発見があって、公表されたので電話があったのかと思いました。これは、明け方の低空ですか』。「いえ、そんなに低くはありません」。『ところで晴れていますか』。「はい。快晴です」。『こっちは雨が降っています。では、とにかく、M61のPSNの確認をお願いします』と言って電話を切りました。

そのあと、23時36分に板垣氏のM31に出現した新星の発見をダンに報告しました。この発見は、すでに2夜の観測がありますので即座に公表されるはずです。そのメイルを見た板垣氏から23時58分に「拝見しました。ありがとうございました。なお、書き忘れましたが、この出現は10枚以上の画像で確認しました。極限等級は20.0等です」というメイルが届きます。そして、11月26日00時55分に、門田氏から「M31の新星を確認しました。25-cm f/5.0反射+CCD(ノーフィルター)で、新星の光度は17.3等。フレームの極限等級は18.6等、位置はGSC-ACT、光度はTycho-2(V等級)で測定しました。曇ってきたため12分間ほどの観測ですが、移動は見られませんでした」という確認観測が届きます。この氏の確認は、01時04分にダンへ送付しました。さらに、03時42分に、板垣氏から「M61のPSNを観測しましたので報告をします」というメイルとともに、その光度が14.8等であったことが報告されます。氏の確認は、03時50分にダンに連絡しました。03時59分には、板垣氏から「拝見しました」というメイルが届きます。

『これで、すべての作業が終わった』と思っていると、その3分後の04時02分に門田氏から「M61の超新星を確認しました。同じ機材で、極限等級は17.7等です。低空の雲で10分間ほどの観測ですが、移動は見られませんでした」というメイルとともに、その出現位置と銀河中心の測定位置が届きます。このときの氏の超新星の光度は15.0等と観測されていました。もちろん、氏の確認は、04時07分にダンに送付しました。ダンは、その約1時間後、05時05分到着のCBET 756でこの超新星の出現を公表しました。このCBETを見た板垣氏から門田氏と私宛に「おかげさまでM31の新星とM61の超新星が公表になりました。本当にありがとうございました」というメイルが05時09分に送られてきます。それを見た門田氏は「連夜の発見、おめでとうございます。今夜は雲が多かったのですが、うまい具合にどちらも晴れ間から観測できました。超新星の方は、M61が昇ってくるのを待って望遠鏡を向けたところ、10分後には曇ってきましたので危なかったです。寒くなってきましたので、無理をなさらずがんばってください」という板垣氏宛のメイルが転送されて届きます。

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超新星 2006qp IN NGC 5735

これで、両方の発見処理が一緒に終ったと思って、報道機関用に「新天体発見情報」を作成していると11月26日05時35分に電話が鳴ります。『板垣氏からのお礼の電話かな……』と思って受話器を取りました。すると、板垣氏は「もう1つ見つけました」と別の発見報告でした。『門田さんがまだ起きているでしょう』。「えぇ、05時24分に門田さんのメイルが届いたので、すぐ確認を頼むメイルを送っておきました」。『では、発見報告を送ってください』と言って、氏からのメイルを待つことにしました。その間に発見情報No.97の作成が終わり、M61の超新星とM31の新星発見の情報を06時01分にFAXで報道各社に送り始めました。

しかし、板垣氏からの報告がまだ届きません。『そろそろ氏に催促しようかな……』と思ったちょうどそのとき、06時05分に氏のメイルが届きます。そこには「11月26日05時半にうしかい座にある系外銀河NGC 5735を60-cm f/5.7 反射望遠鏡+CCDを使用して20秒露光で撮影した9枚の捜索フレーム上に17.1等の超新星を発見しました。最近では、8月15日にもこの銀河を捜索しています。しかし、その夜の捜索フレーム上の出現位置に18.5等級より明るい星は見当たりません。また、過去の捜索フレーム上、DSS上にもその姿が見られません。15分間の追跡では移動は認められません」と報告されていました。この氏の発見は、06時16分にダンに連絡しました。06時19分には、板垣氏から「昨夜からたいへんお世話になり、ありがとうございます。また、運良くNGC 5735に超新星らしき天体がありました」というメイルとともにその発見画像が届きます。超新星は、渦巻き銀河の西隅にたった1つだけ可愛く輝いていました。

氏の発見をダンに送ったあと、この朝は07時20分に小雨の中を帰宅しました。天気予報では、このあと数日は雨です。これでしばらく望遠鏡を担がずにすみそうでです。自宅には、久しぶりに犬ちゃんが待っていました。そこで『おい。板垣さんが3つも新天体を発見したよ』と話しかけながら、買っておいたコロッケと天ぷらをあげました。部屋に戻って身体を動かすとまだ痛いです。そのため、早く寝ようと思っていましたが、睡眠につくのはいつものとおり12時になっていました。

その日の夜(11月26日)は、18時30分に自宅を出て、11月24日に続いてもう一度南淡路のジャスコに出かけました。そこで、観測室用にファン・ヒータを買って20時10分にオフィスに出向いてきました。すると、CBET 757が11時15分に届いていました。そこには「板垣さんがM61に発見した超新星は、マウント・ホプキンスでのスペクトル観測によると、II型の超新星で、その爆発から約1ヶ月が経過している」ことが報告されていました。しかし、板垣さんがNGC 5735に発見した超新星は、残念なことに、発見後冬型の気圧配置となったため、山形に晴天が訪れず、翌日以降にその存在を確認することができませんでした。また、太平洋側の天候も優れませんでした。そのため、しばらくの間、どこからもその確認報告が届かないことになります。

