天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2009年7月4日発売「星ナビ」8月号に掲載

NEAT周期彗星 207P/NEAT(2001 J1 = 2008 T5)

地球に衝突した小惑星2008 TC3の原稿を書いていた10月17/18日夜のことです。10月18日05時43分に上尾の門田健一氏から「COMET P/2001 J1]というサブジェクトがついたメイルが届きます。そこには、氏が「2008年10月15日に2001年に出現した新周期彗星C/2001 J1を16.4等で検出した」こと、さらに2日後のこの夜にこの検出を確認したことが報告されていました。氏の観測によると、検出時、彗星には中央集光のある約0'.6のコマが見られたが尾はなかったとのことです。

さっそく2夜の観測の予報軌道(NK 802)からのずれを見ました。両夜の観測は、予報軌道からのずれが赤経方向に+1692"、赤緯方向に−376"ほどあるものの、この彗星の動きに沿って移動していました。2000年/2001年の観測と門田氏の観測を使用して、その連結軌道を計算すると、問題なく2000年/2001年の観測にフィットします。そこで、氏のこの彗星の検出を06時19分発行のOAA/CSのEMESで『上尾の門田健一氏は、2008年11月に近日点を通過するこの彗星を10月15日に検出し17日にこれを確認しました。氏のCCD全光度は、15日に16.4等、17日に16.5等と予報光度に良く一致していました。検出時、彗星には、集光のある30"ほどのコマが見られたとのことです。検出位置は、予報軌道(NK 802)から赤経方向に+0゚.47、赤緯方向に−0゚.10のずれがあり、近日点通過時刻の補正値にしてΔT=−0.54日でした』というコメントをつけて、仲間に知らせました。それを見た山形の板垣公一氏からは、さっそく、07時27分に「おはようございます。中野さん。情報ありがとうございます。門田さん。すごいですね! 私もこの辺は21-cmで何度も捜索していますがこの明るさでは無理です。「狭く深い視野」での検出、素晴らしいですね!」というメイルが届きます。しかし、その日(10月18日)には、門田氏のこの彗星の検出は公表されませんでした。

その夜のことです。10月19日04時13分になって、門田氏より「いつも観測の公表、ありがとうございます。とても励みになります。板垣さん。励ましのお言葉をいただきまして嬉しく思います。ΔT=−0.5日の捜索フレームから見つけました。予報より視野1つ分(30'角ほど)外れた位置でしたが、バリエーション上にいたこと、そして2夜のモーションが一致したことから、目当ての彗星であると断定して報告しました。運良く晴天が続き、月明かりに負けない明るさでしたので、自力で確認ができました」というメイルが届きました。そこで、04時24分に『まだIAUCに公表されませんが何か言ってきましたか。こちらには何も連絡がありません』という返答を送りました。すると、「いえ、連絡は来ていません。さらに確認の観測を待っているのでしょうか」という連絡が届きます。そこで、04時51分にダン(グリーン)に「昨夜Kadotaから送ったP/2001 J1の検出は正しいものだ。できるだけ早くこのことを公表して欲しい」というメイルを送っておきました。門田氏からは、05時02分に「どうもお手数をお掛けします。ただいま、今夜のP/2001 J1を観測中です。精測はのちほど報告しますが、画像を見たところ、彗星は、10月15日、17日と同じΔTの位置を、同じモーションで移動しています」という報告があります。そうしていたとき、昨夜のEMESを見た八束の安部裕史氏から05時16分に19日04時23分頃に行われた2個の観測が届きます。氏のCCD全光度は16.0等でした。さらに門田氏からも、04時50分頃に行われた第3夜目の3個の観測も届きます。しかし、この日も、門田氏の検出はIAUCに公表されませんでした。

その日からさらに1日が過ぎた10月20日まで、この彗星の検出は公表されませんでした。この夜21時27分には、アンドロメダ銀河に出現した新星(2008-10b in M31)の発見報告が九州の西山浩一・椛島冨士夫氏から届きます。この発見は、22時54分にダンに伝えました。そのメイルには『返答がないが、P/2001 J1の公表はどうなっているのか』とつけ加えておきました。しかし、ダンからは何も返答がありません。この時期、彼の父さんの容態が優れなかったために約800-km離れた自宅を往復していましたし、他の職員はハロウィン前の休暇でどこかに出かけていたのでしょう。門田氏からは、10月21日00時02分に「こちらにも連絡は来ていません。今夜は曇天です。M31の新星、発見等級は暗いですが、増光中とのことですので空の状態が良い日なら写るかもしれません。ちなみにM31の新星で、こちらで確認した最微等級は17.5等でした」というメイルが届きます。

