アマチュア天文家、近世の流星雨を描いた絵を発見

【2002年10月25日 国立天文台天文ニュース(594)

日本には古文書として流星雨の記録が数多く残されています。しかし、絵となると大流星の単独の出現を描いたものばかりで、昨年のしし座流星雨のような多数の流星が出現する様子を描いた絵はこれまで見つかっていませんでした。

近世の天文記録を研究していたアマチュア天文家の信清由美子(のぶきよゆみこ、山梨県甲府市在住)さんは、山梨県南巨摩郡南部町の町史に収録されていた「落穂拾遺」という史料に、「飛行星之図」と題された図版を発見しました。この絵には幕末に出現したと思われる流星雨が、左右に飛び交う多数の流星として描かれ、それを見上げて人々が驚いている様子が描かれています。同時に「闇夜にも拘わらず1、2時間ほどは月夜の如くに数万もの星が飛び交い、その有様はさながら蛍合戦のようだったし、また花火を投げ合うような様であったり、実に物凄く、この後には天地も崩壊してしまうのではないかとさえ思われた」(渡辺による現代語訳)と記述されています。

その後、山梨県立科学館の信清憲司(のぶきよけんじ、山梨県甲府市在住)さんや渡辺美和(わたなべよしかず、千葉県松戸市在住)さんらと共に、現在神奈川県在住の木内家に所蔵されている原史料の詳細な調査を行った結果、この絵は、江戸時代末期に目撃された流星雨の情景を、大正時代に回想して描いたものであることがわかりました。ここに描かれている流星雨は、1866年から数年の間、激しい流星雨を降らせたしし座流星雨の可能性もありますが、記述では合致しない点もあり、該当する流星雨はまだ特定されていないとのことです。

これまでオーロラや彗星については、日本でも多くの絵が近世に残されていましたが、大正時代に回想されて描かれたにせよ、流星雨の絵の存在は今まで知られていませんでした。日本での流星雨の絵としては、「星学図集」(千葉市立郷土博物館所蔵)に掲載された1866年のしし座流星雨の版画が知られていますが、これはアメリカの図版に基づく木版による復刻とされています。今回の絵の発見は、当時の庶民が天文現象をどのように捉えていたのかを知る上で貴重な研究資料になることでしょう。

なお、この研究成果は2002年10月27日に兵庫県姫路市の姫路市科学館で開催される2002年東亜天文学会総会で発表されます。

このニュースは渡辺美和さんからいただいた情報を元に作成しました。

参考:「落穂拾遺」
記録者は木内三郎という人物である。木内三郎は嘉永三年(1850年)生まれ、生涯の多くを南部町で過ごし、薬種商などを勤めた。「落穂拾遺」は同人が大正十年頃に南部町の風俗習慣や、見聞した事件などの回想をまとめたもので、和綴本2巻が現存。大部分は明治大正時代の南部町の様子が占め、明治の維新期から近代への転換の時代の息吹と変化と人々の対応がよく感じられる。この中に「是ニ記ス諸事年月日之詳ナラザルは其当時記録ニありしニアラズ」と断りつつ江戸時代の事件記録が綴られている。現在の所有者は神奈川県にお住まいの木内家。

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