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Book Review

金井三男金井三男さんによる書評

星ナビ星ナビ「月刊ほんナビ」に掲載の書評(原智子さん他)

編集部オンラインニュース編集部による書評

月のえくぼ(クレーター)を見た男 麻田剛立

表紙写真

  • 鹿毛敏夫 著/関屋敏隆 画
  • くもん出版
  • 四六変型判、240ページ
  • ISBN 978-4-7743-1391-2
  • 価格 1,470円

書店の児童書コーナーでたまたま見つけた瞬間、この本は児童書コーナーに置かれるべき本ではないと直感したが、その日のうちに痛感にかわった。これは麻田剛立についての学術研究書であり、麻田剛立の生き方を紹介した価値の高い伝記本であり、大人が読んでもおもしろい、というより大人が読むべき本である。子供時代から剛立の観察力は大人が舌を巻くほど優れ、第一級の薬学者、解剖学者、そして実地観測を何よりも大事にした観測家として江戸時代の天文学を確立させる原動力となったことが、つぶさに理解できる本なのだ。あとがきからもわかるが、著者鹿毛敏夫氏は、剛立専門研究者として日本各地の関係施設をくまなく辿られ、多数の貴重資料にあたってこられた。ほとんどが初めて一般に紹介された話や資料である。これまで剛立は日本天文学史で著名な先人ではあっても、その人柄や実績についてはごくわずかしか紹介されていなかった。

振り仮名がふられ、行間も広いので、一見子供向きの体裁で、優しい語り口は子供にも感銘を与えるはずだが、大人で天文普及にたずさわる方ばかりでなく、広く天文に関心をもたれる方や、医学方面の方にも本書は絶対おすすめしたい。なお、本文や麻田剛立の年譜で、観測された日月食の年月日が書かれている。しかしすべて旧暦の日付で書かれているので、誤解を生じる可能性があると考え、僭越ながらステラナビゲータVer.8で評者が調査した西暦での日付一覧(日食14・月食35)を、ページ末尾に付加しておく。そのうち、食が起こらなかったもの(不食)が7回、食甚が見えなかったものが7回ある。これによっても、それ以前に比べ暦法精度は剛立によってはるかに改善されたが、それでも未完成だったことを理解することができる。

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麻田剛立が日月食を観測した年月日のデータ (大坂は大阪の当時の書き方) 金井三男作成
旧暦 西暦 種別 No 観測地 食甚 備考
食分
貞享 二   1685   貞享暦施行
享保十九 1734 3 10 麻田剛立誕生
宝暦 七 十二 十五 1758 1 24 月食 1 杵築 15 35 35 1.81 17時20分出。食甚観望不可。
宝暦 八 十六 1758 7 21 月食 2 1 38 38 1.47  
宝暦 八 十二 十五 1758 1 13 月食 3 17 7 41 0.58
宝暦 十 1760 6 13 日食 1 18 42 11 0.98
宝暦 十 十五 1760 11 23 月食 4 5 42 59 0.53
宝暦十一 十六 1761 11 12 月食 5 20 16 50 1.75
宝暦十二 十六 1762 11 2 月食 6 5 21 28 0.60
宝暦十三 1763 10 6 日食 2 8 3 53 0.83 官暦予報無し。剛立が1年前に予報。
明和 ニ 十四 1765 8 31 月食 7 0 56 49 1.87  
明和 三 十六 1766 2 25 月食 8 4 54 20 0.34
明和 四 1767 1 30 日食 3 14 19 47 不食
明和 四 十六 1767 7 12 月食 9 1 28 36 不食
明和 五 十一 十五 1768 12 24 月食 10 江戸 19 47 47 1.76
明和 六 十一 十六 1769 12 13 月食 11 大坂 15 18 0 0.77 16時52分出。食甚観望不可。
明和 七 1770 5 25 日食 4 9 51 3 0.76  
明和 八 十六 1771 10 24 月食 12 杵築 1 31 58 0.37
安永 ニ 1773 3 23 日食 5 大坂 16 15 31 0.16 安永元年脱藩。
安永 三 1774 9 6 日食 6 9 51 20 0.45  
安永 四 十六 1775 2 16 月食 13 0 12 14 0.54
安永 四 1775 8 26 日食 7 14 55 38 0.58
安永 四 閏十二 1776 1 21 日食 8 12 8 18 0.02 西洋式渾天儀使用。
安永 四 閏十二 十五 1776 2 4 月食 14 23 31 10 1.79 西洋式簡平儀使用。
安永 五 十二 十四 1777 1 24 月食 15 1 28 30 0.60  
安永 六 十六 1778 7 10 月食 16 3 33 53 不食
安永 八 十六 1779 11 24 月食 17 4 46 10 1.73
安永 九 十五 1780 5 18 月食 18 19 59 15 0.97
天明 ニ 十六 1782 3 29 月食 19 17 24 0 0.64 18時16分出。食甚観望不可。
天明 ニ 十五 1782 9 21 月食 20 23 18 56 0.31  
天明 三 十六 1783 3 19 月食 21 6 32 46 1.79
天明 四 1784 8 16 日食 9 7 49 16 不食
天明 四 十五 1784 8 30 月食 22 23 47 4 0.67
天明 五 1785 8 5 日食 10 9 22 38 0.61
天明 五 十二 十五 1786 1 14 月食 23 21 56 57 0.41
天明 六 1786 1 30 日食 11 12 19 8 0.98 剛立が8年前に予報。
天明 六 十六 1786 7 11 月食 24 19 48 17 1.06  
天明 六 十一 十五 1786 1 4 月食 25 8 54 48 1.76 7時6分没。食甚観望不可。
天明 七 十五 1787 6 30 月食 26 23 46 53 1.26  
天明 七 十一 十五 1787 12 25 月食 27 0 9 34 0.78
天明 八 十五 1788 6 19 月食 28 0 16 44 不食
寛政 元 十五 1789 5 9 月食 29 18 29 32 不食
寛政 元 1789 11 17 日食 12 12 0 51 0.53
寛政 五 十六 1793 2 26 月食 30 8 1 5 0.50 6時30分没。食甚観望不可。
寛政 五 十五 1793 8 21 月食 31 23 56 21 0.72 松平定信、この頃から改暦方針。
寛政 六 十六 1794 2 15 月食 32 7 22 50 1.76 6時46分没。食甚観望不可。
寛政 六   幕府は松平定信による寛政改革の一環で、麻田剛立推薦の弟子二名高橋至時と間重富に改暦命令下す。
寛政 六 十二 1795 1 21 日食 13 大坂 8 22 27 0.88  
寛政 七 十六 1795 8 1 月食 32 4 52 5 0.24
寛政 七 十二 1796 1 10 日食 14 17 1 38 0.01 17時6分没。食甚観望可能。
寛政 八 十五 1796 6 20 月食 33 19 29 18 不食  
寛政 八 十一 十六 1796 12 14 月食 34 23 17 40 0.50
寛政 九 十五 1797 6 9 月食 35 20 31 27 1.17
寛政 十   高橋至時と間重富が寛政暦を作成し、幕府によって寛政暦が施行された。
寛政十一 二十二 1799 5 22 麻田剛立死去。享年65歳。
天保十三   1842   渋川影佑(高橋至時次男)天保壬寅暦完成、幕府により天保十五年改暦実施。

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