天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2007年1月5日発売「星ナビ」2月号に掲載

超新星 2006ch in NGC 7753

2006年5月9日朝は06時25分に自宅に戻りました。空は曇っていました。自宅では犬ちゃんが待っていました。そこで、前夜に買っておいたコロッケ、鳥のから揚げ、パンをあげました。この夜は少し早く起きたので、洗濯をしてから20時30分に自宅を出ました。ジャスコで買い物をして、オフィスに出向いたのは21時10分のことです。しかし、空はまだ曇っていました。晴天を待っているのは、接近中のシュワスマン・ワハマン第3彗星を5月4日の夜以後、まだ観測できていないからです。『今年の春は晴れないや』と思いながら、その5月4日に撮った画像を精約していました。深夜が過ぎて5月10日03時45分に電話が鳴ります。『何だろう……』と思いながら受話器を取ると、「あぁ…、中野さん……」という声が聞こえます。また山形の板垣公一さんのようです。『どうしたんですか。また何か見つけましたか』とたずねると、「はい。ぺガスス座にあるNGC 7753に超新星を見つけました」という発見報告でした。報告はメイルで送ってくれるとのことです。

その板垣氏からのメイルが04時27分に届きます。そこには「NGC 7753に16.5等の超新星を発見しました。発見時刻は2006年5月10日03時21分です。フレームの極限等級は18.5等級、10枚以上のフレーム上で確認しました。15分間の追跡で移動はありません。明け方の低空ですので、これ以上追跡ができません。2005年11月10日にこの銀河を捜索していますが、19等級より明るい天体は出現位置にありません。それ以前の過去の多数の捜索フレームにも見当たりません」という報告と、その出現位置と銀河核の位置が報告されていました。そして「SN 2006Aとは別ものです」という記載がありました。この銀河には、わずか4か月前に別の超新星が出現していたのです。調べてみると、この超新星は2006年1月3日JSTに英国のボレスによって発見された超新星で、銀河核から西南西の位置に出現していました。しかし、板垣さんの超新星はその反対方向、銀河核から東南東に出現しています。つまり、出現位置が異なります。そのため、板垣氏の言うとおりこれは別の超新星です。そこで、04時49分に氏の発見をダン(グリーン)に報告しました。もちろん、超新星2006Aのことも記述しておきました。この報告は、その確認のために八ヶ岳と上尾に転送しておきました。04時49分に板垣氏よりその発見画像が届きます。それを見るとこの超新星は、けっこう銀河核に近い位置に出現しているという印象でした。そして、この夜は06時25分に自宅に帰りました。

その日の夕刻(5月10日)は21時20分にオフィスに出向いてきました。天候はさらに悪化し小雨が降っていました。その日の昼間には板垣氏より氏がM31の中に発見した新星のその後の情報が届いていました。まず、その処理から業務を開始しました(先月号参照)。23時57分に上尾の門田健一氏から「板垣さんの発見が続きますね。連休後半から天候が不安定になり、今夜はかなり強い雨が降っています」という状況が報告されました。『関東が雨ということは山形の天候も悪いだろう。今夜の確認はダメだな』と思い仕事を続けました。案の定この夜は板垣氏からも何の連絡もありませんでした。その朝は雨が降る中、06時35分に帰宅しました。しかし、天気予報によるとこのあと天候は急速に回復し、今夜は快晴となるとのことです。

