天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2006年1月5日発売「星ナビ」2月号に掲載

ヘール・ボップ彗星(1995 O1)

一昔前は、星仲間が発行する多くの私的な回報が届いたものです。しかし、何とも残念なことに、今では、それが和歌山の津村光則氏から届くものだけになってしまいました。私にとって、これらは観測者の現況を知る貴重な資料でした。しかし、せっかく送っていただきながら、私もそれらにざ〜と目を通すだけでした。

そんなとき、2005年2月8日に届いたIAUC 8479に久しぶりにヘール・ボップ彗星(1995 O1)の情報が掲載されていました。そこには「この彗星が2005年1月8日にラスカンパナスの6.5-m反射+CCDで観測された。彼らから報告されたコマ直径4".2角のCCD全光度は20.1等であった。彗星には、少なくとも8".5の尾が見られた」と報告されていました。『えっ、そんなに暗くなってしまったのか……』と思いながらも、『いくら限られた範囲を測光したとしても、20等級はないだろう』と思ってしまいました。というのは、その前年のHICQ 2004の光度予報では、彗星の光度は2005年1月には、まだ16.9等と予報されていたからです。彼らの全光度は、それより3等級以上も暗いものでした。しかし、彗星の観測は2003年12月31日にブラジルで行なわれた観測で止まっています。そのとき、彗星の核光度は19.0等であったと報告されています。従って、彗星がすでに暗くなってしまった可能性もあります。ただ、1997年の近日点通過のあと、彗星が空の南極近くを動いているために南半球でしか観測できません。この彗星の観測が報告されないのは『北半球の観測者に比べ、南半球の観測者が彗星の観測にあまり意欲的でないために、この彗星の観測が報告されないのだ』と、思っていました

ところでこの時期、彗星はすでに太陽から21AUの位置まで離れていました。距離的にいえば、彗星は天王星の軌道の外側まで遠ざかったことになります。従って、彗星がまだ20等級で見えているというのも驚きですが、この彗星はそれほど巨大な彗星であったのです。ところが、今回(1997年)の回帰は、彗星の近日点通過が4月で地球との位置関係が悪く、あまり大きく見えなかったのです。彗星の周期が長い場合、近日点通過はちょっとした運動の変化で、1月から12月までどこにでも変化します。次回の西暦4400年頃の回帰では、地球との位置関係が良い近日点通過で回帰し、−5等星以上の明るさになって、未来の人々を驚かせて欲しいものです。

そのとき、ふと『少し前に津村氏がこの彗星をまだ明るく観測していたはずだ』と、氏の回報の記事を思い出しました。そして、氏から送られてくる回報を調べました。すると、ASTRO AIDS No.204に、氏が2004年3月21日と25日にオーストラリアで観測したこの彗星の光度が18.0等であったことが報告されていました。使用機材は20-cm f/5.0反射+CCDで、大きな機材ではありません。ただし、像は何枚かのフレームを合成したもののようで、全露光時間は5100秒と記載されています。彗星は拡散状ですが、その画像上にはっきりと写っています。『ぜひ、これを測定して、これが彗星だと確認したい』と思って、氏にメイルを送ろうとしました。しかし、毎年氏から届く年賀状には、メイリング・アドレスが書かれていません。そこで、氏のウェッブ・サイトにつないでみました。すると、2004年の観測だけでなく、2005年にもこの彗星を観測していることがわかります。しかも、彗星は拡散状ですが、どう見てもそんなに暗いイメージではありません。それに、使用機材は530-mm f/5.0 レンズです。測定位置があれば観測期間が1年以上も延びることになります。

