天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

005

2005年12月5日発売「星ナビ」1月号に掲載

超新星 2005ab in NGC 4617, 2005ad in NGC 941

先月号からの続き]2月7日07時45分、帰りが遅くなったのが幸いと、帰宅時にガソリン・スタンドによりました。市内の給油所は、夜20時になると閉まってしまうために、なかなかガソリンを入れられないのです。また、今夜は、群馬の小林隆男氏がやってきます。そのため、どこかにドライブするかもしれないからです。

その日(2005年2月7日)は、16時に起きて、17時に自宅を出ました。昼間に起きている良い機会ですので、郵便局に出かけました。そして、ICQのコメット・ハンドブック2005(HICQ 2005)を送るために、UPS用の封筒を受け取りにヤマト運輸に出かけました。オフィスに出向いて来たのは18時でした。小林氏が到着するまでに、少しでもHICQ 2005の編集を進めようとコンピュータに向かうと、16時11分に山形の板垣公一氏から「このたびも大変お世話になりましてありがとうございました。お蔭様でSUPERNOVA 2005ab IN NGC 4617になりました。いつもながら発見時の心痛いときに中野さんの声を聞くと、本当に心が落ち着きます。もし、中野さんが留守だったらと思うと心が痛みます。冬期の山形はほとんど晴れません。そのため、昨年までは宮城県の観測所に行っていましたが、思ったほど晴れませんでした。そこで、今度は新幹線で宇都宮乗り換え、ローカル線、無人駅下車、最後は自転車で……と、片道3時間、高根沢町の観測所での「初仕事」になりました。その地は良く晴れますが、透明度、シンチレーションがイマイチです。昨夜も晴れましたが、やはり写りが悪いです。地元の星仲間いわく、今年は気象が変とのことです。PSN IN NGC 941の件、山形が晴れましたら報告いたしますので、よろしくお願いします。取り急ぎお礼まで、本当にありがとうございました」というメイルが届いていました。

ひとつの天体の発見には、それぞれの発見者ごとに、いろんな苦労と努力があります。それほど、新発見は、熟練者にとっても難しいことだと私は思っています。『そうか、公表されたのか……』と思いながら、その日の13時59分に届いていたIAUC 8478を見ました。そこには、上尾の門田健一氏の2月6日03時30分に行なわれた確認観測までが公表されていました。しかし、門田氏の確認は発見第2夜目ではありません。2月7日01時26分に報告した板垣氏の第2夜目の確認観測は、なぜか記載されていませんでした。ダンも、HICQ 2005のことで頭がいっぱいで、これに気づかなかったのでしょう。でも、超新星の発見を第2夜目の確認観測をつけずに公表するのは、めずらしいことです。

20時30分、待っていた小林氏より洲本のバスターミナルに着いたと電話があります。そこで、彼を迎えガストで夕食をとり、21時30分にオフィスに戻ってきました。すると、その間の20時21分に板垣氏からメイルが届いていました。そこには「山形は透明度が悪いですが奇跡的に晴れ、PSN IN NGC 941を確認できました。ドームを開けたら雪がみごとに二つに割れました。60-cmでの測定です。山形はやはりシンチレーションが良いです」という2月6日夕刻に発見した超新星の第2夜目の確認観測が報告されていました。氏の光度は16.6等と、超新星は前夜の発見光度より1等級近く増光しています。小林氏との話を中断して、板垣氏のこの確認をダン(グリーン)に連絡しました。21時56分のことです。

もう1通のメイルが浅見敦夫氏より20時38分に届いていました。そこには、昨夜に発見報告のあった福山の小谷誠氏から「超新星の位置測定をしたいので中野さんに連絡をしたらBSGCを紹介されました。美星の整約ソフトが欲しいのです」という電話があったことが書かれてありました。実は昨夜、氏に『超新星の位置の測定はどうしたのですか』とたずねると、整約ソフトがないということで、美星のソフトを紹介しておいたのです。ただし、話が良く伝わっていないようなメイルでした。浅見氏のメイルは「ところで、広瀬さんの超新星の測定は、中野さんがされてますが、もうこれからは、超新星でも精測位置での発見報告となるのですね。それから、2月9日から15日まで秦野に戻ります。秋葉原には14日に行く予定です。アタッチメント類は、販売店で様子を聞いた上で購入してしまうつもりですが良いですか? 久々に映画も観てみたいと思っています」と続いていました。