そんなとき、11月28日22時50分にオフィスに出向いてくると、その日の朝09時41分に仙台の小石川正弘氏から「今年9月頃から31-cm反射+Canon EOS Kiss Digital Xカメラを使用して銀河の撮影を開始していました。ちょうど、11月25日にアンドロメダ大星雲を撮影した画像があったので、それを調べると山形の板垣さんが発見したM31の新星が、同日22時15分に2分露出で撮影した捜索フレーム上に写っていました。明るさは17等級でしょうか。画像に矢印までつけておいたのですが、確認しませんでした。でも、これでデジカメでも十分に新星出現ををキャッチできることが判明しました」というメイルが届きます。しかし、氏から送られてきた画像を見ると、極限等級が少し浅いようです。そこで、氏には、11月29日00時04分に『捜索を始められたようでご苦労様です。ただし、送っていただいた画像を見た限りでは、これは発見として公表されるのは難しいでしょう。というのは、系外銀河に出現した超新星・新星は、そのスペクトル観測の前に発見を公表するために、出現光度の2等級以上暗い極限等級が要求されます。画像から判断すると、そちらの限界は17.9等くらい(発見光度よりちょっと暗い程度)でしょうか。これだと、16.0等より明るい超新星・新星でなければ即座に発見を公表できません(発見と認められません)。もちろん、より暗い星が撮影できる誰かに確認を頼むことは可能ですが、それでは真の発見として満足感がありませんよね。なお、出現位置(銀河の中心位置も)は、精測位置、及び、2夜目の確認観測が要求されます。以上のことをご考慮され、がんばってください』という、ちょっと、きびしいメイルを出しておきました。

すると、小石川氏より、その日の朝09時55分に「新星、超新星分野の発見の仕組みが良くわかりました。現在、光害がひどい環境で観測しておりますので、なかなか思うような限界等級が得られません。そして手軽なデジカメでの撮影ですからなおさらです。そのようなリスクのある観測環境なので、一天体撮影には2〜4枚を必ず撮影するようにしています。でも、これでは効率上がりませんよね。後学のためにお聞きします。限界等級約18等級として17.5等の新星が複数コマに写っていても、発見写真としては認められないのでしょうか。もちろん、後日に確認写真は撮りますが……。諸条件をクリアすれば、デジカメをやめて、いっそのこと天体用CCDカメラでの撮像に切り替えれば、視野は狭くなりますが中野さんの諸条件をクリアできるものと思います。それに使用できる天体用CCDカメラもありますので、今後の活用も視野に入れていきたいと考えております。現在、行っていることは、すべて新天文台に移ったときの予行演習であり、今のうちに未知の観測分野にチャレンジしておこうと考えております」という返答が戻ってきました。

そこで、11月30日00時14分に『そうです。ダメです。別のところで、深度の深い独立発見、あるいは、確認観測があれば別ですが……。板垣さんの発見例では、限界等級近くの超新星を、発見後10日近く毎夜観測して送りましたがダメでした。これは、2等級ほど暗い限界等級が撮影できなければ、本来銀河系内に存在していた変光星(あるいは、対象銀河内、見えるかな?)が、たまたま明るくなったものを観測したこともありえるからです(これでも、スペクトル観測前に公表するのですから危ないですが……)。もちろん、誤認も出てきます。したがって、極限等級が17.5等ならば、2夜目の確認が行なわれ、確実に発見が公表される超新星発見は15.5等までとなります。ところで、デジカメは、冷却していないのがネックですね。口径差によらず、極限等級は18.5等(それも、ソフト表示で、実際には17.5等くらいです)に届く夜はめったにありません。また、彗星は、16等台が撮影できたことは、まだ、ありません。ただ、夏場に比べて、極限等級は明らかに1.5等級ほど暗くなり、画像自体もずいぶん良くなりました。自然冷却の効果でしょうか。もう10℃ほどの自然冷却が期待できますので、真冬にはもう少し暗いところまで写るでしょうか。いずれにしても、天体用CCDを使われるのがベターです。ただし、デジカメの写野の広さ(基準星による赤道儀のセティングが容易、多少狂っていても目標天体が入る)、ピント合わせが猛烈に楽など……を1度経験すると、なかなか天体用CCDに戻れませんね。なお、もう一人、超新星捜索を始めようとしている人がいますので、このメイルをその人にも送ります。それと、関係者に……』というメイルを送っておきました。

さて、板垣氏が発見したNGC 5735の超新星は、その後も天候が悪く、板垣氏と門田氏が悪天候をついて観測しようと試みましたが、なかなか確認できませんでした。しかし、12月1日早朝になって、西はりま天文台の60-cm反射望遠鏡でその存在が確認され、12月2日02時15分到着のCBET 764で超新星出現が認められました。そのとき、超新星の光度は17.5等に減光していました。なお、板垣氏は、これで27個目の超新星を発見したことになり、氏が持つ我が国での超新星最多発見数をさらに更新しました。

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