ハレー彗星(1986年) 1P

彗星といえば、誰もがこの名前を思い浮かべるほど有名な周期彗星がハレー彗星です。約76年ごとに出現してはいろいろなエピソードを残しており、1910年には長大な尾が見られました。次は2061年の夏に見ることができます。


(平野貴章氏撮影のハレー彗星の写真)

タイトル:
「ハレー彗星」
撮影者:
伴 良彦
撮影日時:
1986年4月6日 2時55分、露出 5分×4コマ
撮影地:
静岡県福田町 福田海岸
撮影機材等:
ペンタックス SP2、SMCタクマー 200mm F4.0開放、サクラ SR1600、ビクセン ニューポラリス
ステライメージ、フォトショップにて色調補正後コンポジット
撮影者コメント:

私にとって、最初の彗星がハレー彗星でした。当時はまだ高校生だった為、星にあまり興味のない親を巻き込んでの撮影行脚となりました。平日は自宅前で撮影、土日は山、海で撮影、睡眠不足は学校で補充という、年が明けたら受験とは思えぬ生活をしていました。


(柏木周二氏撮影のハレー彗星の写真)

タイトル:
「思い出のハレー彗星」
撮影者:
柏木 周二
撮影日時:
1986年3月9日 4時57分、露出 10分
撮影地:
愛知県 茶臼山
撮影機材等:
アサヒペンタックス、タカハシ ε-160(D=16cm fl=530mm F3.3)、コニカ SR400、タカハシ 90S赤道儀にてメトカーフ追尾
撮影者コメント:

学生時代やっていた水泳とマラソンに自転車を加えた、トライアスロンの練習に励み、ハワイのアイアンマンレースが身近になってたとき、自転車で通勤中、車に追突され、頭蓋骨骨折し、生死をさまよう日が数か月続きました。

その頃、ハレー彗星が回帰してきて、病床に伏していながら、星に対する思いが甦ってきました。退院後、リハビリに励んだおかげでハレー彗星が明るくなると共に体力も回復し、再接近前後は晴れてさえいれば毎晩のようにあちこちに写真を撮りに出かけました。


(伴良彦氏撮影のハレー彗星の写真)

タイトル:
「ハレー彗星」
撮影者:
伴 良彦
撮影日時:
1986年4月16日 23時44分、露出 30秒
撮影地:
長野県南安曇郡梓川村丸田
撮影機材等:
ペンタックス SP、SMCタクマー 55mm F1.8開放、サクラカラー1600、固定撮影
HAC1600にて自家現像
撮影者コメント:

有名なハレー彗星がやって来るということで、私はけっこう冷静だったのですが、世間では盛り上がりを見せていました。個人的には、彗星が明るくなる頃に地域の行事で連日忙しく、十分に楽しめなかったことを思い出します。ただ、地球に再接近する時期に、低空で条件が悪い中、幸運にも好天に恵まれ、撮影することができました。大きく拡大して撮影するのもいいですが、こうして標準クラスで撮影するのも、彗星を身近に感じられて、これまたいいものだと思いました。


(鈴木仁氏撮影のハレー彗星の写真)

撮影者:
鈴木 仁
撮影日時:
1986年4月6日 3時10分
撮影地:
山梨県鳴沢村
撮影機材等:
オリンパス OM2N、ズイコー 100mm F2.8開放、サクラカラー1600、タカハシ P2赤道儀で自動ガイド
撮影者コメント:

当時、私は大学の天文部に入っていて部員や社会人の先輩方と観測地を求めて富士山の周りをロケハンしたのを思い出します。この日も富士スカイラインから晴れ間を求めて鳴沢村まで移動し富士山をバックにハレー観測をしました。

流行りだったとは言えサクラカラー1600の粒状ひどいですね!


