天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2008年6月5日発売「星ナビ」7月号に掲載

アポロ型小惑星 2007 YZ

2007年12月3日夜、北見の円舘金氏から「12月2日夜にペルセウス座をサーベイした画像に日々運動が約40'で動く17等級の高速移動天体を発見した」ことが報告されます(先月号参照)。『久々ぶりのアポロ型小惑星の発見か……」と大きな期待をしました。しかし、氏の発見した天体は、その後の観測から小惑星センターのティム(スパール)によって約1か月前に発見されていた2007 VT14と同定され、フォサエ型小惑星(a=2.37 AU、e=0.24、i=24゚)に似た軌道を動いていることが判明しました。この種の天体は、地球に接近したときその動きが速くなり高速移動天体と間違われることがよくあるのです。

1891年、ドイツのハイデルベルグで本格的な小惑星捜索が始まって以来、現在、軌道が計算されている小惑星は40万6485個(小惑星センター公表値は40万6193個)です。その中で、近日点距離が地球の軌道半径より小さいアポロ型(アテン型を含む)天体は約3000個と全体の1%もありません。この中で日本で発見されたアポロ型小惑星はわずかに8個。1個を除いて、すべてアマチュアによる発見です。従って、ある意味では、アポロ型小惑星の発見は彗星の発見より貴重だともいえます。そのアポロ型小惑星も、美星スペースガードセンターで2000年10月に発見された(20826) 2000 UV13を最後に、以後7年間、日本では発見されていません。

さて、その騒動があって約2週間後の12月17日は、世俗との雑用に追われ、昼間に起きていたせいか夜半過ぎまで眠っていました。12月18日00時45分、電話が鳴ります。受話器を取ると、みやきの西山浩一氏からでした。氏は「アンドロメタ銀河の中に16等級の新星をまた発見した」と話します。なお、先月号の最後にある美星の西山浩太氏からの電話は、筆者の記憶違いでした。氏によると「今、その発見を報告しました」とのことです。急いで身支度を整え、近くのコンビニで食料品を購入して、01時30分にオフィスに出向いてきました。すると、00時43分に西山氏と椛島(かばしま)冨士夫氏から12月17日夕刻に発見した新星の発見報告が届いていました。そこには「新星は12月17日22時45分に41-cm反射で30秒露光で同銀河を撮影したフレーム上に発見。発見後85分の追跡ではその移動が見られない。12月15日と16日に撮影された捜索フレーム上にはその姿が見られない」と報告されていました。

西山氏らの発見報告を作成していた最中の01時55分に電話があります。『西山氏からか……』と思って電話に出ると美星からでした。彼らの報告によると「ふたご座を日々運動約60'で移動する18等級の高速移動天体(A01102)を見つけた」とのことです。「これから報告する」とのことでその報告を待つことにしました。その間に、西山氏らの発見を12月18日02時10分に中央局のダン(グリーン)に報告しました。折り返し上尾の門田氏からは、02時21分に「現在、地平高度7゚くらいで、間もなく地平線上の障害物に隠れるので今夜は見送ります」と連絡がありました。氏らの発見した新星は、その後の確認観測からアンドロメダ銀河に出現した新星(2008-12d)となりました。なおこの時期は、アンドロメダ銀河に出現した新星の発見ラッシュで、その3日前の12月14日には山形の板垣公一氏によって別の新星(2007-12c)の発見が報告されていました。

