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天文雑誌『星ナビ』連載中「新天体発見情報」

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099(2013年4〜6月)

2013年11月5日発売「星ナビ」2013年12月号に掲載

2013年4月13日の地震

この日の朝は、食事のためにいったん自宅に戻っていました。05時33分、突然大きな揺れがあります。しかし、ほんの一瞬の短い揺れでした。するとテレビで「緊急地震速報」が報じられます。『もう揺れたよ。……ということは震源はここか……』と思いながらそれを見ました。報道では「震度は、淡路市で震度6弱、南あわじ市で震度5強、震度5弱が大阪岬町、洲本市、鳴門市、東かがわ市小豆島町」とのことです。そして、地震の発生は深さ20kmで、マグニチュード6.3とのことでした。『けっこう大きな地震だったなぁ……』と思ってそれを見ました。しかし、大きな岩礁の上に立っているここサントピア・マリーナは、建物が音を出してきしんだだけでした。『これなら大丈夫だ。ちょっと寝よう』と少し休んでいました。すると千葉の大学時代の友人と日本スペースガード協会の高橋典嗣理事長から「地震は大丈夫でしたか」という電話があります。『どうもないですよ。大きかったけど短い地震だったから……』と答えました。そして、09時10分にオフィスに戻りました。

すると、周囲の状況が一変します。オフィスに近づくにつれ、途中の国道は水道管が破損して水浸し、多くの家屋の屋根が滑り落ちていました。オフィスのビルも壁に大きな亀裂が入り、コンクリートがかたまりになって床に落ちていました。そばにある茶室も壊れ、ここでも水道管が破損して周りが水浸しでした。『何と……ここは埋立地だからか……』と思ってオフィスのドアを開けると、中は足の踏み場もないほど散らかっていました。『この光景、10何年ほど前に見たなぁ……』と思いました。書庫を開けるとこちらは入ることもできないほど散らかっていました。

ぼう然としながら、オフィスにあるサーバを見ましたが、UPS(無停電装置)からつながっているために電源は切れていません。1台のコンピュータを起動すると、地震発生後から09時までに12通の安否確認のメイルが届いていました。オフィスに来てからもさらに3通のメイルが届きます。そこで4月13日15時03分にOAA/CSのEMESに『ありがとうございます。ご心配をおかけいたしました。地震のときは自宅(マンション)にいました。大きな揺れでしたが「緊急地震速報」がTV画面に出る前に地震が来ました。阪神・淡路大震災に比べ、短い揺れが幸いしたようです。「これは大丈夫だ」と事務所を見に行くと、事務所の古いビルには大きな亀裂が入り、水道水があふれていました。ビルは壊さなければいけないかもしれません。前の国道も漏水で通行止め。こりゃ大変と部屋に入ると、阪神・淡路大震災のときと同様に、重いコンピュータ類は壁にぶつかって刺さっている感じです。足の踏み場もない状態で、部屋に入れません。「えぇ〜、またか〜。そんな……」とようやく通路を作り、このコンピュータを復旧し、お礼を書いています。阪神・淡路に比べ、今日の地震の方が大きいと思うほどです。特に事務所のある新炬口地区は、沼を埋め立ててビルが建っています。ここは揺れが大きくとも仕方ありませんが、旧炬口地区は、大きな岩盤の上に乗っており、以前から地震を感じないところです。しかし今回は、その地区でもけっこう被害が出ています。久しぶりに倒壊に近い民家を何件か見ました。でも、東北の地震に比べ、こちらはなぜ民家の倒壊が多いのでしょうか。雪国の家は、雪の重みに耐えられるように、太い柱を使ってしっかりと建てられているのでしょうか。これで、大きな地震を2度経験しました。そして同じように足の踏み場のない部屋に入っています。どうやって片付けようか。2度も同じことをするのかとボッケ〜〜としています。でも、地震の大きな揺れの最中は、この先どうなるのかと一瞬人生を考えるいい機会ですね……。今度は、もうちょっと長いのを経験したいものです』というメイルを仲間に送りました。

そのあと、それを見た19名の方々からお見舞いのメイルが届きます。かえって騒がしてしまい申し訳なく思いました。なお、私の疑問に答えてくれた1通のメイルだけを紹介しましょう。大崎の遊佐徹氏から4月14日11時22分に届いたものです。そこには「大きな被害があったようですね。お見舞い申し上げます。一日も早い復旧をお祈りしております。短い時間でも激しい揺れだったのでしょう。こちらで家屋の倒壊が少ないのは、海溝型でゆっくりとした揺れだったからでしょう。直下型地震は本当に恐ろしいですね」というものでした。

レモン彗星(2012 F6)

ところで4月末になると、南半球で4等から5等級まで増光し、細長い直線状の尾が観測されたレモン彗星(2012 F6)が北上し、北半球でも観測可能となります。オーストラリアのコフマンは、月光の中で3月1日に50mmレンズで撮影した画像からその長さを14゚と測定しています。これは、その実長にして、彗星には約0.40auの尾が伸びていることになります。彗星の光度は少し暗くなりますが、4月下旬には日本でも彗星をとらえられるものと考えていました。