最近ではめずらしくその天気予報のとおり、この日の夕刻(5月11日)は良く晴れていました。その夜、21時に来客があるために途中で地元のスーパで買い物して、久しぶりに早く20時00分にオフィスに出向きました。所用が終わって、22時30分に再びジャスコに出かけてその夜の食料品を買いました。空には満月近い月がぎらぎらと輝いています。しかし『今夜は観測するぞぉ……』と勢い込んで22時50分にオフィスに戻りました。そして、敷地内にある空家のベランダに望遠鏡をセットしてシュワスマン・ワハマン第3彗星(73P)の撮影を始めました。まず明るくなっているB核を撮影して、次に地平高度の低いC核を撮影する予定です。23時46分から翌朝の03時56分まで合計153枚のフレームを撮りました。この夜は満月まで1.5日前のまるい月が空に輝いていました。この夜の月没は04時前ですが、ここは西の空に低い山が連なっているために03時すぎには月没となります。しかし、そんな心配は無用でした。彗星はその強烈な月光にも影響を受けないくらい明るく輝いています。その月が地平線に近づくと彗星の姿はさらに輝きを増し、黄金色に輝いていました。『なんて綺麗な姿だ……』とつい画面に見とれてしまいます。こんな綺麗な彗星を見ているともう他の場所には移れなくなります。しかし、04時00分に断腸の思いでそこを離れ、東の空から上ってきたC/2004 B1に望遠鏡を向け、04時30分の夜明けまで撮影を続けました。

夜が明けて一連の撮影が終了してオフィスに戻ってくると、5月12日04時02分に板垣氏からメイルが届いていました。そこには「おはようございます。PSN in NGC7753を観測しました。10枚以上撮影しましたが、透明度悪い上に薄雲が流れ、シンチレーション悪く、測定は前回より劣ると思います」という報告とともにこの超新星の位置と光度が書かれてありました。光度は16.6等とのことです。山形も何とか晴れていたようです。もちろん、氏による2夜目の確認観測は04時47分にダンに連絡しました。そして、撮影した73Pの画像2枚を『10.2-cm SLT f/6.5で精測観測に励んでいます。今日は73P-Bがとっても明るく見えました。1枚目は5月12日01時25分(露光30秒)に月明の中で。2枚目は03時13分(20秒)に月没後に撮影したものです。大口径にはとても及びませんがお送りします』というメイルをつけて仲間に送りました。もちろんこのメイルは板垣さんにも送っておきました。その夜の業務は06時20分に終了し、自宅に戻りました。空はまだ良く晴れ、快晴の空が続いていました。今日は2週間に一度行っている「大掃除」の日です。掃除をしながら大リーグの試合を見ていました。この日、ヤンキーズの松井秀喜選手が骨折してしまい、業務終了後の毎朝の楽しみのひとつであった大リーグの試合は、このあと9月まで見なくなりました。そのため、帰宅後の楽しみがひとつなくなってしまい睡眠につく12時までどうやって過ごそうかと、一時は途方に暮れてしまいました。

その夜(5月12日)は21時20分にオフィスに出向いてきました。すると、板垣氏から20時13分に「73P-Bの画像ありがとうございます。中野さんは計算専門で「現場はしない」と聞いていたのでびっくりしました。彗星から足を洗った私ですが、中野さんの画像を拝見して刺激を受けました。さっそく天文誌に目を通し、位置等を確認しました。今度晴れましたら挑戦してみます。ありがとうございました」というメイルが届いていました。しかし、板垣さん、あなたは本当の私を知らない。スミソニアン在籍中(1986年〜1990年)は、毎夜?のようにオークリッジに出向いて1.5-m反射で写真観測していました。ただし、冬季は省いての話です。冬には現地の平均気温が−20゚まで下がるので、怖くって走れませんでした。また、1989年には、マウント・ホプキンスに出向いて、60-cmと1.0-m反射でCCD観測をしていました。いわば私は我が国でのCCD観測の草分けですよ。それに日本に帰ってきてからも、1993年には20-cmシュミット・カセグレインでCCD観測を行い、その観測法を天文雑誌に紹介しました。洲本の天文台コードは361ですが、その後にCCD観測を始めた仲間にはそれより若い番号を振っていきました。その天文台コードは340までいきましたが、それら21か所はみんな私より後にCCD観測を始めた人たちなのです。