そこで、ウェッブ・サイトにある連絡先に次のようなメイルを書きました。2月19日05時23分のことです。そこには『お元気ですか? メイリング・アドレスがわからないので、年賀状に書いてあるそちらのウェッブにつなぎました。いつも、ASTRO AIDSをありがとうございます。No.204を見ると2004年に1995 O1を観測されていますね(これは、前から知っていました)。また、ウェッブでは2005年にも観測されたと書かれてあります。実は、この彗星の軌道を再計算したいのですが、精測位置は2003年12月31日までしか報告されていません。そこで、それ以後の観測が欲しいのです。2004年以後の画像を添付ファイルで送ってもらえませんか(JPEGの白黒か、カラーでけっこうです)。もし、お送りいただければ、それを測定して軌道を計算したいと思っています。その際は、観測時刻(できれば、秒まで)、概略の経度、緯度、標高をつけ加えてください。彗星が遠いから、ホンの概略でけっこうです。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。なお、ウェッブにある画像が、すべてならばそれらは取りました。この時刻は正確ですか。また、撮影地の経度・緯度はわかりますか』という連絡を書きました。そのメイルのあと『お〜と、いけない』と思い、05時29分に『先ほどの件ですが、もし画像をお送りいただけるのなら、彗星に矢印をつけてくれると助かります』というメイルを送りました。1枚ごとの画像では、彗星のイメージがかなり淡いのではないかと思ったからです。

その夜にオフィスに出向くと、2月19日20時03分に津村氏から「メイルをありがとうございます。観測地の経度と緯度は、東経115゚31'、南緯30゚33'です。時刻は5秒以内で正確です。ウェッブに載せた画像は何枚もの画像をコンポジットしたものです。1995 O1は、かなり暗くなっているので、300秒露光の1フレームではノイズが多いため、見られる画像を作るために多数をコンポジットしています。しかし、位置測定にはもっと少ない枚数のコンポジットの方が良いはずですね。今年の分は、データがパソコンのハードディスクに残っているので、測定用に作りなおすことができます。1週間以内にお送りできると思います」というメイルが届いていました。

これで,観測時刻と観測地が判明しましたので、試しに氏のウェッブにある2003年2月2日、2004年3月21日、25日、2005年の画像を測ってみました。残差を見ると、氏のイメージは間違いなくこの彗星のものです。そこで、20日00時22分に氏に『メイルをどうもありがとう。よろしくお願いします。ところで、ウェッブの画像を測ってみました。コンポジットされているので時刻が定かではありませんが、書かれてある撮影時刻と、撮影時刻+総露出時刻÷2で、観測時刻を設定しました。しかし、計算に必要な中央時刻が、大きくずれている気がします。これらの観測の残差は、最大で+1".9です。なお、ウェッブにある画像で2003年2月2日とある日付は、正しくは、2月3日です。また、2004年3月21日の画像に書き込まれた日付は間違っています。2005年2月8日の画像も矢印の先のものを測ってみましたが、日付を前後にずらせても、うまくいきません。時刻が大きく間違っているか、矢印の先のものは違うのではありませんか。測定用の画像には、中央時刻か、1コマづつの露出開始を書いてください。では、到着を待っています。なお、残差には関係ありませんが、標高は、とりあえず200-mとしました』というメイルを送りました。このメイルの送付のあと、2005年2月8日の画像の彗星を取り違えていたことに気づき、『失礼しました。2005年の画像は、矢印の先を取り間違えていたようです』というメイルを送っておきました。00時34分のことです。そして、もう一度、2005年の画像を測定しました。測定位置の残差は3"以内で良くあっていました。

さて、これで津村氏の観測した天体が、ヘール・ボップ彗星であることが、はっきりしました。そこで、2月20日04時11分に中央局のダン(グリーン)に『HICQ 2005を送付したという連絡をありがとう。まもなく、それが届くだろうことを期待している。ところで、IAUC 8479に記載されていた1995 O1の報告だが、彗星の光度が2005年1月に20等という話はどうしても解せない。彼らのいう全光度が何なのか、よくわからないが、4".2角のコマの光度が20等級というのは、あまりにも暗いと思う。というのは、Tsumuraのウェッブ・サイトを見ると、彼は2005年2月8日にこの彗星を観測し、そのイメージとともにその全光度が18.1等だったと報告している。そこに写っている彗星のイメージはどう見ても20等級ではない。ラスカンパナスから報告された光度は、Tsumuraの光度とまったく別物なのか』というメイルを送りました。