ところが5月に入っても何も報告がありません。しかし、5月3日07時01分に山口の吉本勝己氏からその日の朝の観測が報告されます、氏の眼視全光度は5月3日に6.7等でした。さらに5月6日03時01分には、スペインのゴンザレスからも5月4日に6.2等と観測したとの報告があります。これらの観測を皮切りに彗星は各地でとらえられ、新潟の永井佳美氏が5月6日に6.9等、吉本氏と永井氏から5月9日に6.9等というように彗星は続けて眼視観測されるようになりました。

しかし、依然として位置観測がいっこうに報告されません。『いったいどうなっているんだろう』と思いながら5月からの2週間ほどを過ごしていました。やっと、5月15日になって宇都宮の鈴木雅之氏から5月14日の観測、翌16日になって上尾の門田健一氏から5月7日の観測が報告されます。これらは、3月6日以来に行われた初めての位置観測です。そこで、軌道を再改良して『C/2012 F6の軌道と予報位置』として『明け方の低空にあるこの彗星の眼視観測が各地で行われていますが、精測位置の報告がありません。ようやく上尾の門田健一氏から5月6日、宇都宮の鈴木雅之氏から5月14日の観測が報告されました。門田氏のCCD全光度は7.1等でした。NK 2452(=HICQ 2013)にある軌道からのずれは小さく、2"ほどでした。彗星の眼視全光度が5月4日に6.2等(ゴンザレス;スペイン)、5日に6.9等(永井佳美;新潟)、7日に6.8等(永島和郎;生駒)、8日に6.9等(永井、吉本勝己;山口)、11日に6.4等(ゴンザレス)、11日と12日に6.5等(吉本)と、天文ガイド6月号にある光度予報より若干(0.5等ほど)明るく観測されています。なお、最近ときどきHICQ 2013の購入方法の問い合わせがありますが、下のウェッブ・サイトから購入できます』というコメントを入れて、5月16日10時14分にOAA/CSのEMESで送りました(コメント内はUT)。なおこの彗星は、その後もまだ明るく観測されました。

285P/LINEAR周期彗星(2003 U2=2013 K2)と286P/クリステンセン周期彗星(2005 L4=2013 K3)の検出

4月末から5月上旬にかけては、ICQ Comet Handbook 2013(HICQ 2013)の編集作業もあって、4月13日の地震からもう1か月以上経つのに書庫を片付けようという気が起きず、そのまま放置していました。そのHICQ 2013の編集も、5月の連休には終了しました。

2013年5月19日22時19分に東京の東京の佐藤英貴氏から、小惑星センター宛に送った「LINEAR周期彗星(2003 U2)の検出」というサブジェクトがついたメイルが届きます。そこには「2013年6月回帰のこの周期彗星をメイヒル近郊にある51cm望遠鏡を使用して、2013年5月18日に検出し、翌5月19日にこれを確認しました。検出時、彗星の光度は18.3等、彗星にはわずかに拡散した10"のコマが見られました。また、翌19日には、集光した約15"のコマがありました」という検出報告でした。『やったか。これで5個目の周期彗星の検出だ』と思いながら、それを見ました。

この彗星は、LINEARサ−ベイで2003年10月19日にわし座を撮影したフレ−ム上に発見された18等級の新周期彗星で、発見当初、彗星は拡散状で、東に扇形の尾が伸びていました。10月21日の追跡観測では、集光のない5"ほどのコマと、東に25〜30"ほどの扇形の尾が認められました。なお、発見前の観測がLINEARサ−ベイから報告された9月19日と10月2日の一夜の観測群の中に見つかっていました。彗星の周期は9.5年ほどで、発見前の観測を含め、2004年1月5日まで約4か月間追跡が行われました。

さっそく近日点通過のずれを調べると、彗星の検出位置は、予報軌道(NK 1907(=HICQ 2012))から赤経方向に+0゚.52、赤緯方向に-0゚.03のずれがあり、近日点通過時の補正値はΔT=-1.27日でした。『あれ。けっこう大きかったなぁ……』という思いでしょうか。ただ、マースデンが短い観測期間から決定した軌道からの予報では、補正値は-0.17日と予報はよく合っていました。CCD観測になってから位置の精度は3倍ほど向上しているのに、彗星の回帰予報の精度は、思ったほど上がらないというのが今の印象でしょうか。

佐藤氏からは、5月22日14時34分にその後に行われた氏の5月21日が届きます。そのメイルには「彗星には12"のコマと西に20"の尾らしきものが見られた」という報告がつけられていました。さらに氏からは5月23日19時54分に「検出10日前に行われていた5月8日に撮影した捜索画像上に検出前の彗星のイメージを見つけた」ことが報告されます。このとき、彗星のCCD全光度は18.5等でした。氏の検出は、5月25日02時34分到着のCBET 3537で公表されました。そこには、チェコのマゼクが30cm反射で5月23日にこの彗星を観測していたことも報告されていました。なお、佐藤氏は、6月23日にもこの彗星を観測し、その全光度を18.6等、さらに8月15日に17.8等と観測しています。8月の観測では、彗星には集光した30"のコマと西に150"の幅広い尾が見られたとのことです。

