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天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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082(2011年1〜3月)

いて座新星 2011 = Nova Sagittarii 2011

2011年1月24日、25日と2日間続いた悪天候も、1月26日朝は、晴天に回復していました。その1月26日12時20分に自宅に戻ってくると、11時08分、掛川の西村栄男氏から「今朝、暗い天体を引っ掛けてしまい悩んでいます。今夜、調べますが、該当する天体がありましたら、お教えください」というメイルとともに「Canon EOS 5Dデジタル・カメラ+200mm f/3.2望遠レンズを使用して、今朝1月26日05時38分に15秒露光でいて座を撮影した2枚の捜索画像上に11等級の新星状天体(PN)を発見しました。この星は、昨日25日05時34分の2枚の画像にも約12等で写っています。極限等級は12.5等です。また、今朝、撮影した120mmレンズでも写っていますので、恒星に間違いはありません。しかし、変光星かも知れません。中途半端な報告で申し訳ありませんが、今夜、再度、報告させていただきます」という発見報告と2枚の発見画像が届いていました。

その夜、22時07分になって、西村氏から「今朝にメイルでお願いした件ですが調べてみました。DSS(Digital Sky Survey)画像を複数枚調べてみました。出現位置のごく近くに星がありますが、短焦点レンズですので同一天体か判断できません。この星は、DSSの複数画像では変光は見られないようです。もし、このDSS画像にある星であれば、3等〜4等級しか増光していないことになります。次に過去の捜索画像を2010年5月から11月まで18画像を調べてみましたが、写っていません。極限等級は、すべて12.5等級より暗いです。11月中旬以降は太陽側で撮影できていません。2011年になって、1月18日と25日に11.5等で写っていました。なお、今朝の光度を11.5等星としましたが、11.2等星が正しいかと思います。この星は、1年以上で変光する星か、太陽の向こう側で急激に増光したものなのか、判断できません。私の手元の資料では、光度が明確に出なくてすみません。お手数をお掛けするかと思いますが、中野さんの判断をよろしくお願い申し上げます」という調査結果が届きます。さらに22時34分には、西村氏からカタログに掲載されている暗い星について金子静夫氏の調査が送られてきました。この発見は1月27日06時11分にダン(グリーン)に報告しました。そこには、私の方で測定した出現位置と光度(11.4等)、USNOカタログには、数秒角ほど離れた位置に17.6等の恒星があることをつけ加えておきました。そして、この発見を中央局のTOCPページに書き込みました。これで中央局のウェッブ・サイト上に発見の報告と確認依頼の処理が終了しました。

ところで、この日(1月27日)は、新しく購入したプリンタ複合機が到着します。あらかじめ、西濃運輸に連絡を取って、朝一番での配達をお願いしました。楽しみに待っていると09時ちょうどに届きます。しかし、伝票では「配達は玄関先まで」となっています。「重いのでここまでで……」『えぇ…、そんな……』と、荷物は玄関に置いてもらいました。大きな4個の段ボール箱でした。以前、1人で100kgある36インチ・ブラウン管テレビを運んだ経験があります。『こんなもの簡単……』と1つの箱を箱を持ち上げようとしました。ところが……、びくともしません。このとき『もうこんなものを持てない歳になってしまったのか……』とわが身の衰えを感じました。しかたなく、明日、誰かに手伝ってもらうことにして、操作マニュアルを持って帰宅しました。11時00分のことです。そのとき、明け方近くには薄晴れだった空が快晴の空へと変わっていました。

その日の夕刻、16時55分には、西村氏から「無理なお願いをしましたが、さっそく、処理していただきありがとうございました。今朝も撮影できましたので画像をお送りします。少し明るくなったような気がします。低空なのでスペクトル観測できるかどうか心配です」というメイルが届いていました。その夜の20時50分には、大崎の遊佐徹氏から「西村さんのPNですが、メイヒルで16゚、オーストラリアでも20゚にしかなりませんので、20゚以下に向かない海外のリモート望遠鏡では無理だと思われます。現在、大崎は雪ですが、天気予報では、深夜から晴マークが出ています。朝にチャレンジしてみます」というメイルが届きます。日が変わった1月28日00時28分には、上尾の門田健一氏から「先ほど帰宅しました。南東の電柱、または南側のルーフに遮られるかもしれませんが、一旦、仮眠を取って早朝に狙ってみます」という連絡もあります。そのため、明け方の観測に期待することにしました。

明け方、05時58分になって、遊佐氏から確認観測が届きます。氏の観測では、28日05時16分には11.0等、その後、30分の間に若干減光しているようでした。さらに05時24分には、門田氏によってもとらえられ「確認しました。電柱を通過後に観測できました」というメイルとともに、その光度は11.2等であることが06時02分に報告されます。門田氏からは、発見位置にある微光の恒星の調査結果も報告されていました。これらは、06時32分にダンに送付しました。そのあと、遊佐氏と門田氏の観測をTOCPに入力し、すべての処理が終わったのは07時37分のことでした。