すると、05時04分にダンから「俺も、ちょうどお前にTsumura-sanに連絡を取ってもらおうと思っていたところだ」というメイルが届きます。彼も、津村氏の2005年の観測を知っていて、IAUC 8479の記事が気になっていたようです。そして「彼は、1995 O1の最後の2夜の測定位置を報告できるのか、ただ、CCD観測になってから彼の観測位置が報告されたことはない。しかし、彼の位置があれば、彼が正しくこの彗星を観測していることがわかるだろう。お前はすでに彼の2005年2月8日のイメージを測定したのか。もし、そうならそれらはOKであったか。もし、彼が正しくこの彗星を観測しているなら、彼の光度をIAUCに公表したい……」と続いていました。ダンには、05時29分に『そうだ。残念なことだが、Tsumuraは、現在、位置測定を行なっていない。私の軌道計算のために、2003年、2004年、2005年の位置を測った。これらは、彼のウェップ・サイトにあるJPEGイメージからのものだ。これらの画像は、多くの画像が合成されている。しかし、位置はその残差から見て、問題なくこの彗星のものだと言える。1週間ほど待ってくれ。彼は、位置測定のために2005年の何枚かの画像を送ってくると言っている。ただ、2004年以前の画像は20-cm反射で撮られているので測定には問題ないが、心配なのは、2005年の画像は530-mm f/5.0の短焦点レンズで撮られていることだ。従って、測定位置にどれくらいの精度があるかわからない』というメイルを送っておきました。

そして、津村氏には05時40分に『2005年の位置は、3"以内でOKです。3"ほどエラーが出るのは、530-mmレンズのためか、コンポジットのためか、正確な中央時刻がわからないことが影響しているのだと思います。私が測定した光度は18.1等で、あなたのものに良くあっています。グリーンに、IAUC 8479の光度は測定法が違っているにしても暗すぎると言ったら、そちらの画像を測定して、位置をチェックして確認してくれとのことです。それで、OKならば、あなたの光度をIAUCに掲載したいとのことでした。すみませんが、なるべく急いで画像を送ってください(できれば、2004年のイメージも欲しい)。その際、コンポジットの中央時刻か、コンポジットした各画像の露出開始時刻と露光時間を忘れずに書いてください。それと、標高と彗星に矢印をつけてください。でないと、きっと、さっぱりわからんと思う……』というメイルを送付しておきました。

2月21日21時45分、オフィスに出向くと待っていた画像が、津村氏からその日の12時36分に「2004年3月25日と2005年の1995 O1の測定用画像などを送ります。なお、観測地の標高はわかりません」というメイルとともに6枚の画像が届いていました。氏のメイルには、画像の説明が細かくつけられていました。そして、メイルの容量が大きいのが心配になったのか、その夜の23時07分に「2月21日昼に1995 O1の測定用画像を6枚、メイルに添付して送りましたが、届きましたか。6枚の合計が4Mバイトほどもありました。もし、何らかの原因で届いてなければ再送します。画像はトリミングせずに送ったので、1画像あたり700-Kバイトほどになりました。彗星付近だけをトリミングして良いのならそうしますが、比較星がなくなってはいけませんね。なお、次に私がメイルを見るのは22日夜になります」というメイルが届きます。そこで、23時43分に『画像をありがとうございました。トリミングでけっこうでした。比較星は、USNOを使いますので、17等級まで入っています。ただ、プレートセンターがわからなくなりますが……。とりあえず、送っていただいたので問題ありません。きれいですね。CCDの画像だのに……。「俺は、やっぱり星が好きなのか?」と思ってしまいます。今夜は、天文ガイドの原稿を書かなければいけない(今頃、書いています。編集部に苦情を言われながら……)ので、終わったら、すぐ、測定します。また、連絡いたします。ありがとうございました。観測、がんばってください』という返答を送っておきました。

