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天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

054(2009年3月)

板垣新彗星(2009 E1)

2009年3月14日の朝は、その夜の明け方まで西日本に吹き荒れていた強風がやっとおさまり始め、しだいに天候が回復してきていました。しかし、まだ小雨が降っていました。そこで、この夜は05時50分に業務を終え、久しぶりに早く帰宅しました。自宅で天気予報を見ると、低気圧は北に向かい気圧配置が西高東低となり、北日本は天候が悪化して雪になるようでした。『山形は今夜は雪か……。これはゆっくりできる……』と思いながら、14時15分に睡眠につきました。

その日(3月14日)の夕刻は、どうしても避けられない世俗とのつきあいのために2時間足らずで目を覚まし16時10分に自宅を離れました。走り始めた車の中で『あっ……。携帯を忘れた。でも、誰もかけてこないから、まぁいいか……』と思い、そのまま出発しました。空はまだ曇天でした。

やっとのことで世俗との用件を済ませ、『さぁ……、もう一度寝よう』と自宅に戻ったのは21時22分のことです。ドアーを開けると電話のベルが聞こえます。寝室の携帯が鳴っています。急いで携帯をとると「中野さん。まだ眠っていたの……」と山形の板垣公一氏の声が聞こえます。『いや外出していた』。「彗星を見つけたよ」。「何度も連絡をしたのだけれど、つかまらないので山岡均さんに送ってもらった」と話します。そして「そちらにも送ってあるから見てください」とのことでした。携帯のログを見ると、板垣氏は、19時16分、19時27分、20時03分……と、5度も電話をかけてきていました。そして、これが第6度目の連絡でした。……ということは、彗星の発見は19時過ぎごろでしょうか。

『そうか、報告してくれたのか。じゃぁ、いいか』と、いったん、もう一度寝ようとしましたが、結局寝ることはやめてあわてずに出発の準備を始めました。『この時刻に見つけたということは西の空か。ということは、間もなく観測できなくなるなぁ……』と思いながらの準備でした。もちろん、自宅からもサントピア・マリーナのホテル・旅館街からの無銭LAN(無線ではない)が利用できます。それで、メイルを見ることができます。でも、すでに報告されているということで、それもしませんでした。『発見処理をしなければ、こんなにも気が楽なのか』と、いつもと違って余裕を持っての出発の準備でした。そして21時57分に自宅を離れました。そのとき、天候は雲間からちらほらと星が見えるまでに回復していました。東の空からは地平線上に月齢17の満月を過ぎたばかりの月がぼんやりと顔を見せていました。途中でジャスコによって、この夜の食料品を買ってオフィスに出向いてきたのは22時28分のことです。そのとき、空はまだぼんやりとしていましたが、全天には星が見え始めていました。

国内手配をしてくれていれば、どこかでとらえられたと思いながらオフィスに入り、コンピュータの電源を入れ、板垣氏から届いていた20時47分のメイルを見ました。発見は、栃木県高根沢町にある氏の観測所で行われたものです。『なるほど、山形は雪と考えたのが甘かった……』と思いながらそのメイルを読みました。そこには、「彗星捜索用広視野望遠鏡(21-cm f/3.0反射+CCD)を使用して、2009年3月14日夕刻、19時JSTすぎにくじら座を撮影した2枚の捜索画像上に12等級の新彗星を発見しました。発見には、札幌の金田宏氏が開発した移動天体自動検出ソフトを使用しました。発見後、即座に、同所にある30-cm f/7.8反射望遠鏡でこの彗星の存在を確認しました」という報告と、21-cm反射による2個の発見観測、30-cm反射による4個の確認観測が報告されていました。板垣さんのメイルは、いつも確認観測をお願いしている上尾の門田健一氏には転送されていませんでした。『あれ、これは想定外……。困ったなぁ……』と思いながら、彗星の高度角を計算すると、案の定、メイルを読んだこの時刻には、彗星がちょうど地面に沈んでいった時刻でした。

中央局のNEO確認用のページ(NEOCP)を見ました。しかし、まだこの発見情報は入っていませんでした。それはそうです。山岡氏の発見報告は、21時15分(=現地時刻08時15分EDT)に届いていましたが、このとき現地では09時28分EDTで、みんながようやく出勤してくる時刻です。

