天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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M31の新星(M31N 2008-11b)と超新星 SN 2008hz

(先月号からの続き)山形の板垣公一氏から2008年11月26日23時23分に「アンドロメダ銀河(M31)に新星らしき天体を発見しました。報告をお願いします」と新星の発見報告があります。出現光度は18.2等でした(先月号のA星)。さらに2日後の11月29日01時04分には、同じく板垣氏から「M31に14等級の新星を見つけました」と、M31に出現した明るい新星の発見(同じく、B星)が報告されます。板垣氏の発見した新星Bは、即座に「BRIGHT NOVA IN M31」として、11月29日07時42分到着のCBET 1588に公表されます。板垣氏からは、同日10時38分に「おはようございます。昨夜は、M31にとても明るい新星が出現し、びっくりしました。もしかしたら、今までで一番明るい新星だったかもしれません。もう1等級、明るかったら超新星! そんなときには、刻々と増光して、あっという間に6〜8等になるらしいです。そして、その後に4〜6等星に! あ〜見てみたい。発見してみたい……。中野さん。いつも急ぎの報告を本当にありがとうございます。門田さん。いつも確認観測を本当にありがとうございます。取り急ぎ、お礼まで」というメイルが届きました。

その日(11月29日)の夜は、前日からの晴天がまだ続いていました。夕刻18時38分には、板垣氏から「こんばんは。昨夜はありがとうございました。今夜の観測です。予想に反して暗くなっていません。5枚で確認しました。昨夜の14.9等は測定ミスではありません。今、再測定しましたが、違う星とのバランスもOKです」というメイルとともに「A星は、18時14分に18.2等。さらに、B星は発見前の11月26日には18.5等級であったこと、今夜(11月29日)18時14分には14.8等です」という光度観測が送られてきます。そこで氏のこれらの観測は、日が変わった11月30日02時42分にダン(グリーン)に送付しておきました。

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208P/マクミラン周期彗星(2008 U1=2000 S7)

11月30日の夜は、その日の明け方は曇っていた空が再び回復し晴天となっていました。この夜は20時00分に自宅を出て南淡路のジャスコに出かけ、ガソリンを入れて21時55分にオフィスに出向いてきました。しかし、この夜は、上の板垣氏の光度観測以外、これら2個の新星についての情報はありませんでした。ただ、この日の昼間14時31分には芸西の関勉氏より11月25日に行われたマクミラン彗星(2008 U1)の追跡観測が届いていました。この夜の晴天は、12月1日の帰宅時にはすでに曇っていました。

その日(12月1日)の夜は22時55分にオフィスに出向いてきました。すると、オフィスに到着する少し前の22時34分に「先ほどは電話で失礼いたしました。今朝、10.5-cm 屈折 f/4.8+キヤノンEOS Kiss Xデジタル・カメラで撮影したしし座にある系外銀河NGC 2903に11.3等のとても明るい超新星らしき天体(PSN)が写っていました。発見時刻は2008年12月1日03時43分頃、4分露出で8枚撮影しました。画像には15.2等までは確実に写っています。超新星状天体は、NGC2903中心部より真東へ約2'.3です。撮影した8枚の画像では移動は認められません。撮影した画像とともにデータを送付します。確認のほどよろしくお願いいたします」というメイルが届いていました。

この報告の確認のために22時54分に山形と上尾に転送しました。次に近くに明るい小惑星が来ていないかをチェックしました。すると、即座に、この天体は番号登録小惑星(192)であることが判明します。そこで、23時01分に『このPSNは小惑星(192)Nausikaaです』というメイル送り確認作業を中止しました。23時10分には、板垣氏より「明るいのでびっくりしましたが……」というメイルが届きました。

その夜のことです。1か月以上前の2008年10月19日には、キットピークでマクミランが1.8-mスペースウォッチII望遠鏡を使用しておひつじ座を撮影した捜索フレーム上に18等級の新彗星を発見していました。この彗星は、周期が約8年の新周期彗星でした。発見当時の形状は、彗星には約5"のコマと西南西に15"の広がった尾が見られています。発見翌日にギッブズがレモン山の1.5-m反射を使用して撮った画像では、彗星には、西南西に伸びた6"×8"のコマがあって、さらに外を10"の淡いコマが取り囲んでいたとのことです。なお、彗星には、9月20日に91-cmスペースウォッチ望遠鏡で撮られた捜索画像上に発見前の観測が見つかります。さらに後になって、10月6日と10日の観測がキットピークから報告されています。