それから4日後の2月25日23時53分にダンにその結果を送りました。そこには『Tsumuraから西オーストラリアのワディーファームで2004年と2005年に観測したヘール・ボップ彗星の何枚かの画像が送られてきた。そこで、これらの画像と彼のウェッブ・サイトの画像を測定した。Nakano Note No.774(MPC 42547, HICQ 2004)にある軌道からの残差は、次のとおりで、参考のために2003年12月の観測の残差もそこにつけ加えた。彼の観測の残差は、いずれも2".5秒以下で、彼は、正しくこの彗星を観測していることがわかる。しかし、彗星の形状は、特に2005年のイメージは、ほとんど中央集光のない約6"ほどのコマをもつ拡散状で、私の測定には、いくらかの誤差があるだろう。位置は、この前に報告したものと少し違う。これは、最初の測定には±3".0ほどの測定誤差があるために、再測定したためだ。2005年に使用された530-mmレンズの1ピクセルは約3"であること。彗星は、フレーム上では、簡単に目視できるが、測定が困難であることを注意して欲しい。2005年2月8日に撮影されたウェッブ上にある画像を添付するので、それを見て欲しい。彗星の像がわかるかい? 2004年の画像について、TsumuraはCCD全光度を3月21日に17.8等、25日に18.0等と測光している。一方、私の測光値は、それぞれ、17.9等と17.8等±0.4等だ。また、2005年の画像について、彼は、2月8日に18.4等と測光している。このときの私の測光値は18.3等±0.5等ほどで、目視的には、彗星は、もう少し暗いように思われる。なお、フレーム上のもっとも暗い星は19等級だ。それと、多くのイメージがコンポジットされているため、中央時刻(観測時刻)が不確かだと思う。たとえば、2005年2月の彗星の日々運動は2'.6であるために、星はこの時期、赤緯方向に半時間で3"ほど動いていた。そのため、中央時刻の推定にこれくらいの誤差があるときは、たとえ位置が正しく測定されている場合でも、必然的にこの程度の残差が現れてくることになる』という測定結果が書かれてありました。このメイルを送ったあと、望遠鏡の情報をつけ忘れたことに気づきます。そこで2月26日00時00分に『お〜と、2005年の機材が抜けていた。それは、高橋製の530-mm f/5.0屈折+CCDだ』ということを連絡しておきました。

その夜の00時51分にダンから「1995 O1の情報をありがとう。ところで、彼の観測地に天文台コードを振るか」というメイルが届きます。そこで、01時12分と01時29分に『Tsumuraは、少なくとも2002年以来、そこで彗星の観測をしているので、天文台コードを与えてもよいのではないか。座標は、次のとおりだ。なお、標高は、地図上から読み取ったものだ』 というメイルを送っておきました。そして、02時33分に津村氏に『以下のメイルをグリーンに送りました。お送りいただいた2004年のイメージは、像が飽和状態に近くて測れませんでした。また、2005年の4枚は、彗星が淡くソフトがポイントできないので、それぞれ、2枚を合成しました。グリーンより「観測地(Waddi Farmで良いんですよね)に天文台コードを与えるか」と聞いてきましたので「彼は、何年か前よりそこで観測しているようだ。与えてくれ」と返答しておきました。我が国で観測しにくい彗星を捉えたときは、その測定用の画像を、ぜひ送ってください。測ります。明るいもの、暗いものを問いません。南半球の観測は、少ないので、きっと役立つと思います。また、現在までに、あまり観測されていない彗星の画像をお持ちなら、ぜひ送ってください。どうぞよろしくお願いします』というメイルを送っておきました。

その日(2月26日)は、大津で東亜天文学会の評議委員会があって、久しぶりに会議に出席しました。そのために、ほとんど寝ないまま11時45分に自宅を出発し、オフィスに戻ってきたのは22時30分でした。大津は雪が降る寒い日でした。すると、津村氏からの返信が19時52分に届いていました。そこには「ヘール・ボップ彗星の測定と報告ありがとうございました。ワディーファームに天文台コードを与えてもらったら、これからも観測しなければなりませんね。彗星の撮影を始めてもう長いですが、いつの頃からか、彗星が写らなくなるまで撮影を続けるべきだという考えでやってきました。しかし、CCDを使うようになると、暗い彗星まで写るようになったので、すべての彗星を追い続けるのはやめました。マイペースでできればと思っています。2000年までは、ワディーファームに行くたびに25-cm反射でこの彗星が見えていましたが、2003年に行ったときは撮影できるかどうかわかりませんでした。2004年には、彗星は、ずいぶん暗くなっていたため、もう、これが最後だと思っていたのです。しかし、今年(2005年)も、撮影してみると写っていました。今年は、暗くなった彗星を撮影するために軽い30-cm f/4.0望遠鏡を作ったのですが、持っていきませんでした。来年にもし行けるなら、30-cmとCCDを持っていって、もう一度この彗星に向けてみようと思います。今年は、2003 K4や他の彗星もあったのですが、観測しませんでした」というメイルが届いていました。しかし、氏が喜んでくれた天文台コードは、私の押しが弱かったせいか、この時点では与えられませんでした。氏には、申し訳なかったことだと今でも思っています。