22時すぎ、ダン(グリーン)がオフィスに出向いてきたようです。この発見を知ったダンは、22時44分(09時44分EDT)に「お前はこの彗星の発見を知っているのか?」というメイルが届きます。もちろん『情報をありがとう。知っている。この日の夕方は、余分な雑用があってここを離れていた』というメイルを返しておきました。23時01分のことです。山岡氏のメイルも、門田氏には転送されていませんでした。ということは、この日の夕刻には、日本では誰もこの彗星を確認できなかったことを意味します。23時30分に、まだ中央局のNEOCPページに入ってないことを見てから、23時31分に板垣氏に電話を入れました。そして「ダンには、発見報告が08時15分(現地時刻)に届いています。安心してください」と伝えました。

板垣氏からは、23時46分に発見画像が届きます。そこで、3月15日00時03分に『これは、発見画像ですか。できれば、発見画像を送ってください』と伝えました。このメイルは、その画像とともに門田氏にも送りました。すると00時15分、板垣氏から「先ほどの画像は30-cm反射です。発見画像は焦点距離が630-mm のためにほとんど点像で見た目が悪いです。いかがしましょうか?」という返信があります。そこで00時27分に『発見画像は、重みがありますので、ちょっと送ってみてください』というメイルを返しました。板垣氏からは、00時37分にその発見画像が届きます。このころ、門田氏にも「板垣さんの彗星発見」が伝わったようです。01時27分、門田氏から「おぉっ! 彗星をご発見でしょうか? 今夕は、強風で観測できない状態でした。明るいルーリン彗星だけわずかな風の止み間に撮れましたが、西空の彗星はまったく写せませんでした。明晩、ねらってみようと思いますので、続報をお待ちしています」というメイルが届きます。門田氏には、01時47分に板垣氏から「こんばんは。メイルをありがとうございます。夕方、捜索を始めてまもなく入ってきました。中野さんに連絡したのですが、留守のようでしたので、山岡さんにお願いしました」というメイルが送られていました。

ダンに発見画像のイメージを報告しようとしましたが、板垣氏の写野がわかりません。そこで、02時04分に『発見フレームの写野を教えていただけますか』と問い合わせました。氏からは、02時06分に電話があり「写野は、2゚.2」とのことです。そのとき、『報告された観測は、モーションが少し合いません。どこかおかしくないですか』と伝えておきました。門田氏からは、02時16分に「仮ですが、まずは、おめでとうございます。日本国内で確認されていればいいのですが、夕方低かったのでどうでしょうか。こちらは強風で、依頼を受けても観測できなかったと思います。夜半ごろ風が止みましたが、また強くなってきまして、今も待機状態です。明晩、穏やかな晴天になることを期待しています」というメイルも届きます。

とりあえず、02時20分に、この発見をドイツのマイク(メイヤー)とクレットのチカに伝え、西の地域で確認してもらうことにしました。ただ、このメイルは、以前のメイルをコピーしたために、間違ったサブジェクトで送ってしまいました。そこで、彼らには、正しい発見状況を02時37分に伝えておきました。そのとき、ダンにも同じメイルを送り、『Itagakiの捜索望遠鏡の写野は2゚.2であること。私の方で測光した彗星のCCD全光度は11.9等で、彗星は、弱い集光があって拡散状、南に尾らしき痕跡が見られる』ことを伝えておきました。02時43分には、板垣氏が門田氏に送った「えっ、あっ……、昨日は土曜日だった! 今の今まで金曜日であの時刻、門田さんはまだお勤めと勘違いして連絡しませんでした」というメイルが転送されて届きます。さらに、氏からは02時50分に未報告の画像2枚が送られてきます。そして、マイクから02時55分に「ここも、タヒチも曇っているが、数人の観測者に確認を依頼しておいた」という連絡、さらに03時03分にチカから「連絡ありがとう。でも、ここ数日、天候が悪く観測ができないと思う」というメイルも届きます。どうも、ヨーロッパ中域は天候が悪いようです。

そして、門田氏からは03時22分に「風は強かったですが、いつもの週末のように夕刻からスタンバイして観測を試みていました。発見された19時ごろは、既知彗星(P/2008 Y1)の観測中で、何枚も撮影して風でブレた画像を削除する作業を繰り返していました。30分ほどの間に10秒露出が2枚だけ成功しましたが、16等級の彗星ですので短時間露出ではまったく写っていませんでした。12等の彗星ならば存在は確認できたかもしれませんが、位置を測定できたかどうかは微妙な状況でした。ということで、どうかお気になさらないでください」というメイルが板垣氏に送られていました。そのメイルには、さらに「実は、中野さんから発見画像が添付されたメイルが届いたとき、確認依頼を見落としたかと思って、あわてて受信メイルをチェックしました。画像に記入された座標から、もう沈んでいることがわかりましたので、緊急対応で高鳴る気分はすぐに収まりました」と続きます。『門田さん。ごめんなさい。私が処理しておれば連絡できたものを……』と気まずい思いをして、氏のこのメイルを読みました。最後に、最近多くの彗星観測を行っている守山の井狩康一氏にも06時07分にこの彗星の確認をお願いして、08時10分にオフィスを離れました。空は、快晴の空になっていました。