さて、HICQ 2005の編集には、もう一晩かかるので、小林氏を寝かしてから作業を始めることにしました。そのため、23時50分に氏を自宅に案内し、お風呂を入れてから8日00時30分にオフィスに戻ってきました。編集作業を続けながら、板垣氏の最初の発見を知らせる「新天体発見情報No.75」を編集して、それを2月8日02時00分に報道各社に送りました。02時08分には、本当に久しぶりにパト(エリザベス・ローマ)からメイルがあります。そこには、2006年にプラーグで開催されるIAU総会での第6委員会の委員長(アクスネス)の提案と提言についての女史の意見が書かれてありました。しかし、パトのメイルをあまり良く読まないまま編集作業を続けました。02時45分には、八ヶ岳の串田麗樹さんから「板垣さんの2つ目の超新星」について電話があります。そこで『氏自身が、今夜に確認した。安心してください』と伝えました。また、浅見氏には、小谷氏の用件を伝えておきました。

そして03時20分に、やっとHICQ 2005の編集が終りました。そのことを03時32分にダンに『終った。疲れたよ……。明日の夜(今日の夜だ)、それらをプリントしてチェックする。2月9日にそれを送るよ。たぶん、2月12日(土曜日)前後にケンブリッジに到着するだろう。休日に到着する可能性が大きいので、宛先は自宅にする。ところで、次の3つの彗星(2004 R2, 2004 S1, 2004 V13)が採用されているが、これらについては、位置予報のページに彗星が減光したとか、何かの説明をつけた方が良いと思うが……』というメイルを送りました。すると、03時49分にダンから「ハードワークご苦労様。3つの彗星については最初のページに注釈を入れるつもりだ。だから、位置予報には何も書かなくって良い」というの返信が届きます。この夜はもう眠いので、これで作業を終了し05時25分に小雨の中帰宅しました。

その日(8日)の午前10時に目をさますと、すでに小林氏は起床していました。3時間ほどしか眠っていませんが、久しぶりにこの島を訪問してくれたのです。彼と一緒に観光に出ることにしました。まず下の喫茶で朝食をとって三熊山に登り、洲本城跡へ。そして、11時30分にオフィスに出向いてきました。すると、08時43分に板垣氏から「おはようございます。この数日、本当にお世話になりました。お陰さまで、SN 2005ad になりました。こんなに運が良くって不思議です。これからもよろしくご指導のほどお願いいたします。ありがとうございました」というメイルが届いていました。08時11分に届いていたIAUC 8479を見ると、そのSN 2005adの発見とともに板垣さんのSN 2005abの第2夜目の確認観測も記載されていました。

小林氏とオフィスで話をして、最近購入した最新の機器を見せました。そして、16時になって時間つぶしに、そのときちょうど上映していた「北の零年」を観ることにしました。というのは、この映画の物語は明治時代の洲本の出来事から始まります。それと、1月27日に「さたで寄席・席亭」の小野捷司さんから届いたメイルでは「今月の29日は「駿菊師匠」です。今日「北の零年」を観てきました。まったく考えてもいなかった物語でした。感動でした……。強い人、弱い人、はかない人生、嬉しい人生、冷たい人生、あったかい人生、苦しい人生、楽しい人生、人はみんな弱い、人はみんな強い、信頼そして裏切り、時の流れに乗る人生、時の流れに静かに見る人生、人を引っ張る人、人に引っ張られる人、人を活かす人、人を駄目にする人、人を利用する人、人を騙す人、色々な人・いろんな生き方が見えてくる映画です。「生きている限り、夢ある限り、いつかは、きっと何かが助けてくれる」。最後の場面の一言でした。それを信じたい!……」という評論が届いていたからです。3時間以上の長い映画でした。映画を見終って二人ともぐったりでした。ジョージ・ルーカスが「お客様をあきさせないためにも、映画は2時間までに収めるべきだ」と言う理由もわかります。