門田氏からメイルがあった8分後、02時29分に美星の浦川聖太郎氏から高速移動天体の発見報告が届きます。そこには「先ほど連絡した天体の発見データを送ります。前回のように人工天体ではないようです。ディリーモーションは60'程度と思われます。チェックのほどよろしくお願いします」というメイルと12月18日00時58分から01時23分までに行われた7個の発見観測がありました。バイサラ軌道を決定すると、天体は西北西に65'の日々運動で移動していることになります。すでに発見されている高速移動天体を調べましたが、この天体はまだ発見されていませんでした。つまり、ひさびさぶりに日本で発見された高速移動天体です。ただ、高速移動天体には間違いありませんが、計算されたバイサラ軌道では、天体の軌道長半径 a=1.62 AU、離心率 e=0.11、近日点距離 q=1.45 AUとなり、近日点距離が1.017 AUより小さいアポロ型小惑星とは言えないことが多少気がかりでした。位置予報を計算すると、当夜03時には地平高度+65゚のに位置あり、まだ十分観測できます。幸いなことにこの夜に連絡があった門田氏、西山・椛島氏は起きているはずです。そこで、まず、その予報位置を氏らと円舘氏に送って、その追跡観測を依頼しました。02時41分のことです。そしてその2分後の02時43分に小惑星センターのティム(スパール)にこの発見を報告しました。

02時46分に門田氏から「これから望遠鏡を向けてみます」という連絡があります。さらにその16分後の03時02分に、氏から「モーションがあった恒星状天体を見つけました。やや暗いのでコンポジット用にしばらく撮像を続けます」とこの天体を捕捉できたことが報告されます。そこで、03時21分に美星に『発見した天体は上尾で捕捉できた』ことを連絡しておきました。03時50分になって門田氏から「恒星に重なっていたので通過を待っていました。恒星状です」というメイルとともに12月18日03時14分から24分までに行われた4個の観測が届きます。氏の光度は18.0等でした。氏の追跡観測は04時06分に小惑星センターに送付しました。そのとき計算されたバイサラ軌道では、天体の軌道はまだq=1.45 AUと、この天体がアポロ型であることを示していませんでした。しかし、これまでの経験から、日々運動が60'より大きな天体はアポロ型の発見であると考えてまず間違いありません。このため、バイサラ軌道では単に離心率が小さい軌道でも観測が表現できることを示していると考えた方が妥当な解釈です。

この計算結果は、04時09分に『門田氏から追跡観測がありました。門田さん。美星は曇っているのだそうです。ありがとうございます。まだバイサラ軌道です。今度は人工天体でなければ良いのですが……』というメイルをつけて美星にも報告しておきました。その夜が明けた07時14分に、確認を依頼したみやきの西山氏から「すみません。当方は、江戸時代のインターネットでダイヤルアップですので、メイルを読むのが今(朝07時)になりました。今夜夕刻晴れれば観測します」というメイルが届いていました。美星で発見したこの天体が小惑星センターの地球接近小惑星の確認ページ(NEOCP)に入ったことを確認してこの夜の業務を終了することにしました。しかし、この日もまたすぐには帰れません。世俗との雑用を済ませるために、銀行と市役所、郵便局に出向き、自宅に戻ったのは11時になっていました。

すると、正午頃になって日本スペースガード協会の高橋典嗣氏から電話があります。「アポロ型小惑星が発見されたということですが……」。『はいそうですね。ただし、まだアポロと決まったわけではありません』。「浅見さんの話では、NEOCPに出ているその後の海外の観測を使うと、アポロ型小惑星の軌道が計算できるとのことです」。『そうですか。追跡観測が報告されましたか。また、夜にくわしい情報を送ります』という話をして、電話を切りました。

その日(12月18日)の夕刻は、ひさしぶりに早く起き、途中でジャスコに寄って20時50分にオフィスに出向いてきました。すると、美星で発見されたこの高速移動天体は、その後、西欧の3か所の天文台で追跡観測が行われ、12月18日07時までに行われた観測から決定された軌道が14時49分に到着のMPEC Y20 (2007)に公表されていました。天体には2007 YZの仮符号が与えられ、その軌道は q=0.56 AU、a=1.06 AU、e=0.47と立派なアポロ型小惑星の1つでした。また、板垣氏からは、16時50分に「山形は雪降りで太陽の存在もわかりません。ところで、最近、M31に多くの新星が出現しますね。びっくりです……」というメイルも届いていました。21時09分に発見が公表されたMPECに『今夜は早めに出てきました。すでに誰かから連絡があったと存じますが、A01102は各地で追跡観測が行われ、次の軌道が決定されています。アポロ型でした。良かったですね。今夜の追跡を待って軌道を再計算します。スペースガード協会用の広報の図に描くのはこれで十分でしょう。ところで美星は晴れていますか』というメイルとともに送っておきました。美星の浅見敦夫氏からは、確認作業を依頼した方々に「おかげさまでアポロタイプの小惑星2007 YZが誕生しました。あらためてお礼申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします」というメイルが21時10分に送られてきました。