その夜(3月15日)は、21時20分に自宅を離れ、ジャスコによって21時30分にオフィスに出向いてきました。すると、その日の午後15時25分に金田氏から「板垣さん発見の彗星の観測で、時刻に誤りがありました。21-cmで観測した最初の2個の観測時刻に対して−4.2分の補正を、30-cmで観測した後半の4個の観測時刻に対して+2.4分の補正をそれぞれ加えたものが正しい値です。次に正しい時刻の観測値をお送り致します。まことに申し訳ございませんが、訂正報告をお願いしたいと思います」というメイルが届いていました。板垣氏に『モーションがおかしい』と伝えたとおり、『やっぱりそうか……』と思いながらそのメイルを読みました。また、板垣氏からも15時29分に「本当にすみません。金田さんから指摘を受けパソコンの時刻を調べました。すると、発見画像パソコン、観測画像パソコンの時刻がともに大きく狂っていました。まったくお恥ずかしい限りです。穴があったら入りたい気持ちです。昨夜、中野さんから測定が合わないと言われたときに気づくべきでした。まもなく金田さんから正しい測定結果が行くと思いますので、よろしくお願いします。これは、すべて私の不注意によるものです。今後は十分に気をつけます。ごめんなさい……」というメイルもありました。16時05分には、マイクから「スペインのゴンザレスからの彗星の眼視確認」が届いていました。それによると、彗星の眼視全光度は9.6等とのことです。

夜に入り、門田氏から19時26分に18時30分から18時45分にかけて行われた5個の観測が届いていました。氏のCCD全光度は10.8等でした。19時35分には、金田氏から18時42分から19時08分ごろにかけて行われた板垣氏の6個の今夜の観測が報告されています。さらに19時46分には、今朝確認を依頼しておいた井狩氏から19時ごろに行われた4個の観測の報告もありました。そして、20時06分には、板垣氏から門田氏に「こんばんは。確認観測ありがとうございました。私も撮影しまして、金田さんが測定して中野さんに報告をお願いしました。私は彗星の光度測定はまったく自信がありません。今後の課題です。ありがとうございました」というメイルが送られていました。さらに門田氏からは、20時44分に20時ごろに行われた3個の観測も届いていました。そして、門田氏からは「おめでとうございます! 薄明終了1時間前からスタンバイして、18時27分(JST、薄明終了46分前)にやや集光した拡散像をとらえました。空が暗くなって写りがよくなると、強く集光してコマが広がった明るい姿でした。今夜は少し風が吹いてときどき点像が乱れましたがフレームを選んで測定しました。高度15°ほどで再度観測して位置を報告しました。NEOCPで観測が見られるのですが、もう位置が追加されなくなったようですので公表の準備中かもしれませんね」というメイルが板垣氏に送られていました。そして、私がオフィスに到着したのとほぼ同時刻の21時36分到着のMPEC E68(2009)で、この門田氏の観測までを使用した初期軌道が彗星の発見とともに公表されていました。

そのときのできごとです。21時45分に「うみへび座にあるNGC 2615に15.6等の超新星状天体(PSN)を発見した」という報告が届きます。幸いにも、今夜はみんなに連絡が取れます。そこでこの確認を依頼しました。その間にも八束の安部裕史氏から21時53分に21時頃に行われた3個の観測が「西に低くなっていました。拡散状で測定しづらいです」というメイルとともに届きます。そこで、板垣氏の発見観測の時刻訂正と板垣氏と井狩氏、安部氏の3月15日の観測をその軌道とともに中央局に伝えることにしました。22時12分のことです。そして、22時14分に井狩氏に「ありがとうございました。私から依頼した確認観測も中央局に独自に報告されてください。私にはカーボン・コピーでください。最近、OAAのすべての仕事(『天界』の編集も含めて)が回ってきて身動きがとれません。一人に任せ切ってひどいものです。これで苦情を言われたのではたまりません」というメイルを送っておきました。