映画を見終ったあと、食事に出かけ20時にオフィスに戻ってきました。そして、小林氏にHICQ 2005のプリント・アウトの校正を頼みました。その間に板垣氏の2番目の超新星発見を知らせる「新天体発見情報No.76」を編集して、それを2月8日23時30分に報道各社に送付しました。小林氏は何個かのミスを見つけます。そのため、それらを修正して出来上がったプリント・アウトをUPSの封筒に入れました。今夜の作業はここまでとして、9日00時20分に二人で帰宅しました。

翌朝2月9日も午前10時に起床しました。少し前には雪も降った寒い朝と違って、この日の朝は春のようなおだやかな日和でした。そして、また下の喫茶で朝食をとって、UPSの封筒をヤマトに持って行きました。すると、料金を聞いてびっくりです。6500円だというのです。「そんなはずはない。いつも2600円で送っている」と言って、何度か調べてもらうと「書いてもらった伝票が、企業用のもので、その保険料が高いからだ」と言うのです。そこで一般のUPSの伝票をもらい書き直しました。すると、やっぱり2600円となりました。小林氏いわく「郵便料金とのこと、正味2日でアメリカに届くことを考えると、6500円でも安い。知らない人だと払ってしまいますよ」です。『何にを言ってるの。高給取りめ。日本の世も米国同様に、言葉にしてはっきり言わないとダメな世の中になっているのです。それに、今まで2600円で送っているのだから……』と答えました。そのあと、千山千光寺に登り、お参りのあと、うまく表現できませんが、そこの茶屋でしか売っていない、あん餅を買いました。小林氏は「これはうまい」とたくさん食べてくれました。それもそのはずです。1982年に太田原明氏がオフィスに2ヶ月近くやって来て、「天体観測星表2000」に掲げる恒星を手打ちしてもらっていたとき、毎日のように標高448-mのお山の上まで、このお餅を買いに行くことが、彼の起きてからの初仕事だったのです。だからうまいはずです。

小林氏は14時30分発のバスに乗って、群馬へと帰って行きました。その帰り際、小林氏は「今回の訪問は、ときどき書かれている軌道改良の新しい方法をお聞きするためにやって来ました。でも、一番の収穫はそれではありません。わずか1万円(当時)で購入した5.1chサラウンドでDVD(スターウォーズ エピソーIIなど)を見せられた(聞かされた)のと、コンピュータからの5.1chサラウンドを聞かされたことです。まさに目から鱗でした。いったい昔のどでかいスピーカは何だったのでしょう。やっぱり、時代革新にはついていかなければいけません。さっそく、その1万円のセットを購入します」と言ってバスに乗りました。一旦オフィスに戻り、14時59分にダンに『Takaoが帰って行った。ちょっと前にHICQ 2005用のコピーをUPSで送った。封筒はここを2月9日09時UTに出発するだろう。これまでのことから考えると、封筒は2月12日ESTにそこに到着するだろう。もし、1日早く2月11日に到着したならば、きみのオフィスに持って行くように連絡してくれ。UPSのトラッキング・ナンバーは次のとおりだ。彼らのウェッブ・サイトに注意のこと……』というメイルを送り、帰宅しました。

この夜(9日)は、21時にオフィスに戻ってきました。ダンからは15時09分に「Okay、到着を待つ。届いたら連絡するから……」というメイルが戻ってきていました。その夜、23時18分には、小林氏から「洲本訪問中は大変お世話になり、ありがとうございました。22時ちょっと前に無事帰宅しましたのでご連絡致します。今回は、ハイビジョンや5.1chサラウンド・システムなど、最先端のシステムを見ることができて大変参考になりました。天文だけでなく、もっと広い視野を持たねばならないと痛感した次第です。ちょっと疲れましたので、写真は明日お送りします」というメイルが届いていました。