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超新星 2007ss in NGC 4617

まだ2007 YZの追跡観測が続いていた12月21日のことです。30年以上も前に務めていた川口市役所より16時58分に電話があり起こされてしまいました。しかも『天体の発見しかかけてくるな』と案内している携帯にです。しかし、『これは幸い……』と外出し、たまっている世俗との用をすませることにしました。それがほぼ終了した21時10分に同じ携帯に電話があります。埼玉県吉見町の市村義美氏からです。氏は「あの……、お聞きしたいのですが、NGC 4617のSN(超新星)は出現しているでしょうか」と話します。そこで『今、外出中なので中央局のウェッブ・サイトで最新の情報を見ていただけませんか。もう少しすればオフィスに出ますので……』と返答して電話を切りました。さらに、ジャスコで買い物をしていた21時32分に再び市村氏から電話があります。氏は「最近の発見はありませんでした」。『どこをご覧になりましたか? 未確認天体のページを見て欲しかったのですが……。もう少しでオフィスに着きます。出向いたらすぐメイルを見ます』と答えました。

オフィスに出向いてきたのは21時50分のことです。市村氏のメイルは12月21日16時56分に届いていました。そこには「今朝、03時41分にりょうけん座にある系外銀河NGC 4617を28-cm f/8.0 シュミット・カセグレイン望遠鏡+CCDを使用して、40秒露光で撮影した2枚の捜索フレーム上に16等級の超新星らしきものが写ったのですが、該当するものがないようです。一応、ネットで調べられるものは全てやってみたのですが見当たりません。画像を添付いたしますのでよろしくお願いします。これから学校の納会に出席しなければなりません。何かありましたら携帯までご連絡をお願いします」という報告と発見画像、その概略の出現位置が書かれてありました。しかし、画像には超新星がどれだか示されていません。また、氏の報告には、過去画像のチェック、その移動の確認、発見フレームの枚数、銀河の中心核からの離角、あるいは、銀河中心の測定位置が報告されていませんでした。21時26分には「今回の画像と2年前の画像を送ります。12月20日までに発行されたCBETには出ていないようです」というメイルが届きます。しかし、添付されているはずの画像は、送付の際に忘れたようで送られてきていませんでした。

とにかく、山形の板垣公一氏と上尾の門田健一氏に発見報告を転送してその確認を依頼することにしました。22時24分のことです。そして、22時28分に市村氏に『いただいた情報では発見報告になりません。発見フレームの数、過去画像、その極限等級、中心からの離角か銀河核と出現位置の精測位置、移動の有無等をご報告ください。なお、この間、発見の報告はいたしません。もし、他(海外)から報告があれば、何卒、お許しご了承ください』というメイルを送りました。市村氏に連絡をとり、これらを確認すると「発見フレームは2枚。2年前の画像には超新星は写っていない。天候が悪化したため移動は確認できなかった」とのことでした。22時32分には門田氏より「すみません、まだ会社です」という連絡があります。さらに22時57分には「こんばんは。市村氏の天体は本物です。まだ低空のために測定は無理ですが、存在は確認しました。測定しましたら報告します」と、超新星は間違いなく出現しているという確認報告が板垣氏より届きます。これで一安心です。そのメイルを読んだ門田氏から23時14分に「こちらは今から帰宅します」というメイルも届きます。