ところで、普通ならこの夜(5月12/13日)には超新星発見の公表があってもおかしくありません。しかし、板垣氏の第2夜目の観測を報告した後も、この超新星の発見はなかなか公表してくれませんでした。この夜は板垣氏の発見がまだ公表されないことを確かめて、03時40分に早々と帰宅しました。次の日(5月13日)は大津で東亜天文学会の評議委員会があるために、少し早めに帰宅したのです。その日は3時間ほど睡眠をとって、10時に自宅を出て、10時30発の高速バスで大津に出発しました。オフィスに戻ってきたのはその夜の21時30分のことでした。しかし、疲れていたせいか02時50分に自宅に戻ってしまいました。この夜もまだ板垣氏の超新星の公表はありませんでした。

次の日(5月14日)は19時05分に自宅を出発し南淡路へ向かいました。何か所かのスーパーとホームセンターを回遊し、オフィスに出向いたのは21時15分のことです。すると、第2夜目の確認の報告から2日と8時間が過ぎた5月14日12時54分になって、ダンから一通のメイルが届いていました。そこには「ちょっと悪いんだけど、この銀河を撮った他の画像を調べて欲しい。というのは、超新星2006Aがスペクトル確認されていないので、本当に超新星であったのかわからない。この銀河に2個の異なった超新星が出現したらしいことを理解はしているが、非常に動きの遅い天体がそこを動いていて、それが1月と5月に観測されているのではないかと心配している。たとえば、2003 UB313(現、準(矮)惑星エリス)のような天体が……」と書かれてありました。

ダンの言うとおり、この超新星がもし遠方の天体であるならば大変興味のあることです。天体の光度は16等級。ということは、もしこれがこのような移動天体であるならば、準惑星エリスより大きな天体である可能性があります。私にとってはその方が超新星発見より格段の価値があります。板垣さんは、ここまでにすでに17個の超新星を見つけていますので、そういうことがあってもいいでしょう。超新星2006Aは銀河核から位置角で251゚.3、離角が15".0の位置、板垣さんの超新星は、それらが121゚.1、19".4です。もし、これらが同一の移動天体であるならば、天体はほぼ真東、位置角にして99゚.5の方向にこの4か月間で31".0ほど動いたことになります。これは、日々運動にしてわずかに0".24です。したがって、もし、これが準惑星エリスと同じような天体ならば、さらに遠方にある巨大惑星です!

さっそく、ダンのメイルに『次のメイルが来ています。すみませんがNGC 7753を捜索したフレーム上に写っている2006Aの位置を精測してもらえませんか。発見前の捜索フレームがあれば(報告のときにありましたね)それも調べてください。よろしく』という依頼をつけて板垣氏に送り、再度調べてくれることを頼みました。21時32分のことです。また、電話でもお願いしました。過去の画像を調べた氏より23時02分に返信があります。そこには「NGC 7753の過去画像調べました。2005年4月29日から2005年11月10日まで23枚の画像がありました。慎重に点検しました。移動したと思われる経路上を調べましたが、移動天体は見当たりません。したがって、2006Aが移動したとは思えません。超新星2006A発見時の前後には、この銀河を撮影していませんでした。捜索していたら確実に発見できたと思います。なお、5月9日の発見時のフレームにはすでに2006Aの姿は見られません(減光して暗くなった)。明け方に観測しましたら報告します」という内容でした。『あぁぁ……、つかの間のはかない夢だったなぁ……、事実なら大発見だったのに……』と思いながら、23時21分にこのことをダンに連絡しました。でも、実際の大発見ってこういう偶然で起こるものなのです。そのため、新天体の発見を受けたときには充分な注意が必要です。

さて、板垣氏のメイルにあるとおり、5月15日03時46分にこの夜の朝の観測が氏より届きます。その光度は16.8等と超新星は少し暗くなっているとのことです。04時13分にこの氏の観測をダンに報告しておきました。ダンも、これで疑問がなくなったのか、その朝、10時17分到着のCBET 510で氏の超新星発見を公表してくれました。板垣氏からは11時11分に「このたびのNGC 7753の天体では、大変お世話になりました。難産でしたが、お陰さまでSN 2006chとして確定をいただきました。2006Aはスペクトル観測がなかったために躊躇されたようですが、移動天体であったかも知れないという考えは「なるほど」もっともでございます。私の推測ではIa型の衰退期の超新星と思われます。明け方の東の低空ですが、スペクトル観測されることを願っています。M31の新星、そして今回の2006chと、中野さんにはなにもかもお世話になりました。重ねてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました」というメイルが届いていました。

