天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2006年8月5日発売「星ナビ」9月号に掲載

超新星状天体 PSN in NGC 672

2005年11月2日朝は、スミソミアン天文台のプリント・ショップが11月15日に閉鎖になる(先月号参照)ために急いで編集していたComet Handbook 2006(HICQ2006)の編集作業がようやく終了しました。そこで、06時12分に中央局のダン(ダニエル・グリーン)に「HICQ2006の編集がほぼ終了した。カタロクページが9ページ、位置予報ページが149ページで、総ページ数は162ページだ。ただし、41Pと106Pはフルページに移した。そこに1/4ページの別の彗星を入れようとすると位置予報は11行になってしまうので……」というメイルを送り、帰宅しました。

その11月2日夜は、HICQ2006のプリント・アウトを行なうためにいつもより少し早めの21時に自宅を出て、ジャスコで買物をして、21時30分にオフィスに出向いてきました。この夜は前夜からの秋晴れの空がまだ続いていました。オフィスに入ると留守番電話が点滅していました。さらに、14時40分に一通のFAXが届いていました。そこには「11月1日03時17分に20-cm反射でさんかく座にあるNGC672を撮影した捜索画像に16.5等級の超新星状天体(PSN)が写っています。この天体は、銀河中心から西に62"、東に9"の位置に出現しています。2005年1月7日と10月27日に捜索した極限等級が17.5等級の捜索フレーム、および、DSS(Digital Sky Survey)にもその姿は見られません。1時間の追跡で移動のないことを確認しました。小惑星と最近発見済の超新星は調べました」という報告とともに、その出現位置が書かれてありました。とりあえず、この日までに公表された超新星と未確定の超新星のリストを調べましたが、この銀河に超新星が出現したという報告はまだありませんでした。

そこで、22時03分にダンにこのことを報告しました。メイルには「出現位置の精度が多分低いことと、銀河の中心位置はカタログ記載値であるだろう」ということをつけ加えておきました。もちろん、このメイルは、その確認のために、八ヶ岳、上尾、そして、山形に転送しておきました。この夜は、山形も良く晴れていたようです。メイル送付後1時間も経たないうちに捜索中の板垣公一氏から「NGC672を撮影して過去の画像と比較しましたが、超新星の出現はありません。フレームの限界等級は19等級です」という連絡があります。『えっ、本当ですか……。FAXには、1時間の間、この天体を追跡したと書いてあるんですが……』と氏に確認し、その事実をダンに伝えました。23時04分のことです。もちろん、報告者にはこのことを連絡しました。あっけなく確認作業が終了した1時間後の11月3日00時03分に、上尾の門田健一氏から「今帰宅しました。平日は残業でこの時間になります。念のため望遠鏡を向けてみようと思ったのですが曇ってきました。今年の秋は晴天日が少ないです」というメイルが届きます。また、00時26分には板垣氏から確認画像も届きました。

もちろんオフィスに到着後からHICQ2006のプリント作業は進めていました。すると、板垣氏のメイルから約半時間後の11月3日00時56分にダンから「もう駄目か……」というサブジェクトのついたメイルが届きます。そこには「今、発行されたMPEC V14(2005)にあるとおり、サイディング・スプリング周期彗星(2004 V3)の2005年10月の正しい再観測が報告され、この彗星の軌道が再改良された。できればこの号にあるブライアン(マースデン)の軌道に入れ替えてほしい。ブライアンは、MPEC T80(2005)にある2005年9月8日、10月4日、8日に行なわれた観測は、彗星の核を正確に測定していない(何かのミスがある)と言っている。以前に送った光度パラメータはOKだ。しかし、来年(2006年)には、彗星はかなり暗くなると思われるが……」と書かれてありました。そこで、01時28分に『Okay、入れ替えた。しかし、カタログ・ページと位置予報ページの双方を入れ替えなければいけない。その際のミス・タイプが恐いのとMPECの軌道は1桁少ないので私の軌道を使用した。それと、Kadotaから10月31日の観測の報告があったLINEAR周期彗星(2005 Q4)とリード周期彗星(2005 S3)の軌道と予報も入れ替えた』と連絡しました。