ところでこの時期、またハードディスク(HD)のトラブルに見舞われていました。そこで、関係者の浅見・小林・門田・安部の諸氏に「うまく、いったぞぅ〜」というサブジェクトをつけて『悩みに悩んだHDの入れ替えはうまくいきました。これでOAA/CSがハング・アップすることがなくなります。しかし、SCSI仕様のHDの中にIDEドライブを入れているのは、やっぱり詐欺だ。メルコ(バッファロー)はけしからん! ただ、800円ほどの中古のIDEユニットの入れ替えで、3分割できるHDが生き返ったのは、詐欺(中身がIDEドライブだったこと)が幸いしました。これで、浅見さんがご訪問の際にお見せ実演した無線LANが自宅で動くようになれば、我が家も24時間自宅で仕事ができるようになります。これはうれしいね……。今回は今のところ「くそ! また浅見にだまされた」は、まだないようです』というメイルを07時23分に送っておきました。なお、このシリーズのメイルは、このあと10月25日の朝まで14通のやり取りがありました。そうしていると、門田氏の彗星検出が公表されたIAUC 8996が10月21日07時37分に届きます。そこには「門田氏の3夜の観測と安部氏の10月18日の観測」が公表されていました。これで一安心ですので、07時40分に門田氏に『おめでとうを忘れました。検出は、初めてでしたっけ……』というメイルを送りました。08時59分には、板垣氏からも「おはようございます。彗星検出、公表、おめでとうございます。見晴らし等を察するにけっして恵まれた環境でなさそうですが、凄いですね! 今、仕事で京都にいます。取り急ぎ、お祝いまで。おめでとうございました」というメイルが送られていました。

10月21日夜、オフィスに出向いてくると、13時58分に門田氏から「ありがとうございます。どうもお世話になりました。回帰の確認観測と、公表後にサーベイフレームから見つけたことはありますが、自力での検出は初めてです」というメイル、さらに氏から安部氏に送られた「確認観測、ありがとうございました。日本のアマチュアだけで検出と確認ができたことは励みになります」というメイルが転送されて届いていました。

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超新星 SN 2008gz in NGC 3672

門田氏によるP/2001 J1の検出のあと、板垣・西山・椛島氏によるM31の新星(11月4日;2008-11a)、板垣氏によるペガスス座変光星の増光(11月6日)の発見がありました。また、彗星状天体の発見報告もありました。11月6日明け方のことです。04時10分に山形市の板垣公一氏から電話がありました。てっきり大きな声で「中野さん。おはよう。1個見つけた」という電話かと思いましたが、発見報告ではありませんでした。しかし、それから1時間後の05時07分に「PSN(超新星状天体)です。今、報告します」と書かれたメイルとともにその出現位置と光度(16.2等)の1行だけが届きます。『いったい、これはどういうことか』と思いましたが、先ほどの電話で『何だ〜。発見じゃないの……』と言ってしまったことを気にかけて、前もって知らせてくれたのでしょう。そこで、しばらく待つことにしました。しかし、05時30分を過ぎてもまだ報告が届きません。しびれを切らし、催促の電話をかけようとしたそのとき、05時34分に発見報告が届きます。

そこには「2008年11月6日明け方、04時57分頃に東の空、低空にあるおとめ座の系外銀河NGC 3672を60-cm f/5.7反射望遠鏡+CCD使用して15秒露光で撮影した7枚の捜索フレーム上に16.2等のPSNを発見しました。過去の画像上にはその姿はありません。しかし、発見位置は太陽に近く、最近の画像はありません。低空のため20分間の追跡ですが、その間に移動はありません」という報告が書かれてありました。05時45分には氏から電話があります。そこで『これから送ります。まもなく金沢で会えますね』と伝えておきました。そして、氏の発見は05時49分にダンに送付しました。氏からは、05時55分に「改めておはようございます。拝見しました。ありがとうございます」というメイルが届いていました。

この日(11月6日)は、20時15分に自宅を出て、南淡路に向かいました。大雨でした。ジャスコに出向き、車にガソリンを入れて最後に洲本のジャスコに立ち寄り、オフィスに出向いてきたのは22時00分でした。この夜は『これでは明日朝の確認はとても無理か……』と思うほどの全国的に悪天候です。11月7日01時32分になって、上尾の門田健一氏より「昨夜、板垣さんから第1報をいただいていましたが、作業を終えた後でした。最後のフレームの撮像が終わったら、CCDの冷却を解除しながら寝支度をして、10分後にはもう寝ていました。残念ながら今夜は分厚い雲に覆われています」という連絡があります。『やはり、そうか……』と思いながら、02時04分に『広島のスペクトル確認にも回しましたが、こちらは大雨です。11月8日/9日と金沢に行きます。板垣さんは、来られるということです。最近、よくお会いしますね。板垣さん……』というメイルを門田氏に送り、明日と明後日は、金沢に行っていることを伝えました。板垣氏からは、07時45分に「楽しみにしています」というメイルが届いていました。