ダンは、3月3日になって、05時24分到着のIAUC 8490で、津村氏の観測を公表してくれました。わずかに9行の記事ですが、その掲載までこれだけの展開があったのです。このIAUCは『1995 O1の結果が出ました。購読されているかも知れませんが、念のために送ります』というメイルとともに氏に送付しておきました。06時19分のことです。

その日(3月3日)の夜、22時57分に津村氏より「IAUCをありがとうございます。私は、2004年6月までの数年間はメイルで購読していました。しかし、2004年春頃からウェッブでIAUCが読めることを知って、購読をやめてしまいました。ところが、8月頃からそのようにする人が増えたのか、IAUCは非公開になってしまいました。1ヶ月たってから公開されていたそれまでのスタイルで良かったのですが、何年も前のIAUCまで非公開になってしまって非常に残念に思っています。今は購読してません。送って下さってありがとうございます。ところで、中野さんは、画像から光度を測定されていますね。USNO星表を使って測定されているとメイルにありますが、JPEG画像は、階調が圧縮されてしまっています。それでいて、だいたい良い光度が出ているのには驚きです。私は、彗星の光度しか測定していませんが、彗星に近いヒッパルコス星表の恒星を撮影して、そのカウントを測定し、彗星画像と比較計算して光度を求めています。彗星会議へ行きたいのですが、19日夜に職場の観望会があるので行けません」というメイルが届きます。

3月6日になって、氏のメイルにある質問について、『そうですね。私も、最近になって、測定・測光のできない発見者からの画像を測っていますが、画像の質を落としたJPEGイメージからでも、そこそこの位置と光度が出るのには、少し驚いています。特に最近のデジタル・カメラでは、150-mmくらいの焦点距離でも、2"くらいの精度で測定できるのはびっくりです。また、ほぼ報告のあった光度とほぼ同じくらい、まともな光度が測光できることにもです。ただ、エラーを見ると光度には±0.4等くらいの誤差があるようです。おっしゃるとおり、JPEGの画像は、明るい星はピークがなく平坦になっているものが多いですね。これらは星の自動ピックアップにもかかってきません。しかし、暗い星は、ピークがつぶれてないので、良い精度で測れるようです。以前にやられていた測定で、すでにご存知のとおり整約された天体の位置や光度は、使っている星表にほとんど関係ない、気にする必要はないと、私は思っています』という返答を送っておきました。

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いて座新星 2005(V5115 Sagittarii)

3月29日朝は、ちょっと早めの05時50分に帰宅しました。すると、実に1ヶ月ぶりに、例の犬ちゃんに出会いました。お座りをしたまま、買物袋の中をながめている犬ちゃんに『お前、まだ生きていたのか……』と話かけながら『良かったね。コロッケを買ってあるよ。毎日、毎日、お前のために買っていたのだよ』と言いながら、コロッケを2つに分けて、その1つをあげました。犬ちゃんは、パクリと食べて、まるで招き猫の手のように、「ねぇ、ねぇ、そこにある、もう半分もちょうだい」と残ったコロッケを指さして、手をこねこねとさせます。そこで、残りの半分をあげると、満足したように、私の目を見つめていました。『お前、その目は、コロッケに恋してるんだな……』と言いながら、自宅に戻って行きました。

さて、この夜は、21時15分にオフィスに出向いてきました。すると、その日の朝、07時07分と09時52分に2通のFAXが届いていました。留守番電話も点滅しています。その1通は、掛川の西村栄男氏からのものでした。そこには「2005年3月29日03時41分と04時12分にペンタックス6×7カメラ+200-mm f/4.0レンズを使用して15秒露光で、いて座を撮影した捜索フィルム上に8.7等の新星を見つけました。変光星と小惑星は調べました。過去のフィルムは、今夜に調べます」という新星の発見報告が書かれてありました。氏の新星の出現位置は、α=18h16m56s、δ=−25゚57'10"と報告されていました。