すべてのページの印刷が終了したあと、その保存コピーを取ってUPSの封筒に入れ、封を閉じました。そして、ダンに『今、封筒を閉じた。もうこれ以上の追加と訂正は不可能だ。でも心配するな。きみはホワイト・ペンを持っている。UPSは、11月3日18時JST(=09時UT)にここを出発するだろう。従って、封筒は土曜(11月5日)か日曜(6日)にはそこに到着するだろう。あとでUPSのトラッキング・ナンバーを知らせる。届かないときは彼らに連絡すること』というメイルを04時55分に送り、この作業を終了しました。05時06分にダンから「わかった。待っている」というメイルが届きます。

翌日(同じ11月3日)は、封筒をUPSに持って行くために16時に自宅を出ました。早起きしたのが幸いと、たまっていた世俗とのつき合いを片づけるため、この日は南淡路まで出かけました。そして、オフィスに出向いてきたのは18時20分のことです。いつものことですが、ひとつの仕事が終了すると誰でもホッ…と安心するものです。ダンには19時05分に『ちょっと前にUPSに封筒を渡した。封筒はここを11月3日18時JST(=04時EST)に出発しただろう。でも、早くもひとつミスを見つけてしまった。それは、134ページの128Pの名前の番号を消すのを忘れたことだ。申し分けないが、ホワイトで消去してくれ。なお、封筒はレキシントンの自宅に送った』というメイルを送っておきました。

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超新星 2005ip in NGC 2906

ところで、西日本は、11月3日の朝を境に天候が悪化しました。しかし、山形はまだ晴天が続いていたようです。11月6日01時38分に板垣氏から「こんばんは。中央局の未確認天体のウェッブ・ページにあるNGC2906のPSNは確実に存在します」というメイルが届きます。この超新星は11月5日13時に発見され、その発見光度は15.5等でしたが、板垣氏の確認時の6日01時には14.8等まで増光していたようです。そこで、01時53分にダンに氏のこの確認を報告しました。ダンは、11月6日02時58分到着のCBET275、そして1日後の11月7日06時49分到着のIAUC8628でこの超新星の発見を公表しました。

さて、原稿を送ったときや重要な文書(私にとって)を送ったときは、誰でもそれが送付先に届いたかどうか気になるものです。それも、約2週間の日時がかかって作成したものならなおさらのことです。さらに人一倍、それが気になる私は、ダンにHICQ2006のプリント・アウトを送ったあとも毎夜それを追跡していました。11月6日、オフィスに出向いてきたときに、それをチェックすると、この2日間、封筒がアンカレッジで止まっていることに気づきます。そこでダンに『USPのウェッブ・サイトを見たか。私の封筒が、この2日間、アンカレッジに止まったままだ。普通なら太平洋線で送られるはずが、今回の封筒は3年前に送った封筒同様にアンカレッジ経由となった。なぜ太平洋線経由にならなかったのかわからないが、一度、現地のUPSに状況をたずねてくれないか』というメイルを6日22時55分に送りました。ダンからは7日00時39分に「UPSにたずねたが、彼らは何も知らなかった。彼らの言うには、荷物は月曜(7日)の10時30分EST前(=8日00時半JST)に到着するということだ」というメイルが戻ってきます。

次の日(11月7日)、オフィスに出向いてきたとき、荷物がどこにあるかを調べると、11月7日21時24分にはニューワーク(ニュージャージ州)を出発していることがわかります。しかし、経由地リストにはコローニュ(ケルン、DE)という地名があります。『えっ、米国にもケルンという都市があったけ。DEというのは何州だっけ……』と思いながら、ダンに「封筒は、もう少しでそこに届く。しかし、届くまで4日以上もかかったことになる」というメイルを22時33分に送りました。すると、その夜の11月8日00時54分にダンから「何かの手違いがあったようだ。HICQ2006の封筒は、アンカレッジからコローニュ(ドイツ)に送られた。そして、今、ニューワークからルイスビル(ケンタッキー州)に入った。UPSによると、封筒は、明日11月8日10時30分EST(=9日00時30分JST)に自宅に到着するということだ」というメイルが届きます。『えっ、DEはドイツ(Deutschland)か』と唖然としながら、01時11分にダンに『とにかく、11月15日までには到着するね……』という返信を送りました。すると、ダンから「Yes、それでOkayだ。プリント・ショップの閉鎖までまだ1週間ある。彼らにはすでにHICQ2006の印刷があることを伝えてある。入稿すれば、1日で仕上がる。だから、今週末には購読者にそれを送ることができる。ハード・ジョブ、ご苦労様……」というメイルが届きました。