11月7日の夕刻も南淡路に向かいました。そして、オフィスに出向いてきたのは22時50分のことでした。この夜の11月8日00時25分にダンから「板垣氏から10月3日、西山・椛島氏から10月29日に報告のあったM31の新星」について「お前たちは、Nova M31 1995-11eの情報をどこから得たのだ。出現位置は、2009年10月の新星と同じなのか」というメイルが届きます。そこで、00時48分にこの新星(1995-11e)についての門田氏の調査をダンに送っておきました。そこには『今日と明日、金沢に出かけていない』ことを伝えておきました。

なお、この新星については、10月3日21時48分に板垣氏から「2008年10月3日20時52分に撮影した捜索画像上に18.5等で発見した」という報告がありました。氏によると「2007年10月13日と2008年10月2日に撮影した極限等級が20等級の画像上には、この星は見られない」とのことでした。さらに、10月29日00時56分に西山浩一氏と椛島冨士夫氏から「2008年9月7日に発見しましたが、再発新星と判りましたので報告しませんでした。しかし、マックスプランク研究所では、Nova M31 2008-08bを発見していますが、この星の出現位置は1997-10fとまったく同じで再発新星のようです。そのため、再発新星も2度目の発見が認められると判断し報告します。この星は、2007年11月と12月の5夜の捜索画像上には見られませんが、2008年6月から10月までの28夜の捜索画像上には18等級で、かなり増光、減光を繰り返して観測できています」という報告がありました。もちろん、両者の位置は0".2以内で一致しており、位置的には同じ星でした。板垣氏の発見直後に、氏と門田氏の調査によると、Digital Sky Survey(DSS)の画像上、まったく同じ位置に星があることが判明しました。さらに札幌の金田宏氏と門田氏の調査によると、この星は、1995年11月に報告されたときに、Nova M31 1995-11eとして登録されていることが分かったのです。また、過去1989年と1993年にも観測されていました。そのため、ダンにはこの事実を伝えておいたのです。

その夜(10月8日)の00時56分には、門田氏より「まだ未確認ページに載ったままですね。確認が待ち遠しいですが、今夜は曇天で重苦しい空です。盛況な総会(OAA)になることをお祈りします。実世界では、しばらくご無沙汰していますのでまたお会いしたいですね」という連絡が届きました。氏からは、また、板垣氏にも「いつも明け方まで観測されて睡眠時間が短いようですが、よく体が持ちますね。もう山形は寒い日々が続いていると思いますので、体調にはお気をつけください。こちらは、平日は通勤で疲れますので、急な観測がなければ28時くらいで終えています。矮新星はCBETで公表されましたね。おめでとうございます。M31のページには新星の発見が出ました。続けておめでとうございます」というメイルも送られていました。この日の朝は07時10分の高速バスに乗らねばなりません。そのため、この夜は02時15分に自宅に戻り少しの睡眠を取ることにしました。しかし『声を大にして言いたい』。私は、この会(OAA)に何の愛着もありません。そんな会の総会、しかも、何の収穫もない、単なる顔見せのためになぜ出席しなければならないのでしょう。いまどきこんな会合に出席する人たちの顔を見たいものです。まったく困ったものです。

金沢には、その日の12時14分の列車で到着しました。金沢は、すでに紅葉が始まっていました。ボストンでのすばらしい紅葉には及びもつきませんが、秋は私の大好きな季節です。以前にディビット(アッシャー)に「お前はいつの季節が好きなのか」と聞かれたことがあります。そのとき『秋だ』と答えました。するとディビットは「スコットランドでは、多くのものは春と答えるのに、なぜお前は秋なのか」と言います。そこで、『秋は、Everything is going to dieの季節だ』と答えました。彼は笑いながらも、私の『そのすばらしい』秋についての心情が分かってくれたようでした。