次の夜は、3日間にわたる小林氏の応対の疲れがどっと出たのか、10日23時15分まで眠ってしまい、オフィスに出向いてきたのは11日01時18分になっていました。小林氏のメイルにある写真は、2月11日00時33分に「写真の整理がつきましたのでお送りします。圧縮していませんので8メガもあります。無事届くでしょうか。今日は、近くのパソコンショップに行って5.1chサラウンドを探しましたが、そこにはSONYとONKYOの製品しかおいていませんでした。両者とも3万円以上、これではとても手が出ませんので、あきらめて帰ってきました。少し離れたところにAEON(ジャスコの系列)がありますので、今度行ってみます。依頼された彗星の軌道計算はこれから着手します。もうしばらくお待ちください」というメイルとともに送られてきました。そこで、氏には03時09分に『写真を無事受け取りました。ありがとうございます。本日(10日)は、23時15分まで、眠ってしまいました。さて5.1chの件ですが、2月10日から13日までは、ジャスコ(ただし、たぶん関西の……)の一般人を対象にした5%引きの日です。このとき、行かれて探した方が良いでしょう。他に、毎月20日と30日はジャスコ・カード所有者を対象にした5%引きがあります。ただ、5.1chサラウンド・システムが残っているかどうかですね。洲本のジャスコでもけっこう積み上げていましたが、ほとんど売れていましたので……。安いので「どんなもんやろ、試しに買ってみよう……」という人がけっこういたのだと思います。南淡路店に残っているかもしれません。探して送ってあげましょうか……。なお上記の期間、SUEDEの「録画のできるDVD+VHS一体型」が24,800円で出ています。SUEDEの商品ですが、ジャスコの通常価格は2.95万から3.5万ですのでお買い得だと思います。万一、購入するときは5.1chにつなぐ、光ケーブル用の出力端子がついていることを確認のこと。それと、LGの42インチ・プラズマ・テレビが25万で出ている。市場価格の半額くらいだから欲しいなあ……と思っています。LGの良いところは、このメーカだけ(当時)コンピュータの入力端子(AT型)を標準装備している点です。一度、20インチが6万円くらいとコンピュータ用ディスプレイの半額以下だったので、店の人につないでもらいましたが、メーカの用意しているドライバーを入れなくても問題なく写りました。ちょっとひずんではいましたが……。例のOAA天体発見賞に副賞(賞金)をつけること、会長から直々、提案書を書くようにとの指示があって、昨日(10日)朝、提案書、及び内規案を作成して会長に送りました。さっそく理事長から2月の評議委員会に提出するとの連絡がありましたので、これから正式な提案書と内規書を作成します。楽しみにしていてください。彗星1件につき20万円(新星7万、超新星・カイパー2万円)にしようと思います。では軌道計算をよろしくお願いします』というメイルを送っておきました。さらに氏と門田氏には、06時03分になって『今、C/2003 T4 (LINEAR)の軌道を、重力、非重力(水、一酸化炭素)で計算しました。彗星が日心距離R= 1.3 AUくらいまで入ってきましたが、おそらく、COで大丈夫だと思います(ただ、水が皆無だとも思えませんが……)。2月4日の観測は観測期間が1月2日までの観測から計算したCOの軌道で、2"内に表現できています。一方、1月10日までの観測から求めた山本速報(YCNo.2455の重力のみの軌道からは9"くらいのずれがあります。最終観測は、あなたの2月4日(他の観測はMPEC上にある)のものですので、YCの軌道はあなたのものを使いたいと思います。もし、時間があったら計算して送ってください。次のYCは、来週中頃には発行したいと思っています。門田さん、観測をお持ちなら送ってください』というメイルを送りました。

さて、この夜は小林氏へのメイルにもあるとおり、2月26日に開催される東亜天文学会評議委員会にOAAの天体発見賞の副賞をもうける案(本誌2005年8号p.77参照)を提案するために、その草案を作成し同会会長の長谷川一郎氏と理事長の薮保男氏にその草案に目を通していただくために、それを05時36分、追加案件を06時14分に送りました。両氏からは、いずれも好意的なご意見が届いていました。