もう1通は、水戸の櫻井幸夫氏からのものです。氏からは、09時48分にメイルも届いていました。そこには「また、新星らしき天体を見つけたので報告いたします。2005年3月29日04時06分と04時07分にフジFine Pix S2+Nikon 180-mm f/2.8開放、露出15秒でいて座を撮影した捜索フレーム上に9.1等の新星を見つけました。2枚のフレームに写っています。出現位置は、α=18h16m59s(±2s)、δ=−56゚56'45"(±20")です。発見前の3月26日・3月21日・3月20日の画像(極限等級11.8等)には写っていません。変光星・小惑星・IRAS天体については一応調べました」というメイルとともに発見画像が送られてきていました。さらに、09時55分には「すみません。位置の入力を間違えてしまいました。赤緯は−26゚56'45"です」と出現位置の訂正が届いています。また、留守番電話には、09時22分に西村氏、10時01分には櫻井氏からの発見報告が記録されていました。

ところで、発見報告が複数の発見者から届いた場合、その発見は、まず、間違いありません。発見時刻を見ると、西村氏が櫻井氏よりわずかに25分早くこの新星を発見したようです。すぐ、ダンにこの発見を連絡することにしました。しかし、西村氏の報告には、捜索フィルムの極限等級が書かれてありません。そこで、21時32分に、西村氏に電話をかけ、極限等級が10.5等級であることを確かめました。そのとき『この新星は、水戸の櫻井氏からも報告がありました。間違いありません』と伝えました。ダンへの発見報告を作成しようとすると、上に記された両氏の発見位置を比べるとわかるとおり、その発見位置にちょうど1゚の違いがあることに気づきます。しかし、その他は良くあっていますので、この新星は同じものです。そこで、それを前提にして21時55分にダンに次のようなメイルを送りました。そこには、この新星の発見報告とともに『また、イギリスに行っているのかい。それとも、そこで働いているのかい。NishimuraとSakuraiから、2つの新星の発見が報告された。しかし、どちらかに赤緯に1゚のタイプミスがあるものと思われる。したがって、この新星は同じものだ。今、二人に連絡がとれないが、Sakuraiからは、発見画像が届いているので、それで、どちらが正しいか確認して連絡する』と伝えておきました。もちろん、このメイルは、新星の確認用に上尾の門田健一氏と八ヶ岳の串田麗樹さんに送っておきました。

ダンへの報告後、櫻井氏のイメージを測定しようと、氏からの画像を読み込みました。氏からの発見報告では、出現位置は測定ソフトで測定したと書かれてあります。そこで、たぶん氏の発見位置が正しいのだと考え、氏の発見位置を入力しました。ところが……です。しばらくソフト上の星図と画像をながめていましたが、どうしても星の同定ができません。氏の画像には、恒星にSAO No.がつけられていました。そこで、書庫にある古いSAO星表を持ち出して、その恒星を確かめようとしました。しかし、このとき星表の分点が1950年分点であることを思い出しました。『こりゃ……。だめじゃ〜』と、半ば、あきらめました。しかし、星表は大きなヒントをくれました。それは、そこに掲げられている恒星の赤緯を見ると−25゚になっています。1950年と2000年分点の差は0゚.5ほどしかありません。そのため『ひょっと、すると、櫻井さんの測定値に記載ミスがあるのか……』と思いながら、西村氏の発見位置を入力して、星図を表示しました。

すると、今まで何とか同定しようと、あんなにながめていた星が星図に飛び込んできました。もちろん、簡単に星の同定が終了しました。『あっ……、何だ。西村氏の出現位置が正しいのか』と思いながら、その位置と出現光度を測りました。すると、発見フレームの出現位置は、α=18h16m59s.04、δ=−25゚56'38".8、光度は8.9等となりました。このことは、22時44分にダンと門田氏と麗樹さんに連絡しておきました。同時刻にこの新星について、九州大学の山岡均氏から電話があります。また、22時59分に美星天文台の綾仁一哉氏に『ごぶさたしております。もし、可能でしたら下のものを観測していただけないでしょうか。お忙しいところ、すみませんがよろしくお願い申し上げます。ところで、ひょっとしたら、学会に出席されているのでしょうか』というメイルを送り、スペクトル観測を依頼しました。