その日(1月28日)の朝、隣人が出社して来るのを待って、昨日届いたプリンタ複合機を3階まで運び込むのを手伝ってもらいました。複合機は、大きく4つのパーツに分かれていましたが、それでも重く、3人がかりで狭い階段を運び上げ、やっとすべてを3階に運びました。しかし、複合機がこれほど重いとは思ってもみませんでした。そして、西村氏の新星状天体は、その1日後の1月29日05時半過ぎに国内2か所(京都、岡山)でスペクトル確認され、同日16時08分到着のCBET 2644に正式に新星出現であることが公表されました。それによると、極大光度を過ぎた新星であることが判明しました。発見者の西村氏が最初の報告時に言われていたとおり、観測できない12月から1月に新星は増光していたのかも知れません。

さて、以前から使用のコピー機からのファックス送付ができなくなったため、報道各社への新天体発見情報はこの発見から、コンピュータから新たに設置した複合機を経由して送付することになります。実は、何事につけても新しいことに取り組むのが嫌になった私にとって、この送付は大きな問題でした。しかも、複合機を設置してわずか1日で慣れないまま、ファックス送付を行わなければなりません。『いったいどうやったら、ファックス送付ができるのだろう……』と暗中模索のまま、07時55分に報道各社に西村氏の発見を伝えました。そして、仲間には『ご苦労様でした。新天体発見情報No.175を報道各社に送付しました。実は、プリンタ複合機を購入し、コンピュータからこの複合機を通じての初めてのファックス送付です。昨日は、その設置までに夕方までかかり、CBET 2644を読まずに眠ってしまいました。疲れ果てて眠っていると夜中の1月30日01時01分に西村さんからの電話で起こされ、オフィスに出向き、さらに最終調整。今、完了し送付したところです。でも、この複合機70万(セール中39.9万)を35万円で購入しましたが、こんなに重い(約150kg)とは思ってもみませんでした。書籍のいっぱいある部屋での設置ですので、床が抜けそうです。3人がかりで3階まで持ち上げました。とても1人ではセットできませんでした。但し、受け取ったファックスをメイル転送できるので、池谷さんの発見時のミス(本誌2011年1月号参照)のようなことはなくなるでしょう。メイル転送をチェックしたいので、どなたかファックスを送ってみてください』というメイルとともに送付しました。なお、西村氏は、この新星の発見で、新星発見数は14個となりました。この日の朝は、外気温が-3℃と水道管が凍った寒い朝でした。この寒気は、しばらく続き、寒さが緩むのは2月2日の朝となりました。

1月30日、遊佐氏から「新天体発見情報をいただき、ありがとうございました。発見・位置・測光・分光のすべてが日本国内の観測者で行われて公表に至りましたね。西村さん。いて座新星の発見、おめでとうございます。精力的な捜索活動、感服いたします。今後も快挙が続くことをお祈り申し上げます」というメイルが09時43分に届きます。発見情報を送付している大阪の原田昭二氏から1月31日06時46分にテスト用のファックスを受信します。複合機からは、受信ファックスはPDFファイルに変換され、それがメイルで送られてきました。つまり、複合機の設定はうまくいっているようです。そこで、氏には「ファックスをありがとう。受け取りました。ただ、不便なのは、受信ファックスをメイル送信するとプリントアウトしないことです。これで、いつも、うまくいくのでしょうか……。万一、メイルを送信しないときがないかと心配です。もう一度、何かを送ってみてください。ファックスは、メイル送信では、PDF(他も指定できる)で送られてきます。誰かがときどき「うちのコピー機でPDF変換できる」と言っていましたが、スキャンの出力にPDF/JPEG/TIFF/EPNを指定できます。複合機は、みんなそうなのでしょう。つまり、ADFに原稿をセットして、自動スキャン・コピーでPDFファイルが作成できます。しかし、世の中には、メイルよりも、電話で「なぁなぁ……」のタイプの人が多いですね。部長をやっていた人が今どき、そうとは思いませんでした。ところで、メイルによると新天体を自分で見つけようという意欲があることを知りました。意外と天体の発見に興味があるのですね……」というお礼を送っておきました。