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はくちょう座新星 2005 (V2361 Cygni)

その2月11日の夜は、22時40分にオフィスに出向いてきました。ちょうど、着信音停止の留守番電話が誰かからの伝言を録音中でした。録音が終了して、最後の記録を再生してみると「こんばんは、掛川の西村です。新星らしき天体を見つけました。今、FAXで送りました。よろしくお願いします」という西村栄男氏からの発見報告です。FAX機を見ると、氏のFAXが届いています。そこには「2005年2月11日早朝、午前05時半頃、ペンタックス200-mm f/4.0レンズ+T-Maxフィルムで30秒露光ではくちょう座を撮影した2枚の捜索フィルム上に9.7等の新星状天体を発見しました。フィルムの極限等級は11等級です。この星は、2001年10月以後に撮影された捜索フィルム上には姿が見られません。また、発見5日前の今年2月6日朝に撮影した極限等級が11等級の捜索フィルム上には、まだ出現していませんでした。小惑星は、MP Checkerで調べました」という発見報告が書かれてありました。すぐ氏に連絡をとり、これから処理することを伝えました。

しかし、まず、2月9日18時にここを出発したUPS便がどこまで行っているかを確かめました。すると、このとき(11日23時)には、マサチュッセッツ州のチェルムズフォードに届いていることがわかります。現地は、11日朝09時ESTです。従って、ダンはこの日に荷物を受け取れるはずです。そこで、23時03分にこのことをダンに知らせました。そのメイルには『西村氏より、新星の発見報告があった。このあとすぐ連絡する』ことを伝えておきました。西村氏の発見位置に知られた小惑星が来ていないことを私の方でも確かめて、氏の発見は、23時27分に中央局に送付しました。そこには『発見者によると、発見位置近くに変光星があるという。しかし、彼はその変光星は写っていないと言っている。念のため、この変光星はチェックするように……』とつけ加えました。もちろん、その確認と出現位置を精測してもらうために、上尾の門田健一氏と八ヶ岳の串田麗樹さんにこのメイルをカーボンコピーしておきました。

すぐ折り返し、23時43分、門田氏より「現在、上尾は晴れています。昇ってきたら確認します」というメイルがあります。今夜は全国的に晴天なので、順調に確認作業ができそうです。また、西村氏によると雄踏の和久田俊一氏にもその確認を頼んだとのことでした。23時59分にダンから「数分前に、UPSがやってきた。今、最初と最後の4ページを用意している。月曜日には、スミソニアンのプリントショップに入れて水曜日には発送する予定だ。はくちょう座の新星状天体はAAVSOとコンタクトをとった。すでに、我々のウェッブページにも入れた。今、夜の日本からの連絡を待つ」というメイルがあります。

日付が変わった2月12日01時58分に九州大学の山岡均氏から「中央局のウェッブに出ている新星状天体を見ました。今、西はりま天文台にいて、しかも快晴なのでねらってみようと思います。地平線から昇ってきたら撮像して位置測定、もう少したったら60-cmでスペクトル観測の予定です。皆さんのところはいかがでしょうか」というメイルが届きます。そこで、氏には、02時10分に『これは掛川の西村さんが発見したものです。がんばってください。なお、2月6日のフィルム(極限等級11等)には、その姿は、見られないとのことです。皆様方(門田・串田)も、どうぞよろしく』と返信しておきました。03時29分、待っていた門田氏よりの確認が「以下の位置に明るい恒星が存在します。28分間で移動は見られませんでした。25-cm f/5.0反射+CCD、比較星はTycho-2 V等級です」というメイルとともに届きます。氏の2月12日03時の観測では、CCD V光度は8.9等と、新星は発見時の光度(9.7等)より1等級近く増光していました。もちろん、氏の確認は04時00分にダンに送っておきました。このメイルには、『USNO星表には、発見位置に恒星がないこと。もっとも近くの星は南東に14"離れている』ことをつけ加えておきました。