超新星の方は、22時44分に板垣氏から「あらためて今晩は。そして、このたびは何もかもありがとうございました。さて、先ほどのPSNですが、私も20時45分に捜索していました。しかし、それらしい天体は存在しません」という報告が届き、この件はすぐ落着しました。22時51分には、OAA/CSのEMESに中央局に送付の軌道と位置予報を入れ、仲間に板垣氏の彗星発見を知らせました。板垣氏の超新星は存在しないという報告は、22時53分に報告者に伝えておきました。この件については、23時04分に門田氏からも「以下の恒星が報告の天体ですが、DSS(R, 1987)に星が写っています。参考のために、さきほど撮像した画像とDSS画像を添付します。なお、向きは上を南に合わせてあります」という連絡もありました。報告者からは、23時22分に「了解しました」という返答がありました。

日が変わった3月16日00時46分にダンから「この彗星名にKanedaをつけるべきなのか。彼は何をしたんだ。実際に彗星を最初に発見したのは誰なんだ。Itagakiなのか、Kanedaなのか。お前の返答によっては、MPEC E68につけた彗星名を訂正しよう。正しい彗星名とお前の軌道を今編集中のCBETに入れることにする。早急に連絡を頼む」との問い合わせが届きます。そこで、01時05分にダンに『実際に彗星を発見したのは、Itagaki一人だ。しかし、Itagakiは、移動天体の検出にKanedaの検出ソフトを使用して彗星を発見したため、非常に強く二人の名前が彗星名に入ることを願っている。それは、205P/Giacobini-Zinnerの再発見時と同じだ。私も、小惑星の共同発見時のように、二人の名前が彗星名に入ることを希望しているが、それは中央局とCSBNの決定に従うことなるだろう』という返答を送りました。その間の00時55分に井狩氏から「NEOCPに掲載されていましたので、直接とも考えたのですが、お手数をおかけすることになってしまいました。また、前回のSN 2009at(PSN in NGC 5301)の確認観測でも、報告フォーマットを知らなかったもので、申し訳ありませんでした。何か確認の必要が生じましたらいつでも連絡してください。位置ぐらいしか測定できませんが……」というメイルが届いていました。

そして、私のメイルを読んだダンは、01時52分到着のCBET 1721で、正式に板垣氏の彗星発見を公表しました。02時37分には、門田氏より「2009 E1の確認観測の件、昨夜観測できなかったことが頭にあり、NEOCPに出ていましたので、報告を急ぐあまりそのまま、小惑星センター宛てのメイルのテンプレートで送信してしまいました。日本国内の観測を取りまとめるため、そちらを経由した方がよかったですね。どうもすみませんでした。急いでいろいろ対応したため疲れが出てきました。今夜はもう少しで作業を終えます」という連絡があります。『井狩さん、門田さん。どうもご苦労様でした』。ダンには、02時40分に『きみは彗星名について良い決定をした。また、CBETに私の軌道を取り上げてくれて、ありがとう。HICQ 2008/2009のチェッキング用の位置予報はもう少し待ってほしい。私は、今、3月のMPCsに従って、彗星軌道ファイルの軌道要素を更新中だ』というメイルを送っておきました。そして、ダンは、これまでの発見経過をまとめたIAUC 9026を06時09分に発行しました。私の方も、板垣氏の彗星発見を新天体発見情報No.140で報道各社に知らせました。06時22分のことです。

その夜(3月16日)、オフィスに出向くと、金田氏から20時30分に「このたびの板垣彗星の発見につきまして、たいへんお世話になりました。また、新天体発見情報No.140も送っていただきありがとうございました。お礼申し上げます。板垣さんも3度目の正直でやっとご自分の名前がつき、本当に良かったと思います。この彗星、けっこうな明るさで発見されましたが、それまでに行われていた全天サーベイはこの彗星のいる場所をサーベイしていたのかどうか調べてみました。1月1日以降を調べたところ、2月28日の1夜のみ、サーベイ領域に入っているように思われます。サイデング・スプリングでのサーベイです。ただ、今の観測期間1日からの軌道では範囲内に入っているようですが、軌道はまだ不確かですので範囲外ということも考えられます。しかし、この1夜以外は、1月以後の2ヶ月半で、一度も捜索領域には入ってないようです。このことから考えると、まだまだ小さな器材でもやれば見つかると思っています。それでは、今後もどうぞよろしくお願い致します。ありがとうございました」というメイルが届いていました。皆さんもがんばってください。

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