山形大学、板垣公一さんに名誉博士号を授与

【2007年9月3日 山形大学 / アストロアーツ】

8月30日、国内における超新星発見個数最多記録を更新し続ける山形市の板垣公一さんに、山形大学から名誉博士の称号が授与された。アストロアーツニュース編集部では、名誉博士号取得のきっかけとなった超新星2006jcについて板垣さんよりコメントを寄せていただいたのでご紹介しよう。


山形大学は、7月に「名誉博士号」を制定し、第1号として板垣さんに称号を授与した。板垣さんは2001年5月17日に初めて超新星(2001bq)を発見され、2005年7月17日には通算15個目の超新星(2005cz)を発見、国内最多発見数記録を更新された。以降もめざましいペースで発見を重ねられ、今年の8月24日には通算33個目の超新星(2007gw)を発見された(日付は世界時、発見数には独立発見を含む)。

アマチュア天文家として観測にかける熱意だけでなく、観測結果が超新星の研究に大きく寄与したこと、地域社会における活動への励みとなっていることも高く評価された。とくに、2006年に板垣さんが発見された超新星2006jcは重要な知見をもたらし、九州大学大学院の山岡均助教と共著で出された論文は科学雑誌「ネイチャー」に掲載された。

超新星2006jcは、2006年10月9日(世界時)、やまねこ座の銀河UGC 4904で発見された。同じ天体が2年前にも増光していたことが板垣さん自身によって観測されていて、ひじょうに質量の大きな恒星の最期であることがわかっている。

《板垣公一さんのコメント》

私、「名誉博士」の名を頂戴いたしましてほんとうに誰よりもびっくりしています。今の気持ちはすべてが夢の中のできごとのようです。さて、この「名誉博士」の産みの星となった超新星2006jcについて振り返ってみます。

2004年の10月15日、私はいつものように60センチメートルの大きな望遠鏡を振りまわしては銀河のパトロールをしていました。そうして夜明けも近い4時過ぎに、UGC 4904の銀河にかすかに超新星らしき星を見つけたのです。その星は私の過去画像にもDSSの赤にもありませんでしたので、いつものように発見報告を書き始めました。普通ならここで迷わずにメールを送信するのですが、なんか気になり、もう一度DSSに目を通したのです。

そうしたらびっくりの大問題でした。赤のフィルターで写したものには影も形もないのに、青での画像にはその辺にそっくりの星があるのです。そこで私は過去に撮ったすべての画像を再調直しました。でもいくら考えてもわかりませんでした。自分の過去画像との比較では迷わずに発見報告なのですが、青でのDSS画像を見るとちゅうちょしてしまいました。このようなことは私の経験では始めてでした。

そこで、いつもご指導を頂いている山岡先生にお尋ねをしたのです。先生は確認と調査をしてくださいました。しかしその結果は私とほぼ同じものでした。それから先生と何度か意見交換をしました。そして結果として山岡先生の調査報告を添えて国際天文学連合に発見報告をして頂きました。

しかし、明るさも暗く、明け方の東の空ということも重なり、どこの天文台も確認観測をしてくれませんでした。そして、残念ながら10日間位で暗くなりまったく見えなくなりました。私はその間、4夜ほど観測をしていました。それは普通の撮影ではなく、私の望遠鏡の能力の限界までの観測をしていました。また、見えなくなってからも長時間露出撮影をして観測をしていました(どこの天文台も確認観測をしてくれなかったので悔しくて)。

それから2年近くの月日が過ぎた2006年9月21日には見事な深い画像が撮れました。そこで、「2年前にはあった。今は絶対にない。」という報告を改めてIAUにしようと思って、2年前に撮影した画像を再測定して再報告書を書きました(結果としてはこの報告書はIAUには出しませんでしたけど)。

それから20日後の10月10日の夜明け前に、私にとって二度とありえない偶然の幸運が訪れました。今まで何度も何度も観測してきた、あの銀河の、あの位置に、とんでもなく明るい超新星らしき星があったのです。そして位置測定をすると、なんと、ほぼ同じ位置でした。

この星が超新星だとすると2年前の光は何だったのか?また、この星と2年前の光とが同じものなら大、大問題と思いました。

私は心が震えるのを感じながら発見報告をしました。そのときの発見報告は普通の報告ではありませんでした。2年前の10日間位でだんだん暗くなって見えなくなるまでの観測と、その後の観測、そして20日前の何も写っていない深い観測を添えての発見報告です。その報告を受け取ったIAUの先生は「これはなんだ」とびっくりしたと思います。(なお、この発見報告は中野主一さんにお願いしました)。

今度は世界の天文台がすぐ観測をしました。NASAの人工衛星も観測をしました。そうして間もなくIAUの情報として世界に配信されました。

その観測情報を見た山岡先生のコメント「こんな光、今まで見たことがない、とんでもなく特異だ!」からこの星のドラマが始まりました。

結果としては2年前のあの時の10日間の観測と、発見20日前の深い画像が研究の役に立ったようです。

今、振り返って見ると、これらはすべて偶然と幸運の夢のようなできごとだったのです。

山形市 板垣公一  2007 08 31 記


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