ところで、この夜は、ダンとHICQ 2005の発行準備についての打ち合せがまだ続いていました。さらに、OAA天体発見賞の草案を作成し、04時38分に関係者各位に送付しました。その後、少し時間が空いたので、小林氏に依頼したC/2003 T4の動きをフィットできる最良の方法を確かめ、その結果を05時12分に小林氏に連絡しました。その作業の間に、各地からの報告が届きます。まず、05時09分に山岡氏から「天体は存在しています。位置測定と分光を試みています」というメイルがあります。そこで、05時15分に門田氏の確認結果を氏に送付しておきました。小林氏から05時27分にメイルが届きます。そこには「現在、メイルでいただいたこの彗星(2003 T4)を観測中です。あと30分ぐらいで、位置をご報告できると思います」と、何と氏は、早起きして軌道計算を依頼した彗星を観測中でした。05時33分には、西村氏より確認依頼を受けた和久田氏から「西村さんより依頼の天体の位置が測定できましたので報告します。比較星表はUCAC2で、8個の観測の平均、時刻は最終観測です」というメイルとともに、その出現位置が届きます。氏のこの夜の新星のV光度は9.3等となっていました。そのため、再度、氏の観測をダンに報告しました。05時45分のことです。ただ、氏のメイルでは、使用機材がわからないため、メイルにはそのこと(使用機材がわからない)をつけ加えておきました。

05時51分には、彗星の観測を終了した小林氏から05時08分から05時42分までに行なわれた4個の観測が届きます。さらに、和久田氏の観測を報告したメイルを見た門田氏から05時57分に「上記の位置測定に使用したカタログは、GSC-ACTです。和久田さんの位置にカタログが添えられていましたので、補足しておきます」というメイルがあります。ご丁寧なことですが、氏は、観測に関するすべての資料はその観測ごとに報告を行なった方が良いことを知っているのです。これは、私の方、中央局の方ですべての観測者の機材を覚えているわけではないからです。そして、06時06分には小林氏から先ほど連絡があった観測までを使用して、計算した軌道が「今朝の観測を含めた改良軌道を送ります。よろしくご査収下さい。COの非重力効果は、Y1=+10.0、Y2 =−1.28です。ちなみに、氷の非重力効果は、A1=+28.0、A2=−11.86となります。Y1は、今のところ+10.0付近で安定していて、大きな変化は見られません。Y2は、若干小さくなりました」というメイルとともに送られてきます。『何と手早いことか……』という感じですが、彼は『気の短い私は,反応の鈍い人は、大きらい』ということを良く認識しているのでしょう。

さて、和久田氏の観測を見たダンから小林氏のメイルと同時刻の06時06分に「Wakudaの観測は、自分自身で観測したフレームを測定したのか、あるいは、Nishimuraの発見フィルムを測定したのか」という問い合わせがあります。05時45分のメイルに使用機材を書かなかったために、何を測定したのかわからないのでしょう。そこで、これまでの和久田氏の観測報告から氏の使用機材を調べて、『Wakudaは、自分の観測を測定した。使用機材は、たぶん、25-cm f/5.0シュミット・カセグレンだと思うが、前述のとおり、彼の報告には、この情報がなかった』という返信を送っておきました。06時14分のことです。当夜は、ここで業務を終了して、06時50分に帰宅しました。空は、まだきれいな青空が続いていました。

ダンは、ここまでの情報をまとめて、09時43分到着のIAUC 8483で、西村氏の発見を新星状天体として公表しました。西はりまで行なわれていたスペクトル確認は、この号には間に合いませんでしたが、ダンは翌日2月13日02時58分到着のIAUC 8484で、その確認を報告し、西村氏の発見した天体は新星であったことを報告しています。なお、西村氏はこれまでに、1994年に新彗星(中村・西村・マックホルツ彗星)、2003年8月には、たて座に出現した新星、2004年3月には、いて座に出現した新星を発見しています。

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