続いて、佐藤氏から5月30日07時00分に「クリステンセン周期彗星(2005 L4)の検出」というサブジェクトがついたメイルが届きます。そこには「2014年1月回帰予定のこの彗星をサイディング・スプリング近郊にある51cm望遠鏡を使用して、2013年5月19日に検出し、5月29日にこれを確認しました。検出光度は19.5等、彗星は恒星状でした」という検出報告がありました。佐藤氏からはさらに、5月30日に行われた観測の報告が同夜22時17分に届きます。彗星はやはり恒星状で、光度は19.3等と報告されました。

この彗星は、月惑星研究所のクリステンセンが1.5m反射で行われているレモン山サーベイで、2005年6月13日にやぎ座といて座の境界付近を撮影したCCDフレーム上に発見した19等級の新周期彗星です。発見当初はほぼ恒星状で、西南西に 約15"の淡い尾が見られました。発見翌日、14日のツーソンのマックガハによる62cm反射での観測では、3"の小さなコマと西に複数の尾が見られています。なお、発見前の6月3日と12日の観測がスペースウォッチ・サーベイの捜索フレーム上に見つかっています。彗星の周期は約8.4年で、彗星の追跡は、発見前の観測を含め、2006年1月7日まで約7か月行われました。

予報軌道から検出位置の残差を見ると、彗星の検出位置は予報軌道(NK 1388(=HICQ 2012))から赤経方向に+234"、赤緯方向に+6"のずれがあり、近日点通過時の補正値はΔT=-0.19日でした。この氏の検出は、2013年5月31日12時40分到着のCBET 3538で公表されました。なお、佐藤氏はこれで6個の新周期彗星の回帰を検出したことになります。氏はこれ以外にも、222P/LINEAR周期彗星(2004 X1)の回帰時に発見されていた小惑星2009 MB9が同じ天体であるという指摘もしています(IAUC 9062)。

わし座の矮新星

2013年5月27日から6月3日にかけては、曇り空、あるいは小雨が降る蒸し暑い日が続いていました。そんな時期、山形の板垣公一氏は、2013年5月31日23時19分に21cm捜索望遠鏡でわし座を撮影した捜索画像上に10.8等の新星状天体(PN)を発見し、自身でこの発見を天文電報中央局のウェッブ・ページにある未確認天体確認ページ(TOCP)に掲載しました。氏によると、5月21日夜に撮影した極限等級15等級の捜索画像上にはこの星は見られなかったとのことです。『へぇ……、山形は晴れているのか』と思って氏の報告を見ました。

6月1日早朝、02時42分に群馬の小嶋正氏から1通のメイルが届きます。そこには「板垣さんのPNですが、キヤノンEOS 60D+85mm f/2.8レンズで発見約1日前の5月31日02時18分に撮影した捜索画像に写っていました。光度は9.8等でした。今夜6月1日00時02分の観測では10.3等でした」と発見前の観測と今夜の光度が報告されます。その小嶋氏の報告からわずかに3分後の02時45分には、水戸の櫻井幸夫氏から「今朝(6月1日)00時31分に撮影した捜索画像から新星らしき天体を見つけましたので報告いたします。光度は、10.0等です。Fuji FinePix S2+Nikon 180mm f/2.8で20秒露光で撮影した4枚の画像コマに写っていますが、5月18日早朝に撮影した画像では確認できません。変光星、小惑星については該当するものはありません。送信前にCBATのTOCPページを見ると、すでに発見報告が載っていました。板垣さんだと思います。もう発見とは認められないでしょうが、とりあえず報告だけしておきます」という発見報告が届きます。小嶋氏の発見前の観測と櫻井氏の観測は、6月1日08時59分になって、ダン(グリーン)に送付しておきました。

その夜、22時00分には、大崎の遊佐徹氏から「メイヒル近郊にある25cm望遠鏡で6月1日16時51分にこのPNを測光した。光度はV等級で10.6等であった」という報告とその出現位置が中央局に送られていました。それを見た板垣氏からは22時20分に「こんばんは。(PNは)青いですね。やはり矮新星のようですね。ありがとうございます」というメイルが送られていました。さらに6月3日夜22時48分には、香取の野口敏秀氏から「板垣さん発見のPNの観測です。23cm f/6.3シュミット・カセグレンで、6月3日22時09分に11.5等でした。千葉県東部はやっと晴れました。わずかに減光しているようです」という報告があります。そこで、23時36分にこの氏の観測をダンに送りました。板垣氏は6月4日23時28分に「観測をありがとうございます。山岡さんから「スペクトルおよび時間分解測光が行われて、矮新星であることが判明しています。80分くらいの周期で変光しているそうです」という連絡がありました。バックにあった移動の速い青い星が親星でした」というメイルが関係者に送られました。この新星状天体は、矮新星として6月12日08時22分に到着のCBET 3554で公表されました。そこには、海外でも多数の観測者がこの新星状天体を観測していたことが報じられていました。

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