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超新星状天体 in NGC 5714

5月30日夜は、21時50分に自宅を出発して、ジャスコで今夜と明日朝の食料品を購入して、22時30分にオフィスに出向いてきました。この日の朝に「山本速報」を編集・発送作業をしたせいか、まだ疲れが残っていました。しかし、5月29日朝からの晴天はまだ続き、空は良く晴れていました。オフィスに入ると、12時19分に山形の板垣公一氏から「超新星2006chの件ですが、5月30日発行のCBET 525にフィリペンコらによるスペクトル観測が出ています。太陽に近く、分光観測はあきらめていましたのでびっくりしました。良かったです。ところで、5月は西日本では快晴日数が少なかったようですね。山形は透明度は悪かったですがかなり捜索しました」というメイルが届いていました。超新星は、板垣さんの5月15日のメイルでの予想どおり、極大を2か月ほど過ぎたIa型の超新星でした。『しかし、そういうことが予測できるなら、高価な機材を使ってのスペクトル観測は必要ないですね。板垣さん……』。

さて、その夜のできごとです。深夜を過ぎた頃、八ヶ岳の串田麗樹さんより電話があります。「八ヶ岳の隣人がうしかい座にあるNGC 5714に超新星を発見しました。くわしくは本人が報告します」という連絡でした。そこで、それを待つことにしました。その報告が5月31日02時19分にファックスで届きます。そこには「2006年5月31日00時35分に、LX200-30シュミット・カセグレイン+CCDで、16秒露光で撮影した3枚の捜索フレーム上に16.3等の超新星状天体を発見しました。2006年3月2日に撮影した極限等級が18等級の捜索フレーム上にはその姿は見られません。DSSも確認しましたが、発見位置に天体はありませんでした」という報告とその概略の出現位置が書かれてありました。

報告者に連絡をとってその状況を確かめました。すると「1.5時間追跡しましたが移動は認められません」とのことです。そこで『銀河中心はカタログ値ですね。使用のソフトだと精約できます。出現位置の精測位置(0".1まで)を報告ください』とお願いして電話を切りました。ファックスで送られてきた白黒反転の画像では、発見位置に明らかに明瞭な恒星像があります。そして、その像は3月2日の画像にはありません。知られた小惑星が発見位置近くに来ていないかを調べましたが、赤緯が+46゚の高い位置には1つの小惑星も来ていません。そこで、この発見を04時15分に中央局のダンに連絡しました。そこには『まもなく精測位置が届くだろう』ということをつけ加えておきました。その後、すぐ精測位置の報告がありました。そこで、出現位置と銀河中心位置をダンに連絡しました。04時44分のことです。もちろん、これらの報告はその確認のために山形と上尾にも転送しておきました。この夜は、夜明けとなって、これ以上のことはできません。そこで、業務を終えて07時00分に帰宅しました。晴天はまだ続いていました。