芸西の関勉氏から前日に届いていた11月25日夕刻の観測を加え、軌道を改良し、彗星が過去に観測されていないかを探りました。すると、2000年の観測の中に近日点通過時刻への補正値(ΔT)が一致している1夜の2組の観測が見つかります。これらは、いずれもローエル天文台のアンダーソン・メサ観測所で行われているLONEOSサーベイで、2000年9月23日と10月2日に撮影された捜索画像に写っていた天体名が29N28Wと2A218Dの2組の1夜の天体の観測でした。その光度は18.1等と18.3等でした。計算された軌道からのずれは、赤経方向に+0゚.45、赤緯方向に+0゚.12でした。ΔTの補正は、いずれもΔT=+1.19日とよく合っていますので、この2個の天体とこの彗星が同じ天体であることは、間違いありません。

『やった。見つけた』です。喜び勇んで連結軌道を計算しました。この結果は、すぐ、12月2日00時59分にダンに報告しました。それと、最近この方面で大活躍のドイツのマイク(メイヤー)にもこの同定を見つけたことを知らせておきました。というのは、調べれば誰でも簡単に発見できる同定ですので、そろそろ彼も見つけることが予想されたからです。しかし、ダンに送ったメイルを見ると、1ライン・オービットは2009年のもので、MPCのフォーマットで掲載された軌道は2000年のものでした。そのため、01時21分に『1ラインと掲載した軌道が違っているが特に問題はないだろう。どうせ連結軌道はそちらで計算するだろうから……』というメイルをダンに送っておきました。そのメイルには、最初の報告に書き忘れた『彗星は、2004年7月8.8日UTに木星に0.18 AUまで接近していた』ことをつけ加えておきました。そのあと、また記述ミスを見つけます。それは、最初のメイルでは『2008年9月20日から11月21日までの観測から決定された軌道から同定を見つけた』となっていましたが、実際の最終観測は11月28日でした。しかし、これは『どうせそちらで計算すれば分かる』と訂正を送りませんでした。

02時39分には、仲間にこの同定を見つけたことを知らせるためにOAA/CSのEMESで『2008年9月20日から11月28日までに行われた96個の観測から決定した軌道から、2000年9月と10月にLONEOSサーベイで発見された18等級の1夜の天体(29N28Wと2A218D)がこの彗星と同定できることを見つけました。これらの観測は、その軌道から+0゚.47(ΔT=+1.19日)のずれがありました。次の連結軌道は、2000年から2008年までに行われた103個の観測からを計算したものです。平均残差は±0".66。彗星は、周期が8年ほどの新周期彗星でした。なお、10月27日の観測が芸西の関勉氏と上尾の門田健一氏から報告されています。門田氏のCCD全光度は18.2等。関氏からは11月25日の観測も報告されました。前回の近日点通過はT=2000年12月8日。彗星は、2004年7月に木星に0.18 AUまで接近していました』というコメントとともに入れました。06時19分になってマイクから「連結軌道を使用して、DSS(Digital Sky Survey)上に彗星が撮影されていないかを調べた。しかし、見つからなかった」という連絡が届きます。そこで06時57分には、氏にお礼のメイルを送っておきました。