しかし、2日で届くはずの封筒が5日もかかったのでは私の怒りは収まりません。そこで、UPSのウェッブ・サイトに『こんなことじゃ、困る』というサブジェクトをつけて『11月3日にUPS(Express Envelope)で荷物を米国に送ったものです。通常だったら、2日でケンブリッジ(ボストン近郊)に到着します。しかし、今回は、4日以上経ってもまだ到着しません。UPSの配送記録を見ると、この荷物は、何と! アラスカ経由で、ドイツに行っています。これじゃわざわざUPSで送った意味がありません。毎年1回は、UPSを利用していますがこんなことじゃ困ります。改善されることを強く薦めます』という苦情を書いて怒りを収めることにしました。その後に届いたUPSの回答は「米国の東海岸に荷物を届ける場合、欧州経由も我社の通常のルートのひとつです。しかし、アンカレッジで1日余分にとどまってしまったために、封筒は1日の遅れとなりました。申し分けありません」とのことでした。そして、01時31分にダンにこのことを連絡しました。

次の夜(11月8日)、ダンより「たった今、封筒が到着した。これから最初と最後のページを仕上げて、今日午後にプリント・ショップに入れるつもりだ」というメイルが届きます。23時38分JST(=09時38分EST)のことです。結果的にわかったのは、UPSのルートには、日本→カリフォルニア→ボストンというルートと日本→欧州→ボストンというルートがあるということです。前者のルートに乗れば2日間でボストンに届きます。しかし、後者のルートに乗ると5日間ほどかかることになります。

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アポロ型特異小惑星 2005 UD

2005年10月24日00時12分到着のMPEC U22にカテリナで68-cmシュミットを使用して行なわれている地球接近小惑星(NEO)サーベイで、10月22日にみずがめ座に発見された17等級の小惑星2005 UD(軌道長半径a=1.274 AU、離心率=0.872、近日点距離q=0.163 AU、周期P=1.44年)の発見が公表されました。この小惑星は、発見前の10月6日に地球に0.09 AUまで接近し、南天を高速で移動していました。小惑星は、その頃、15等級まで明るくなっていたはずです。従って、小惑星はこの地球接近のあと、北天に昇ってきたときにカテリナのスカイサーベイで発見されたことになります。発見時には、小惑星は地球から0.32 AUまで遠ざかっていました。また、その発見後も、小惑星は16等級で明るく観測されています。

その発見より、約3週間が経過した11月12日06時58分到着のCBET283に「東京流星ネットワークの大塚勝仁氏らの研究グループは、この小惑星2006 UDが、昼間に活動する「ろくぶんぎ座流星群」の母天体のひとつの候補である可能性のあることを指摘している。さらに、彼らによると、この小惑星の現在の軌道から4000年以上経過した未来軌道は、(3200)フェートンの現在の軌道に似ており、(3200)を含む「ふたご座流星群」を構成する天体のひとつであるかもしれないという。台湾の鹿林で、この小惑星の観測を続けている木下大輔氏の1.0-m反射を使用した観測では、この天体の形状には、彗星の特徴は見られない」という推測が紹介されていました。

その大塚氏から11月21日23時48分にメイルが届きます。そこには「昨日は、大変ご苦労さまでした。でも本当にすばらしい会になりました。台湾中央大学の鹿林観測所(天文台コードD35)の木下大輔さんに2005 UDの観測時刻の訂正値を送ってくれるようにお願いしたところ、以下のようなデータをもらいました。つきましては、鹿林の全観測を差し替えて再計算して頂けるとありがたいです。お手数おかけして申し訳ございません。彼は小惑星センターへは訂正データは送っていないようですが、観測時刻をちょっとミスしたことは報告しています。センターの対応を見ると、基本的には鹿林の観測を全部消去したわけではなく、残差の小さいものは残しているみたいです。つまり短時間の撮像データは、そのまま残しているようです。しかし、系統的な誤差として軌道要素に影響しそうな気がします。なお、センターは鹿林の観測時刻の誤りを公表していないために、JPLや中野さんらの初期の軌道計算では、残差が平均0".7を超えたわけです。再計算に際して軌道要素の誤差も見積もっていただけるとありがたいです。ところで、木下さんは、その後もこの小惑星をたびたび位置観測されているみたいですね。では、よろしくお願い致します」と書かれてありました。