23時02分にダンから「いや、俺はケンブリッジにいる。1週間ほどフロリダに行っていたが、先週自宅に戻ってきた。新星の発見報告の件だが、この星は、新星でまず間違いないと思うが、いて座にある激変星の可能性のある星のリストを調べたのか」というメイルが届きます。『面倒なことを言う奴だ……』と思いながら、23時16分に『いや、行なっていない。しかし、Yamaokaとの電話では、彼は、天文台にあるDSSをチェックしたと言っていた。だから、彼は激変星のチェックもしたものと期待する。確かではないが……。今日は、東京で開催されている日本天文学会の会場で、2004年度の新天体発見者が表彰される日だ。そこには、Sakurai、Nishimura、Reiki、Itagakiらが集まったはずだ。彼らは、新星の発見をYamamokaに話したと私は聞いている。ただし、二人の話では、会場ではこの発見にそれぞれ知らんふりをしていたということだ』というメイルをダンに返しました。山岡氏からは23時23分にダンに送った「3月27日20時に撮影された極限等級が14等級のASASイメージ上には、この新星が写ってない。Nakanoの測定位置の数秒以内に明るいIRソースが存在している」というメイルが転送されて届きます。また、23時31分には、綾仁氏から「連絡をありがとうございます。今回、学会には参加しませんでしたので、観測するつもりで天文台に出てきております。あとは、明け方まで晴れることを祈るのみです」というメイルがあります。美星で、スペクトル観測を行なってもらえそうです。さらに、3月30日01時04分になって、上尾の門田健一氏からは、「現在、上尾は曇っています。もうしばらく待機しています」という状況が報告されました。ダンは、ここまでの情報で、01時55分到着のIAUC 8500で、この星を新星状天体として公表しました。  その後になって、03時21分に門田氏からこの新星の撮影に成功したことが「次の位置に明るい恒星が存在します。30分間で移動は見られませんでした」というメイルとともに届きます。氏の30日02時半すぎの観測では、その光度は8.2等と、新星は、その発見時より1等級ほど明るくなっていました。氏の報告は、03時44分にダンに報告しておきました。このメイルには『Kadotaの観測は、私の測定位置が正しかったことを確認した。Sakuraiの画像は、180-mmレンズで撮影されたものだというのに、Kadotaと私の測定位置には1"ほどの差しかなかった。Ayaniにスペクトル確認を依頼してあるので、観測できれば、まもなくその報告が届くだろう』ということをつけ加えました。

ところで、IAUC 8500にこの新星の発見が公表されたため、この頃、報道機関に新星の発見を伝える新天体発見情報No.78の編集を始めていました。そのためか、その間の03時37分に雄踏の和久田俊一氏から届いていたメイルを見落としてしまいました。そこには「おはようございます。いつもお世話になっております。西村氏より依頼の天体の位置を測定しましたので報告します」というメイルとともに、その測定位置が報告されていました。氏の30日03時の観測では、新星の光度は7.8等と、さらに明るく増光していました。04時半にこのことに気づき、氏の観測を04時45分にダンに連絡しました。

さて、新天体発見情報を、05時10分に報道各社に送りました。すると、それを見た櫻井氏から06時01分に「メイルとIAUC 8500、そして「新天体発見情報」をお送りいただきまして、ありがとうございました。今回は、天文学会の表彰式に出かける直前の発見ということで報告をあせってしまい、たいへんご迷惑をおかけしてしまいました。おわび申し上げます。それにしても、180-mmレンズの画像からあれほどの精度の測定ができるとは感激です。ご配慮ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします」というメイルが届きます。また、06時27分には、綾仁氏から「まだ、スペクトル・データ処理の途中ですが、新星で間違いないです。Hαがきれいな、P Cyg輪郭になっています。グリーンに報告してから帰ります」という連絡があります。氏の中央局への報告が07時25分に転送されて届きます。もちろん、中央局にも届いているはずです。ダンは、08時11分にIAUC 8501を発行し、これらの情報から発見された天体は新星であったことを公表しました。そこには、門田氏、和久田氏、綾仁氏の観測以外にも、オーストラリアでのスペクトル観測も掲載されていました。

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