(榎本孝雄氏撮影のハレー彗星の写真)

撮影者:
榎本 孝雄
撮影日時:
1986年3月20日 4時25分、露出 60秒
撮影地:
山梨県 精進湖
撮影機材等:
アサヒペンタックス ES II、55mm F1.8、フジクロームP1600D、自動ガイド
撮影者コメント:

富士山を前景に世紀の大彗星を撮ろうと地図とにらめっこをして決めたのが精進湖、イメージ通りの場所を見つけ、車を降りたら、気温-2度で、しかも風が強く体感気温-10度の中セッティングするがうす雲が出てきてしまう悪条件の中で撮影した中の1枚です。あまり明るくならなかったので写真的には物足りない印象でした。


(大石勇一氏撮影のハレー彗星の写真)

撮影者:
大石 勇一
撮影日時:
1986年4月13日 0時35分、露出 10分
撮影地:
和歌山県 生石高原
撮影機材等:
ペンタックス MEスーパー、SMCペンタックス 55mm F1.8開放、サクラカラーSR1600、ビクセン スーパーポラリス
撮影者コメント:

写真は、地球に再接近した後、遠ざかり始めた姿を撮ったものです。長い尾ばかり注目されるが、小生は近くのω星団に勝るとも劣らない核の視直径に驚かされました。なお、撮影した日は野上鉄道(バスを含む)のストライキのため、帰りは徹夜明けの体に鞭を打って、生石高原三角点(和歌山県)からJR海南駅まで赤道儀を背負って歩く羽目になりました。20km以上あったと思いますが、あの頃はタフでした。


(大貫弘毅氏撮影のハレー彗星の写真)

タイトル:
「天の川に遊ぶ青トンボ」
撮影者:
大貫 弘毅
撮影日時:
1986年4月8日 3時ごろ、露出 約10分
撮影地:
オーストラリア エアーズロック
撮影機材等:
ニコン FE、Aiニッコール 85mm F2→2.8、サクラカラー1600、タカハシ P2赤道儀で自動ガイド撮影
撮影者コメント:

大学4年の春、高校の天文部の仲間4人とオーストラリアで野宿しながらハレー彗星を追いかけました。

アリススプリングスからエアーズロックまでガソリンスタンドがほとんどないこと、毒蛇の密度が世界一高いこと、50km道がまったく曲がらないこと、見るもの聞くもの驚きの連続でした。東京では春霞の南の低空に埋もれていたのが、現地ではとてもはっきり見えました。イオンの尾とダストの羽でどこかしか青いトンボのようでした。


(中村昌弘氏撮影のハレー彗星の写真)

タイトル:
「春霞の中のハレー彗星」
撮影者:
中村 昌弘
撮影日時:
1986年3月21日 4時ごろ、露出 約5分
撮影地:
千葉県 房総白浜根本 御神根島
撮影機材等:
ニコン FE2、Aiニッコール 50mm F1.8s→2.8、サクラカラー1600、タカハシ 90S赤道儀で自動ガイド撮影
ニコン LS2000→Mac OS X、Photoshop7(トーンカーブ)
撮影者コメント:

前日の夜、終業後、職場の有志とともに東京湾フェリーの最終に乗り、房総半島の先端、白浜野島崎で一泊、夜遅く着いた上早朝に外出という、最悪の客であったが気にしてはいられない。野島崎灯台の光を避けて、根本(御神根島)という砂浜キャンプ場付近に早朝急いだ。この日は春分の日で休日だった。春の霞(写真の星が春霞でにじんで見える)を通して見えたハレー彗星は、まっすぐにダストテールが伸びていた。2月の近日点通過後1か月、4月の地球再接近へ向けて移動中の姿はこの出現中でもっとも美しい姿だった。しかし周囲は想像を超える人出であった。しかもどれが彗星だかわからない人も多く、職場の人へ説明しただけでなく、周りの人へも説明する羽目になった。写真を何枚も撮る間も無く、彗星は霞の中へ消えていった。


(井上秀樹氏撮影のハレー彗星の写真)

タイトル:
「ハレー彗星と皆既月食」
撮影者:
井上 秀樹
撮影日時:
1986年4月24日 21時30分、露出 3分
撮影地:
愛知県豊橋市細谷町
撮影機材等:
キヤノン FT-b、シグマ 28mm F2.8開放、サクラカラー SR400、高橋製P-2赤道儀による半自動ガイド
撮影者コメント:

古い星のアルバムをながめていた。一枚の写真が目に止まった。皆既月食とハレー彗星、こんな事あったかな?しばらくながめていた。細谷海岸沿いの畑、カラス座のハレー彗星、仲間の顔すこしづつ思い出した。当時はきっと胸躍らせて見てたんだろうな。傾いた構図の写真をながめながらひとり苦笑してしまった。今ではもうそれ以上思い出せない、古いたった一枚の写真。


(田中千秋氏撮影のハレー彗星の写真)

撮影者:
田中 千秋
撮影日時:
1986年4月6日
撮影地:
オーストラリア カウラ村
撮影機材等:
ニコン FM、ニッコール135mm F2.8開放、フジカラー ネガ400フィルム、TS式P-2赤道儀にて電動追尾
撮影者コメント:

オーストラリアで天頂付近にあるさそり座の中のハレーを撮影しました。天の川の中に埋もれるような感じですが、はっきりとその姿は肉眼で認められました。


(田代貞氏撮影のハレー彗星の組写真)

撮影者:
田代 貞
撮影日時:
1986年1月2日〜11日
撮影地:
静岡県磐田郡豊岡村
撮影機材等:
21cm F5.7 ニュートン直焦点、ミカゲ 210B赤道儀
TP2415 水素増感 D19、5分現像
撮影者コメント:

ついにハレーがやってきた!!小学生の時にもらった星のしおり。不思議なしっぽがついていた。いつかこいつに会えるんだとずっと夢見ていた。恋い焦がれていたんだ。明るい彗星はいくつか見たけれど、ハレーは特別の特別。水素増感と自動メトカーフをハレーの為に用意した。お盆の頃に15等級で初対面した時。みるみる明るくなってしっぽが見え始めた時。いつもドキドキ嬉しかった。そして太陽へ一目散に翔けていった冬の西空、大ハレーは踊りながら微笑んでいた。


(渡辺守氏撮影のハレー彗星の写真)

タイトル:
「ハレー彗星」
撮影者:
渡辺 守
撮影日時:
1986年4月7日、露出 20分
撮影地:
ニュージーランド テカポ湖畔
撮影機材等:
ニコン F2、Ai Nikkor 50mm F1.4→2、サクラカラー SR400(自家現像)
彩度調整でモノクロ化
撮影者コメント:

初めて見た彗星が、このハレー彗星でした。大学2年生から3年生へ進級するときで、もっとも自由に活動できる時期でもありました。先輩の提案で1年かけて計画を練って、彗星の見やすいオーストラリア/ニュージーランドに出かけました。当時流行っていたネガカラーの自家現像を行いましたが、現像ムラをおこしてしまって、ほとんど使えるネガがなく、がっかりしましたが、デジタル処理でモノクロ化を行い、見られる写真になりました。


(山本海行氏撮影のハレー彗星の写真)

撮影者:
山本 海行
撮影日時:
1986年3月12日 4時46〜56分
撮影地:
静岡県磐田市 鮫島海岸
撮影機材等:
ペンタックス MX、35mm F2→2.8、フジクローム 400D、高橋製作所 MT-160でガイド
その他:
下の光のすじは漁船の灯り
撮影者コメント:

当時は大学を出て高校の教員になって1年目の年でした。70年代の大彗星たちはまだ子供だったので見ることができませんでしたが、初めて肉眼で見た彗星がハレーでした。まだ夕方の空に見えていたころは学校でも観望会をやったりもしましたが、あまりぱっとしない姿に少しがっかりもしました。

観測地は自宅から近い海岸の防波堤の上で、普段はほとんど誰もいないのですが、日本でも良く見えた3月20日ごろはかなり人出がありました。同じ学校の先生が家族連れで私の望遠鏡を覗きに来たりもしました。

この日は水平線までよく晴れて、天の川もくっきり見えました。その後も何度か海岸へ出かけて彗星撮影をしていましたが、大学時代の友人たちと見ていたら、連夜の観測がたたったのか体調を崩してしまい、そのまま病院へ運んでもらって入院する始末に。機材は友人たちが片付けてくれて、私の車に載せて病院の駐車場まで持て来てくれました。勤務先にも迷惑かけましたし、自分の彗星デビューでもあったので、ハレー彗星が一番印象に残っています。