そこで、2006 UDの軌道を再計算しました。もちろん、前回の軌道でも今回の軌道でも、この小惑星の過去・未来軌道で、昇交点黄経が現在の(3200)と一致するものを探すと、CBET283の記述にある大塚氏らのいうとおり、約4500年ほどあとの軌道が(3200)の軌道にほぼ一致します。『それにしても、無数の小惑星の軌道の中から、こんなひとつの天体をよく見つけるものだ……。彼らは、MPECに掲げられるNEOの軌道をすべて見ているのだろうか。もし、そうならば、お・ど・ろ・き・の一語だ……』と思いながら、新しく計算した軌道と『昨日は、ご苦労様でした。少し太られましたよね。お会いしたときに、少しの間、誰だかわかりませんでした。すみません……。さて、観測をありがとうございます。さっそく、軌道改良を行ってみました。鹿林の残差は、ずいぶん良くなりました。11月17日の観測が報告されていましたので、それも含めて軌道改良をしました。ただし、この観測の残差の分布は良くありません。以下に軌道要素の平均誤差をつけます。ただし、このタイプの小惑星は今までの軌道改良では、改良された要素が収斂しにくいので、別の方法で軌道改良を行ってあります。軌道要素の平均誤差は、その改良しづらい方の軌道改良(従来の方法)からのものです』というメイルをつけて送りました。その夜の11月22日01時26分のことです。

同じ日の夜、22時12分に大塚氏から「非常にすみやかに対応していただき、本当にどうもありがとうございます。鹿林の残差は見違えるように良くなり、軌道の精度もだいぶ向上しましたね。多分、木下さんは小惑星センターに訂正データを送ることはないと思いますので、中野さんに計算していただいた数値が一番信頼をおけるものと思っています。さて、この軌道計算の結果をどこかに公表されますか。できたら論文の中で引用したいと思っているのですが……。なお、ご質問の件ですが、2005 UDは明るくて撮像時間が比較的短いので、木下さんは今までのソフトで整約していると思います」というメイルが届きます。さらに、その12分後の22時24分に大塚氏から追加の観測が送られてきます。そこには「MPEC V97(2005)によると、10月30日と11月8日に新たな観測があるようです」という連絡があります。そこで、これらの観測を加え、再度、軌道を計算し『これは、失礼しました! MPECの2005-Vのシリーズまではチェックしませんでした。中央局のファイルにすべて入っているものと思っていました。なお、軌道改良は同じ方法です(多分、だれも使っていない)。ひとつ気がかりなのは、(3200)と2005 UDは、近日点黄経がほぼ同じですから、長期間の摂動計算を行うと、一般的に近日点黄経がほぼ一定のまま、軌道が回転しますので、必然的に似た軌道を生じる日付が出てくることです』というメイルをつけ送付しました。23時14分のことです。

氏からは、11月23日15時20分に「またまた速やかな処理、ありがとうございました。多分、この天体に関しては諸事情により中野さんの計算結果が一番信頼おけるものになりますが、知らないで他の良くない計算結果を用いて研究する人が出てくることが心配です。今回の計算値については、NKかMPCに公表されるのですか。なお、長谷川先生から無事メイルが届いたと返信が来ました。今後はFAXではなくメイルで交信できるといいと思っています」という返信がありました。氏には、11月24日05時56分に『いえ、公表の予定はありません。ご自由に使ってください』と答えておきました。