さて、金沢でのただ1つの楽しみは、板垣、安部、椛島、西山ら発見者の方々にお会いできることでしょうか。安部さんは、娘さんが代理で出席されるとのことです。これもまた楽しみです。板垣さんと話した後、ホテルに戻りました。すると、この日、オフィスを離れたあとの03時49分に氏から門田氏に宛てた「ありがとうございます。今、金沢駅前のホテルにいます。近年は2時間位寝ると十分なようです。若いときには、眠くて眠くて……の繰り返しでしたが、年のためか眠くないんです。私は自営業、しかも最近、仕事は息子たちにかなり任せていますし今は気が楽なんです。門田さんの生活こそ頭が下がります。このところ幸運が続きました。重ね重ねありがとうございます。そろそろ寝ます。おやすみなさい!」というメイルが転送されて届いていました。板垣氏には、21時56分に「ホテルからLANが通じるようなので、本日のお例を申し上げます。本日は、タクシー代とコーヒー、ケーキをごちそういただき大変ありがとうございました。夜中に目が覚めてお暇でしたらご連絡ください。ム〜ム〜、このモバイルは使いづらいです」というメイルを送っておきました。すると、22時04分に氏からのメイルが届いていました。そこには「こちらこそ、ありがとうございました。まだまだ眠くないです」と書かれてありました。しかし、この連絡を知ったのは、午前04時前のことです。そこで、03時54分に『起きたり寝たりしていましたが少し寝ます。ご連絡は電話して来いということだったのですか。そうだったらすみません』というメイルを返しておきました。

さて、金沢から戻ってきたのは11月9日20時30分のことです。体調を崩さないように自宅に戻って眠ることにしました。そして、オフィスに戻ってきたのは、それから約9時間後の11月10日06時30分のことでした。11月9日14時47分には、ダンから「板垣のPSNはどうなったのか。誰も確認できないのか」というメイルが届いていました。いつもなら次の夜に送る確認観測が来ないので心配しているのでしょう。そこで、07時08分に『金沢から戻ってきて今まで眠っていた。連絡が遅くなって申し訳ない。Itagakiからは、約3カ月前の画像があると聞いている。このメイルを彼に転送しておくので、何かの情報をくれるかもしれない。日本は天候が悪く、また超新星の位置が明け方の薄明時に高度が25゚と低いために、どこでも確認観測を行えないのだろう』と伝えておきました。オフィスを留守にした2日間の間にたまった仕事を処理して正午頃に自宅に戻りました。

その夜(11月10日)は、ジャスコによって22時50分にオフィスに出向いてきました。すると15時42分着のCBET 1566に板垣氏の発見した超新星の出現が公表されていました。CBET 1566によると「Itagakiから報告されたこの超新星は、11月8日05時頃にオーストラリアのパース天文台のマーティンからこの超新星の独立発見が報告され、超新星の出現が確認された。同所で撮られた6月19日の捜索フレーム上には、この超新星の姿は見られていない。このとき、超新星は15.5等とItagakiの発見時より少し増光していた」と報告されていました。16時44分には、板垣氏から「こんばんは。金沢では何かとありがとうございました。この前のPSN、おかげ様でSN 2008gzとして公表になりました。中野さんには、深夜とか明け方とか、普通なら考えられない時間帯に対応して頂けますので安心して捜索、そして報告できるといつも感謝をしています。重ねてお礼を申しあげます。お身体には十分に気をつけられて、今のような夜昼逆の生活を今後も続けて頂きたいと思います。勝手にすみません! そして、私も中野さんの真似をして一日も早くそんな生活をしたいと夢みています。本当にありがとうございました」というメイルが届いていました。

その夜になって、門田氏からは11月11日00時29分に「ご発見、誠におめでとうございます。こちらで確認できずさらに曇天続きで気を揉んでいたのですが、CBETで公表されてホッとしました。中野さんのひたむきなバックアップに支えられて日本の発見者や観測者が世界で活躍できますので本当にありがたいと思います。毎日、夜が明けるまでの作業は激務だと思いますので無理はなさらないでくださいね。板垣さんも、曇天の日にはゆっくりお休みください。見つかるときは遥か彼方の星の光に突然巡り合うひらめきのようなものかも知れませんので、一息入れると勘が冴え渡っていい結果が訪れるのではないでしょうか」というメイルも届きます。

さらに板垣氏からも、00時57分に「こんばんは。今、山にいます。天気予報では晴れとなっていますがとても捜索できる空ではありません。でもこれから晴れる可能性もあるので粘っています。いつも、いつも、お祝いをありがとうございます。先月の前半は良く晴れたのでかなり捜索しました。でも成果はありませんでした。最近はほとんど晴れません。でも、少しのだけの捜索で発見できました。とても不思議な幸運です。門田さんには、これまた深夜に確認観測をして頂きましてほんとうにありがとうございます。いつも感謝しています。東亜天文学会の総会、来年は静岡での開催が決まりました。西村さんがお引き受けして下さいました。とても楽しみです。ありがとうございました」という返信も届きました。この日の朝は、この秋一番の寒さで外気温も16℃となっていました。金沢で見た「綺麗な紅葉」がまもなくここにも訪れることを期待して08時45分に自宅に戻りました。

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