超新星 2011ap in IC 1277

2011年2月22日朝のことです。2月は早めの原稿の締め切りとなります。『ヒィ〜、ヒィィ〜』と言いながら、その原稿を仕上げていると、11時28分に携帯に電話があります。山形の板垣公一氏からです。『こんな時間に珍しいことだ』と思って、電話を取りました。すると、氏は「系外銀河IC 1277に暗い超新星を見つけました」と話します。『では、送ってください』と伝え電話を切りました。発見報告は11時32分に届きます。そこには「2011年2月22日明け方、60cm f/5.7反射望遠鏡+CCDを使用して、05時30分にヘルクレス座にあるIC 1277を15秒露光で撮影した捜索画像上に18.3等の暗い超新星状天体(PSN)を発見しました。発見後に撮られた5枚の画像上に、この超新星の出現を確認しました。なお、PSNは、銀河核から東に14"、北に23"離れた位置に出現しています」と書かれてありました。この発見は、11時56分にダンに報告し、TOCPに入れました。書き終えた原稿を送付して帰宅したのは13時00分、空は快晴でした。

その日(2月22日)の夜になって、板垣氏から「こんばんは。今、仙台から戻りました。仕事です。本当にありがとうございます。こんなに暗いPSNはお蔵入りになりそうですね。ところで、TOCPにある2月21日の星(14.5等)も、私の報告です。矮新星らしいとのことです。これも、よろしくお願いいたします」というメイルが上尾と大崎に送られていました。21時33分には、大崎の遊佐徹氏からその確認が届きます。そこには「板垣さんのPSNをメイヒルのリモート望遠鏡で観測し、先ほど中央局に報告しました。板垣さん。しっかり写っていました。やや増光しているようですね。1月22日20時15分に光度は18.0等でした。さらに明るくなることを祈っています。いっかくじゅう座のPNについては、明日、大崎でチェックしたいと思います。中野さん。以下の報告をTOCPにポストいただけないでしょうか。昼間、グリーン氏に投稿用のIDとパスワードをリクエストしましたが、現在、旅行中ということで「中野さんにお願いしなさい」とのことでした。よろしくお願いします」と書かれてありました。日が変わった2月23日03時46分には、上尾の門田健一氏からも「月明かりの低空だったのですが、2分露出x24フレーム(合計48分露出)で確認できました。02時31分に光度は17.9等です」というメイルとともにこのPSNを確認したという連絡があります。門田氏の観測は04時43分にダンへ報告しました。明け方には、板垣氏から今朝の画像が届きます。そして「何かと心配してくださいましてありがとうございます。よく調べましたが、過去のDSS画像にかすかにあるものは、星団らしきものだと感じました(赤にもかすかに写っていました)。私はSNだと思います。こんな時には、やはり自分の過去画像が一番だと思います。2月23日05時12分に行った2夜目の観測では18.1等でした」という報告があります。板垣氏の観測は、07時16分にダンに送付しました。

その日の昼、11時35分には、板垣氏から「DSSを見るとこの位置に星らしいものがあります。山のコンピュータで見ると、少しぼけ伸びた像に見えます。私はこれは星団と考えました。でも、家のPCで見たら恒星に見えます。ディスプレイによってこんなに見え方が違うとは知りませんでした。また、赤よりも青の方が強い星のようです」というメイルがあります。その夜(2月23日)、遊佐氏は板垣氏のいっかくじゅう座のPNを観測したようです。21時44分に届いた氏のメイルによると「先ほど、お送りしたとおり、光度は14.3等」とのことでした。

この超新星は、発見から2週間が過ぎた3月8日になってマウント・ホプキンスの1.5m望遠鏡でスペクトル確認が行われました。彼らの観測によると「極大光度数日後のIIn型の超新星」とのことです。このPSNが超新星として公表されたのは、それから2日後の3月10日12時21分到着のCBET 2670になってからのことです。こんなに公表が遅れたのは、先月号でも、紹介したとおり、超新星・新星の確定は、スペクトル確認が必要となったせいです。CBET 2670を見た板垣氏から「明け方近くにならないと分光観測はできない位置なので、半ばあきらめていましたが良かったです。お陰様でSN 2011apとして公表されました。今年から認定制度が変わりましたので、今後は、銀河の距離、そして位置を考えて捜索しなければ……と思っています。これからもよろしくお願いします。ありがとうございました」というメイルが届きます。また、CBET 2670を見た遊佐氏からは、15時49分に「SN 2011apとして公表されましたね。板垣さん。おめでとうございます。今後のご活躍をお祈りしています。門田さん。遅くなりましたが、天文功労賞を受賞されるとのことおめでとうございます。長年にわたる多大なる成果の積み重ねに感服いたします。中野さん。今後ともよろしくお願いします。なお、3月14日に引っ越しのため、自宅の回線が数日間使えなくなりそうです」というメイルもありました。そして、この発見を知らせる新天体発見情報No.176を報道各社に送ったのは3月11日07時16分のことでした。

なお、暗い超新星にしては、海外でも、多くの観測が報告され、超新星は3月上旬には16等級まで増光したようです。この7時間半後には、東日本大震災が起こります。遊佐さんの引っ越しはどうなったのでしょうか。そういえば、その結末を聞いていませんでした。

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