宇宙を目指した日本初のペンシルロケットを鑑定

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【2013年3月25日 JAXA宇宙科学研究所

20日から23日まで埼玉県で開催された日本天文学会の春季年会で、日本の宇宙科学史の黎明を告げた実験用ペンシルロケットの所在確認と鑑定の結果が発表された。


標準型ペンシルロケット2種

標準型ペンシル2種の比較。先端の材質やノズル開口部などに違いがある。ともに個人蔵。クリックで拡大(提供:JAXA)

企画展で展示されたペンシルロケット

2012年夏の相模原市立博物館での企画展「宇宙科学の先駆者たち〜糸川英夫と小田稔〜」に展示されたペンシルロケットの数々。国分寺で実射された記録が残るペンシルロケット2機(枠内、ともに個人蔵)を含む。クリックで拡大(提供:JAXA)

鑑定を受けたのは、現在公開展示あるいは個人管理されているペンシルロケットの実機17点。長さ2、30cmの小さなペンシル型で、高高度に達するロケットの開発を目指していた東京大学生産技術研究所が実施した水平発射実験に使われたものだ。

当時の実機のうち常設展示となっているのは、国立科学博物館(東京都台東区)と日産荻窪工場跡地(東京都杉並区)の「ロケット発祥之地」碑に埋め込まれたもののみとされていたが、2012年、開発を率いた糸川英夫博士の生誕100周年を契機に14機の所在確認が行われ、同年夏には神奈川県相模原市での記念企画展で展示されている(画像2枚目)。

その後に見つかったものも含めた今回の鑑定対象は、当時実験に参加した人から個人が譲り受けたものや、2005年にスペースシャトルに搭乗した野口聡一さんとともに“宇宙に到達”したものなどで、実験内容に応じてその長さやブースターの有無、先端の材質などが様々に異なっている。

ペンシルロケット発射実験を皮切りに進められたロケット開発は、その後1958年の国際地球観測プログラムへの参加、1970年の日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げ成功につながる。

日本の宇宙科学史を物語る貴重な遺物であるペンシルロケットは、この他にも実験の行われた東京都国分寺市、千葉県、秋田県周辺に残されている可能性がある。宇宙科学研究所では、「今回の資料公開を通じて、より多くの実機の存在が知られ、より多くの人の目に触れるようになることを願っている」という。