それから1日半が過ぎた12月4日08時13分にダンから「お前の軌道をIAUCに入れたい。2000年と2008年の1ライン・オービットを送ってくれ」というメイルが届いていました。しかし、この同定を見つけた12月2日夕刻から京都に出かけ、帰宅したのは12月3日18時20分のことです。普通ならばそのまま業務を行い、ダンのこのメイルは問題なく読めるのですが、大変疲れてしまったために自宅に戻り睡眠をとりました。何と22時間も眠り、起床したのが12月4日22時20分です。そして、ジャスコで食料品を買って、その夜オフィスに出向いてきたのは22時55分のことです。そのためダンのこのメイルは読めませんでした。ダンも私の返信が届かないことであきらめたのか、この同定を告げるIAUC 9000は12月4日14時11分に到着していました。『あれ……、申し訳なかった。編集に苦労しただろうな……』と思いながら、12月4日23時30分にダンに『申し訳ない。今まで京都に出かけていた。IAUC 9000に私の連結軌道を採用してくれてありがとう。きっと編集に余分な労力を使わせてしまったに違いない。申し訳ない』というお詫びのメイルを送っておきました。なお、2000年に観測されていたこの2夜の天体には、新たに彗星符号2000 S7が与えられ、過去の彗星の出現として登録されました。

ところで、しし座のNGC 2903の超新星状天体については、12月2日19時11分に「昨夜は、ありがとうございました。帰宅してから誤って報告した画像を確認してみました。撮影した8カットの最初の画像と最後をブリンクすればわずかに移動しているのが一目瞭然でした。他にも確認方法があったはずで、もっと落ち着いて考えればこの天体が超新星ではないと気づいていたと思うと情けなくもあります。ふだんの活動として、超新星ではなくデジカメによる彗星捜索をしていますが、今回の事を念頭に置き、同じ間違いをしないよう十分注意したいと思います。あらためて、ありがとうございました。また、ご迷惑をおかけしました」というメイルも届いていました。『がんばってください。新彗星の発見報告を待っています……』。

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M31の新星(M31N 2008-11b)と超新星 SN 2008hz(再度、登場)

12月7日の19時30分に起きると、エアコンの外気温の表示は1℃となっていました。この日は、この冬もっとも寒い朝(夜)でした。そして、この夜は20時05分に自宅を出て、南淡路のジャスコまで出かけ、ガソリンを入れ最後に洲本のジャスコにも寄って22時10分にオフィスに出向いてきました。

すると、山形の板垣公一氏から12月7日23時36分に電話があります。さらに23時53分に「こんばんは。今、想像もできなかった不思議なニュースがウェッブ・サイトに入ってきました。取り急ぎお知らせします」というメイルも届きます。氏の話では、先日、M31に発見した2個の新星は「暗い方のA星は、じつは、M31の背後にある銀河に出現した超新星。明るい方のB星は銀河系内の変光星だった」というのです。氏に教わったウェッブ・サイトには「Itagakiが発見したM31に出現した新星をパロマーの5-m ヘール望遠鏡で観測したところ、この星は極大近くにあるIa型の超新星であることが判明した」と報告されていました。板垣氏のメイルを見た上尾の門田健一氏からも、その夜12月8日03時28分に「えぇっ! じつは超新星だったのですか? これは驚きました。続報がありましたらお知らせください。今夜は曇ってきましたので観測を終えました。そろそろ寝ます」というメイルが届きます。

また、この情報を知ったダンからも05時55分に「Itagakiの暗いM31の新星(M31N 2008-11c)について「12月4日にこの星のスペクトル観測を行った観測者から、この星はM31の向こう側にある銀河の中に出現した超新星だったとの報告があった。この星の出現位置は、M31から北に約1゚の位置にある。そこにM31内のダスト(星)がなく、背後がはっきり見えているならば、Itagakiにこの星の近くに母銀河が見えているかどうか、彼の画像のチェックをするように伝えてくれないか」という依頼が届きます。このメイルは、板垣氏に転送し、ダンには、別件のHICQ 2008/2009の編集についての回答を同じメイルで伝えておきました。07時07分になって、板垣氏より「おはようございます。確かにこの星の近くに恒星がほんの少しボケた感じの天体があります」という情報が届きます。そこで、このことを07時51分にダンに伝えておきました。ダンは、08時52分に到着のCBET 1609で、この事実を公表しました。

さらにその翌日、12月9日05時12分到着のCBET 1611には「同じパロマーの観測グループから、同時に行ったM31に出現した明るい新星(2008-11b)は、銀河系内の激変変光星であったことが判明した」という事実も公表されます。結局、板垣氏が発見したM31の2個の新星は、暗いA星が超新星、明るいB星が変光星という結果となりました。