その夜(5月31日)は、22時40分にオフィスに出向いてきました。すると、その日の朝、11時14分に板垣氏より「PSN in NGC 5714の件ですが、この銀河の過去画像は一枚もありません。そこで、青木昌勝氏の画像とDSSを見てみました。メイルを拝見した限りでは本物ですね! 今、山形は曇っていますが、今夜晴れましたら観測してみます」というメイルが届いていました。発見フレームには、超新星状の天体の姿がはっきりと写っているために、板垣さんの言うとおり本物に間違いないと思っていたそのとき、23時00分に麗樹さんから電話があります。女史の今夜の確認では「発見現場に星がない」というのです。『えっ、そんな馬鹿な。あんなはっきり写っているのに……』と答えました。報告者の画像を見た麗樹さんより6月1日00時55分に電話があります。女史は「1.5時間追跡した画像で確かめようとしましたが、報告があった3枚の画像以外、追跡画像が残っていません。しかし、残っていたそれら3枚を比べると明らかに動いています。測定してもらって後で報告します」とのことでした。そこで、もう一度、知られた小惑星が発見位置の近くに来ていないかを調べましたが何もありません。そのため、美星の浅見敦夫氏にその追跡を依頼しました。氏は、すぐ撮影してくれましたが移動天体が見つからないとのことです。どたばたしていると、01時53分に上尾の門田健一氏から「今夜01時過ぎに25-cm f/5.0反射+CCDを向けてみました。しかし、薄曇で写りが悪く確認できませんでした。16等の恒星が写っています」というメイルが届きます。そこで、この状況を知らせるために02時04分に『晴天といっても、今年の春は薄雲がひどいですね。昨日、2等星くらいしか見えない空で観測しましたが、15等級の星しか写りませんでした。このPSNですが、八ヶ岳で今夜に確認すると現場に見られないとのことです。報告者が画像を持ってきて、それを確認すると、東北東に動いているとのことですが、知られた小惑星ではないようです。八ヶ岳の確認画像に見られないことを考えると、だいぶ移動しているようです。そちらの画像には入っていませんか。現在、発見者が測定しているそうですが、いつ届くかわかりません。届けば予報位置を送ります。……と書いてたら、麗樹さんから電話があって、北に10"くらいしか動いてないとのことです。しかも、光度が暗くなっている……。そちらの画像を残しておいてください。位置が手に入れば今夜の予報位置を送ります。なお、その後の浅見氏の電話では、美星でも撮ったそうですが、移動天体はわからないとのことです』というメイルを送りました。

その4分後の02時11分に、報告者から1時間6分離れた2個の精測位置がファックスで届きます。そこには「合計16枚の画像を撮影しましたが、良いものしか残しませんでした。後の方の画像を測定していれば「移動していません」という言葉は出なかったはずです。すみませんでした」と書かれてありました。すぐ、バイサラ軌道を決定していると、02時22分に門田氏から「観測画像はすべて保存しています。しかし、16等半ばより暗いと無理そうです」という連絡が届きます。つまり、門田氏のフレームからこの天体を探すのは難しそうです。さて、得られたバイサラ軌道では、天体は、軌道長半径がa=2.85 AU、離心率がe=0.36とちょっと大きい目のメインベルトを動く普通の小惑星のようです。ただ、軌道傾斜角がi=46゚と大きいために、明るい小惑星にしては今まで発見されていなかったようです。位置予報を見ると、日々運動は約4'しかありません。これは、発見時のこの位置は、西の留位置となっていたために、この付近にいる天体はもともと動きがなかったのです。とにかく、この予報を02時43分に山形、八ヶ岳、上尾に送り、その確認を依頼しました。また、02時57分にダンにもこれらのことと、その予報位置を送りました。しかし、門田氏より03時07分に「今夜のフレームには予報位置が入ってないようです」、また、板垣氏からも04時15分に「残念ながら山形は明るくなるまで曇天でした」と連絡がありました。この夜の朝は、空はまだ良く晴れていましたので、『今夜誰か確認してくれるだろう』と期待して07時05分に帰宅しました。

その日(6月1日)の夜は22時55分にオフィスに出向いてきました。梅雨どきに4日間も晴れた空も全国的に悪化していました。しかし、まだ晴天が残っていた板垣氏から23時08分に「NGC 5714の近くに19等星より明るいPSN、移動天体は確認できませんでした」というメイルが届いた以外、この天体のその後の情報はどこからも報告がありませんでした。結局この天体は、各地で行われている全天サーベイでも発見されることもなく、われわれの視界から遠ざかっていきました。『何だったのでしょうか』。バイサラ軌道から計算された離心率からは、より長円を動いていた特異小惑星、あるいは一時的に増光した微小彗星だったのかも知れません。さて、その夜のできごとです。まだ、晴天が続いていた北日本の山形から発見の報が届きます。[次号に続く]

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