そこで、まず、私の方で市村氏の画像から超新星の出現位置と銀河核の位置を測定して、中央局のダン(グリーン)に報告することにしました。氏から添付されたBMPの画像からその出現位置を測定すると、赤経α=12h41m06s.07、赤緯δ=+50゚23'28".7となり、超新星は銀河核から東に2".6、南に7".9の位置に出現していることになります。フレームの最微光星は18.0等でした。その出現光度は15.2等と測光されます。これは、市村氏が報告してきた発見光度16.6等より約1.5等級ほど明るいものです。もちろん、知られた小惑星が発見位置近くに来ていないか、すでに報告済みではないかをチェックし、『板垣・門田氏が、すでにその出現を確認した』と報告につけ加えました。この発見情報をダンに送付したのは23時43分のことです。それを送った後、再び市村氏に電話をかけ『たった今、板垣氏が確認してくれました。今後の報告にはもう少し情報を書いてください』と伝えました。

とにかくこれで超新星が確認されたことにはなります。ところで、ダンにメイルを送った直後に、門田氏はこの超新星をまだ確認していないことに気づきます。そこで23時47分に氏に『すみません。門田さんも、もう確認したのかと思ってしまいました。報告は、そのままにしておきます』というメイルを送りました。ダンには偽の報告をしたことになりますが、このあと門田氏も確認できるだろうという期待があったからです。そして、市村氏に『グリーンへのメイルのとおり板垣さんが確認してくれました。門田さんはまだでした。前のメイルのとおり、もうちょっと情報をください。なお、2通目のメイルには画像がついてきませんでした』と連絡しました。氏にはすでに電話でこの件を伝えましたが、念のためです。

日付が変わった12月22日00時09分に板垣氏から「NGC 4617の超新星の出現位置を測定しました。ところで、この銀河、見た覚えがあった……。思い出しました。私が発見した超新星2005abの出現した銀河でした。市村さん、おめでとうございます」というメイルとともにその出現位置と銀河の中心位置が届きます。その確認光度は15.5等となっていました。氏の確認は、00時39分にダンに送っておきました。そこには『前のメイルに書いたKadotaの超新星観測はまだ行われていない』ことをつけ加えておきました。そして、板垣氏には00時40分に『過去の捜索画像の情報をください』と連絡しておきました。氏からの返信は01時07分に届きます。そこには「全天べた曇りになったので、今、家に戻りました。明日は上京のため、今夜はお風呂に入って寝ます。最近の画像ですが、山形では12月になって初めてです。栃木では、今月は数回ほど見てるはずですがここではわかりません。今後の課題とします。おやすみなさい」と書かれてありました。

ところで、門田氏が自宅に戻ったようです。01時15分に氏から「先ほど帰宅しました。終電が遅れて2時間ほどかかりました。観測準備中ですが、かなり雲が多い状態です」との連絡が入ります。そして、その10分後の01時25分には「スタンバイしましたが、すでに夜空全体が雲に覆われています。しばらく待機していますが今夜は無理そうです。板垣さんが素早く確認してくれましたので助かりました」と上尾での確認観測が難しいことが伝えられます。その後しばらく待ちましたが、門田氏からの報告はありませんでした。そこで、02時31分にダンに『Kadotaは雲のために今夜は観測できないと言っている』ことを伝えました。それを見た門田氏から「晴れ間が見られないままどんよりした重苦しい空になりました。間もなくルーフを閉じます。でも、確認されてよかったです」というメイルが03時03分に届きます。

03時42分になって市村氏から「先ほど山から帰りました。今回もまた不備な報告になってしまい申し訳ありません」というメイルとともに、発見報告に欠けていた情報と画像が届きます。そこで、氏に『次回からは画像を送るのではなく、きちっと言葉で書いてください。本日の観測、過去の観測、その極限等級はどうなのでしょう』と、04時06分に返信しておきました。

ダンは市村氏の超新星の発見を06時25分到着のCBET 1175で早々と公表してくれました。そこには「Ichimuraは1987年11月22日に新彗星C/1987 W1(Ichimura)と2005年に超新星2005lxを発見している。また、Itagakiは、今回超新星が発見された同一銀河に超新星2005abを発見している」ことをつけ加えてくれました。ダンには07時13分に『すてきなコメントをありがとう』というお礼のメイルを送りました。なお、市村氏には、報道各社に送った「新天体発見情報No.114」を送っておきました。07時24分のことです。

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