12月2日夜は、22時にオフィスに出向いてきました。すると、22時49分に大塚氏より「2005 UDの1982年と2001年の発見前の観測が報告されています。つまり、一気に3回の衝で観測されたことになります。それらを使用した小惑星センターの計算結果も公表されていますが、エラーを含んだ残差は前とほとんど変わりません。おそらく、中野さんに計算していただいた値が、今なお最も信頼できると思っています」というメイルが届きます。私も、これらの発見前の観測が公表されたことには気づいていました。そこで、軌道をさらに改良して、その夜の業務終了時の12月3日06時14分に『MPEC X10(2005)に悪い観測のままの軌道改良が出ていますね。以下、こちらでの軌道改良です。それと、そちらでも計算しているようですが、未来軌道を計算してみました。ただし、JPLの座標が西暦−3000年から+3000年までしかありませんので、そこまでの未来軌道と2005年の同じ軌道からN体積分で計算した未来軌道を送ります。N体積分は西暦7005年まで行っています。その差は、2949年時点の軌道で、多少のずれがありますが、軌道変化を追跡するには問題ないでしょう。なお、積分間隔は、いずれも1/32日(0.03125日)です』というメイルをつけて送付しました。

12月4日03時07分に大塚氏から「2005 UDの軌道改良の結果、どうもありがとうございます。うまく連結できましたね。現在、大急ぎで論文を仕上げている最中で、今週にでもAstronomy & Astrophysicsに投稿したいと考えています。軌道要素は、中野さんに前回計算していただいた数値を引用しました。摂動計算は、荒木田さんにDE408を使用するよう依頼しました。西暦紀元前10000年から西暦10000年までの間、(3200)フェートンと2005 UDは4600年のずれを保ったまま、まったく相似的な変化をしています。分離時期を探るのは、相当難しそうです。引用にあたってはとりあえず私信としましたが、できましたら、本当はNKにでも公表していただいて、それを引用できたらとも思っています。木下さんの鹿林の観測データの時刻の訂正は、どうもスミソニアンにちゃんと連絡されていないみたいです。あまり、このことばかり触れると彼が気の毒なので、もうこの件については彼とは議論はしませんが……。こういったデータの扱いって難しいですね。ただ、もし2005 UDの軌道データを使って、数10万年も過去にさかのぼり、(3200)との関連を調べる研究者が出てきた場合、断然中野さんの計算値を使ってもらいたいと思っています。ところで、長谷川先生から購入した新しい「彗星軌道カタログ」の中身を見たら、マースデンが自分で計算した軌道要素にどんどん置き換えていました。そのうち、全部を自分の計算値にするのではないでしょうか。なんか、ここからはもうあまり引用したくないです」というメイルが届きます。

そこで05時08分に『この軌道は、日本スペースガード協会(JSGA)のWeb Newsに、山本速報No.2493にある説明をつけて掲載させていただきました。その際、軌道の変化を比べましたが、前の軌道でも軌道変化は同じなので安心しました。私信で良いと思いますが、何だったらNKを作りましょうか。ただ、小惑星を取り上げたことはNK100番台以後はないような気がします。私の軌道を採用していただいたこと、大変ありがたく思っています。今後も、何かあったらよろしく。なお、彗星カタログの件ですが、マースデンも歳をとって自分の城を守るようになってしまったのでしょう。対抗策で、HICQ2006の軌道は、全部、私のもの(一部、小林隆男くんのものがある)にしました。最近は、HICQからの軌道の引用が多いので、グリーンが喜んでいます』という返信を返しておきました。

なお、その後の大塚氏からの連絡によると、氏らのこの研究は、Astronomy & Astrophysics 450(2006)に発表されたとのことです。

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101P/チェルニク周期彗星 [2006年5月号からの続き]

2005年7月中旬にこの彗星の主核A核の回帰が再観測されたものの1991年と1992年にかけて観測された副核B核は、この時期(2005年末)になってもまだ再観測されていませんでした。

12月2日夜は、22時にオフィスに出向いてきました。この夜は、美星で11月に行なわれた小惑星の観測のチェックとBSGCのWeb Newsの発行を予定していました。すると、22時49分に大塚氏より前述の「2005 UDの1982年と2001年の発見前の観測が報告されています……」というメイルが届きます。そこで、この作業を先に行なうことにしました。夜半を過ぎて、美星の観測のチェックが終了し、12月3日03時13分にそれを観測者に伝えました。そして、北見の円館金氏が11月27日に発見したEx056(=2005 WH56)の近日点軌道を03時20分に氏に送付し、チェッキングの終了した美星と秦野の浅見敦夫氏の観測を03時31分に小惑星センターに送りました。『これで、今夜の仕事が終了した……』と思って過ごしていた05時02分、アリゾナのクリステンセンから一通のメイルが届きます。[以下、来月号に続きます

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