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超新星 SN 2008ie in NGC 1070

12月15日23時45分に茅ヶ崎の広瀬洋治氏から「2008年12月15日22時すぎに35-cm f/6.8 シュミット・カセグレン反射望遠鏡+CCDカメラを使用して、くじら座にある系外銀河NGC 2770を撮影したサーベイ・フレーム上に16.9等の超新星を発見しました」という報告が届きます。そこには「発見フレームは14枚撮影、極限等級は17.5等級で、その間の移動はありません。超新星は、銀河核から西13"、北15"の位置に出現しています。この超新星は、2008年11月20日と12月3日(極限等級が約18等級)に、この銀河をサーベイしたときにはまだ出現していませんでした」ということが報告されていました。広瀬氏の発見報告は、12月16日01時27分にその確認のために山形と上尾に転送しました。そして、01時42分にダンにこの発見を報告し『これからHiroseの発見画像を精測する』ことを伝えておきました。そのあと、広瀬氏から送られていた発見画像から超新星の出現位置を精測する作業を始めました。

すると、01時57分に上尾の門田健一氏から「NGC 1070は、まだ高度15゚ほどの位置にありますので観測を始めました。低空の電線の間を通過中で写りが良くないためしばらく撮像を続けてコンポジットしてみます」というメイルが届きます。ということは、確認観測はぎりぎりで間に合いそうです。門田氏からの連絡を待つ間に超新星の出現位置の測定が終了しました。そこで、これらを02時07分にダンに送付しました。これによると超新星は銀河核から西に21"、北に12".5の位置に出現していることになります。待っていた門田氏からのメイルが02時53分に届きます。しかし、そこには「02時頃に25-cm f/5.0反射+CCDで90秒露出×16フレームを得て、加算平均したコンポジット画像をチェックしましたが、低空と電線の影響で写りが悪く超新星状天体は確認できませんでした。極限等級は17.2等でした。なんとなく写っているような気がするのですが銀河の広がりのムラように見えて、独立した天体とは断定できませんでした」と書かれてありました。『あじゃ……、ダメだったか』と思いながら、03時02分に『ご苦労様でした。高度15゚だとちょっとしんどいですよね。こちらからの連絡が1時間ほど遅れました。申し訳ありません。今夜も快晴です。C/2007 N3にもう一度挑戦しようかなぁ……と思っています。ただ、デジカメでは写らない気がします。12月15日朝のCCD全光度が8.8等ということは眼視では6等級後半なのでしょうか』というメイルを送っておきました。

じつはこのメイルにあるC/2007 N3については、門田氏が12月15日05時39分頃に、明け方の低空にあるこの彗星の観測に成功していたことを知って、12月15日11時51分に『さすがだねぇ……。私も、今日朝観測しましたが、デジカメ上では10等級の恒星まで写っているのに彗星の明瞭な像は見出せませんでした。これは、デジカメのせいか、私の腕のせいか、どうなんでしょうねぇ……』というメイルを送ってありました。そのメイルと今送ったメイルについて、03時30分に氏から「観測室に上がってみると低空はガスっていました。空の条件も今夜は良くなかったです。C/2007 N3は、先きほど昨夜の画像を送りましたので、写り具合を比べてみてください。眼視等級は7等級でしょうか。超低空ですのでもう1夜観測して光度を確認したいところですが、昨夜は日の出まで観測をやっていたので体力維持のために今夜はそろそろ作業を終えます」という返答が届きました。さらに、山形の板垣公一氏からは、07時56分に「皆様おはようございます。山形は毎日雪曇りです。太陽も月も見えません。広瀬さんおめでとうございます(仮)……」というメイルが送られてきました。

広瀬氏の発見したこの超新星については、中央局に氏の発見より約10時間ほど早く南米セロトロロの観測グループによって発見されていたことが報告されました。同観測グループによると、この超新星は、彼らが12月6日に撮影した捜索フレーム上に17.1等の星として写っていたことが報告されていました。そのため、幸いにも第2夜目の確認観測を待つことなく、12月16日09時22分到着のCBET 1618でその発見が公表されました。なお、広瀬氏の超新星発見はこれで5個目となります。

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